名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 親の敵と狙った若者
○長政、糟屋郡金出山に狩しける時、勢子鐵砲の内に怪しき者一人雜り居たるを捕へて引來り、如何なる者ぞと尋ねければ、彼者涙を流し、本意を達せざりしは無念なり、只々頭を刎らるべしと言ひければ、長政如何なる意趣ありて、我を狙ふぞ、包まず申べしと言ひければ、其時彼者、私は志方藤平とて、今年十九歲になる者なるが、父七兵衞は播州以來奉公せしが、先年成敗に逢ひたる時は、母の胎内に在りて、出生の後母が養育を受けて成長し、其後母病死せし時父七兵衞、何の科もなき所に、成敗に逢ひたれば、無念さ遣る方なけれども、女の身なれば空しく月日を送りたり、其方成長の後、何卒我志を繼ぐべしと遺言したれば、諸國を走り廻り鐵砲を打ち習ひたれば、遠矢に打ち奉らんと、既に今朝より度々火蓋を切らんとせしかども、物に障はりて遲々する内に、斯く捕はれに成りたりと、聊か臆せぬ顏魂を見て、長政言ひけるは、親の敵と聞て我を狙ふは感ずるに餘りあり、去れども科なき者を殺すべき樣なし、七兵衞私曲度々ある内に、宇佐八幡宮へ使として遣はしたるに、祈禱料を大半減じ取りし神罰逃れずして、宿坊にて醉狂せしより、事顯はれ、止むを得ず、遂に成敗申付けたり、汝も亦慮外者なれ共、申分けなげなれば、早々免すべし、我に奉公せよとありければ、彼者涙を流し、足輕頭の控へたる處に行て、今まで心得違せし者を、一命助けられたる上、二度召使はるべしとの事、誠に面目至極なれ共、箇程まで、虚外したる上は、切めて我身の科を正すべしとて、腹掻き切て死しければ、長政殊の外惜みけるとぞ。
新字:○長政、糟屋郡金出山に狩しける時、勢子鉄砲の内に怪しき者一人雑り居たるを捕へて引来り、如何なる者ぞと尋ねければ、彼者涙を流し、本意を達せざりしは無念なり、只々頭を刎らるべしと言ひければ、長政如何なる意趣ありて、我を狙ふぞ、包まず申べしと言ひければ、其時彼者、私は志方藤平とて、今年十九歳になる者なるが、父七兵衛は播州以来奉公せしが、先年成敗に逢ひたる時は、母の胎内に在りて、出生の後母が養育を受けて成長し、其後母病死せし時父七兵衛、何の科もなき所に、成敗に逢ひたれば、無念さ遣る方なけれども、女の身なれば空しく月日を送りたり、其方成長の後、何卒我志を継ぐべしと遺言したれば、諸国を走り廻り鉄砲を打ち習ひたれば、遠矢に打ち奉らんと、既に今朝より度々火蓋を切らんとせしかども、物に障はりて遅々する内に、斯く捕はれに成りたりと、聊か臆せぬ顔魂を見て、長政言ひけるは、親の敵と聞て我を狙ふは感ずるに余りあり、去れども科なき者を殺すべき様なし、七兵衛私曲度々ある内に、宇佐八幡宮へ使として遣はしたるに、祈祷料を大半減じ取りし神罰逃れずして、宿坊にて酔狂せしより、事顕はれ、止むを得ず、遂に成敗申付けたり、汝も亦慮外者なれ共、申分けなげなれば、早々免すべし、我に奉公せよとありければ、彼者涙を流し、足軽頭の控へたる処に行て、今まで心得違せし者を、一命助けられたる上、二度召使はるべしとの事、誠に面目至極なれ共、箇程まで、虚外したる上は、切めて我身の科を正すべしとて、腹掻き切て死しければ、長政殊の外惜みけるとぞ。
書き下し
○長政、糟屋郡金出山に狩しける時、勢子鐵砲の内に怪しき者一人雜り居たるを捕へて引來り、如何なる者ぞと尋ねければ、彼者涙を流し、本意を達せざりしは無念なり、只々頭を刎らるべしと言ひければ、長政如何なる意趣ありて、我を狙ふぞ、包まず申べしと言ひければ、其時彼者、私は志方藤平とて、今年十九歲になる者なるが、父七兵衞は播州以來奉公せしが、先年成敗に逢ひたる時は、母の胎内に在りて、出生の後母が養育を受けて成長し、其後母病死せし時父七兵衞、何の科もなき所に、成敗に逢ひたれば、無念さ遣る方なけれども、女の身なれば空しく月日を送りたり、其方成長の後、何卒我志を繼ぐべしと遺言したれば、諸國を走り廻り鐵砲を打ち習ひたれば、遠矢に打ち奉らんと、既に今朝より度々火蓋を切らんとせしかども、物に障はりて遲々する内に、斯く捕はれに成りたりと、聊か臆せぬ顏魂を見て、長政言ひけるは、親の敵と聞て我を狙ふは感ずるに餘りあり、去れども科なき者を殺すべき樣なし、七兵衞私曲度々ある内に、宇佐八幡宮へ使として遣はしたるに、祈禱料を大半減じ取りし神罰逃れずして、宿坊にて醉狂せしより、事顯はれ、止むを得ず、遂に成敗申付けたり、汝も亦慮外者なれ共、申分けなげなれば、早々免すべし、我に奉公せよとありければ、彼者涙を流し、足輕頭の控へたる處に行て、今まで心得違せし者を、一命助けられたる上、二度召使はるべしとの事、誠に面目至極なれ共、箇程まで、虚外したる上は、切めて我身の科を正すべしとて、腹掻き切て死しければ、長政殊の外惜みけるとぞ。
現代語訳
長政が糟屋郡の金出山で狩りをしたとき、勢子や鉄砲の中に怪しい者が一人混じっているのを捕らえて連れてきて、「何者か」と尋ねました。その者は涙を流し、「本意を遂げられなかったのは無念である。ただ首を刎ねられよ」と言いました。長政が「どのような恨みがあって我を狙うのか。隠さず申せ」と言うと、その者は「私は志方藤平という今年十九歳になる者です。父の七兵衛は播州以来奉公していましたが、先年成敗に遭ったとき、私は母の胎内にいました。生まれてから母の養育を受けて成長しましたが、その後、母が病死するとき、父の七兵衛が何の咎もないのに成敗に遭ったのは無念でならないが、女の身なので、空しく月日を送った。お前は成長の後、どうか我が志を継げ、と遺言しました。そこで諸国を走り回って鉄砲を打ち習い、遠くから撃ち奉ろうとして、今朝から度々火蓋を切ろうとしましたが、物に遮られて遅れるうちに、このように捕らえられました」と、少しも臆しない顔つきで申しました。長政は「親の敵と聞いて我を狙うのは、感心に余りある。しかし、咎のない者を殺すわけにはいかない。七兵衛は不正が度々あったうえ、宇佐八幡宮へ使いとして遣わしたとき、祈禱料を大半ごまかして取った神罰を逃れず、宿坊で酔いふるまったことから事が露見し、やむを得ず成敗を申し付けたのだ。お前もまた無礼者だが、申し分に言い訳がないので、早々に許す。我に奉公せよ」と言いました。その者は涙を流し、足軽頭が控えている所へ行き、「今まで心得違いをしていた者を、一命を助けられたうえ、再び召し使われるとのこと、まことに面目至極ですが、これほどまでに無礼をしたうえは、せめて我が身の咎を正します」と言って、腹を掻き切って死んだので、長政はことのほか惜しんだ、ということです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』難言第三微を述べ約を説きて、徑省にして飾らざれば
-
『春秋左氏伝』宣公二年 董狐の筆以って朝に示す。宣子曰く、「然らず」と。對へて曰く、「子は正卿為り、亡げて竟を越えず、反りて賊を討たず。子に非ずして誰ぞ」と。宣子曰く、「嗚呼、『我の懷(おも)ひ、自ら伊(こ)の慼(うれ)ひを詒(のこ)す』とは、其れ我の謂なり」と。孔子曰く、「董狐は、古の良史なり、書法隱さず。趙宣子は、古の良大夫なり、法の為に惡を受く。惜しいかな、竟を越えなば乃ち免れん」と。宣子趙穿をして公子黑臀を周に逆へしめて、之を立つ。壬申、武宮に朝す。初め、麗姬の亂に、群公子を畜ふ無からんことを詛ふ。是より晉に公族無し。成公即位するに及び、乃ち卿の適子を宦して、之が為に田を為して、以って公族と為す。又其の餘子を宦して、亦た餘子と為す。其の庶子を公行と為す。晉是に於いて公族・餘子・公行有り。趙盾括を以って公族と為さんことを請ひて曰く、「君姬氏の愛子なり。君姬氏微(な)かりせば、則ち臣は狄人なり」と。公之を許す。冬、趙盾旄車の族と為り、屏季をして其の故族を以って公族大夫と為らしむ。
-
史記 韓信盧綰列伝漢樊噲をして豨を撃ちて斬らしむ。其の裨将降り、燕王綰の范斉をして計謀を豨の所に通ぜしむと言ふ。高祖使を使はして盧綰を召すも、綰病と称す。上又辟陽侯審食其(しんいき)・御史大夫趙堯をして往きて燕王を迎へしめ、因りて左右を験問せしむ。綰愈恐れ、閉匿し、其の幸臣に謂ひて曰く、「劉氏に非ずして王たるは、独り我と長沙とのみ。往年の春、漢淮陰を族し、夏、彭越を誅す、皆呂后の計なり。今上病み、呂后に属任す。呂后は婦人にして、専ら事を以て異姓の王者及び大功臣を誅せんと欲す」と。乃ち遂に病と称して行かず。其の左右皆亡匿す。語頗る泄れ、辟陽侯之を聞き、帰りて具に上に報ず。上益怒る。又匈奴の降者を得、降者張勝の亡げて匈奴に在り、燕の使と為ると言ふ。是に於て上曰く、「盧綰果して反せり」と。樊噲をして燕を撃たしむ。燕王綰悉く其の宮人・家属・騎数千を将ゐて長城の下に居り、侯伺し、上の病愈えなば、自ら入りて謝せんことを幸ふ。四月、高祖崩じ、盧綰遂に其の衆を将ゐて亡げて匈奴に入る。匈奴以て東胡の盧王と為す。綰蛮夷の侵奪する所と為り、常に復た帰らんことを思ふ。居ること歳余にして、胡中に死す。
-
『春秋左氏伝』昭公十八年 許を析に遷す邊人恐懼して、敢へて告げずんばあらず」と。子產對へて曰く、「吾子の言の若くんば、敝邑の災は、君の憂ひなり。敝邑政を失ひて、天之に災を降す。又讒慝の之を間謀して、以て貪人を啟き、荐(しき)りに敝邑の不利を為して、以て君の憂ひを重ねんことを懼る。幸ひにして亡びずんば、猶ほ說く可きなり。不幸にして亡びなば、君之を憂ふと雖も、亦た及ぶ無し。鄭他竟有るも、望走は晉に在り。既に晉に事ふ、其れ敢へて二心有らんや」と。楚の左尹王子勝楚子に言ひて曰く、「許の鄭に於けるは、仇敵なり。而るに楚の地に居りて、以て鄭に禮あらず。晉・鄭方に睦まじ。鄭若し許を伐ちて、晉之を助けば、楚地を喪はん。君盍ぞ許を遷さざる。許は楚に專らならず。鄭は方に令政有り。許は曰く、『余が舊國なり』と。鄭は曰く、『余が俘邑なり』と。葉は楚國に在りて、方城の外の蔽なり。土は易ふ可からず、國は小とす可からず、許は俘とす可からず、讎は啟く可からず。君其れ之を圖れ」と。楚子說ぶ。冬、楚子王子勝をして許を析に遷さしむ。實に白羽なり。
-
『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
-
史記 孫子呉起列伝孫子武は、斉人なり。兵法を以て呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、「子の十三篇、吾尽く之を観たり。以て小しく兵を勒するを試みる可きか」と。対へて曰く、「可なり」と。闔廬曰く、「試みるに婦人を以てす可きか」と。曰く、「可なり」と。是に於いて之を許し、宮中の美女を出だして、百八十人を得たり。孫子、分かちて二隊と為し、王の寵姫二人を以て各々隊長と為し、皆戟を持たせしむ。之に令して曰く、「汝、而の心と左右の手と背を知るか」と。婦人曰く、「之を知る」と。孫子曰く、「前には則ち心を視よ、左には左の手を視よ、右には右の手を視よ、後ろには即ち背を視よ」と。婦人曰く、「諾」と。約束既に布かれ、乃ち鈇鉞を設け、即ち之に三令五申す。是に於いて之を右に鼓す。婦人大いに笑ふ。孫子曰く、「約束明らかならず、申令熟せざるは、将の罪なり」と。復た三令五申して之を左に鼓す。婦人復た大いに笑ふ。孫子曰く、「約束明らかならず、申令熟せざるは、将の罪なり。既に已に明らかにして而も法の如くにせざるは、吏士の罪なり」と。乃ち左右の隊長を斬らんと欲す。呉王、台上より観、且に愛姫を斬らんとするを見て大いに駭き、趣かに使ひをして令を下さしめて曰く、「寡人已に将軍の能く兵を用ゐるを知れり。寡人、此の二姫に非ずんば、食するも味はひを甘しとせず。願はくは斬る勿れ」と。孫子曰く、「臣、既に已に命を受けて将為り。将、軍に在りては、君命も受けざる所有り」と。遂に隊長二人を斬りて以て徇ふ。其の次を用ゐて隊長と為し、是に於いて復た之を鼓す。婦人、左右前後跪起し、皆規矩縄墨に中り、敢て声を出だす者無し。是に於いて孫子、使ひをして王に報ぜしめて曰く、「兵既に整斉たり。王試みに下りて之を観る可し。唯だ王の之を用ゐんと欲する所、水火に赴くと雖も猶ほ可なり」と。呉王曰く、「将軍罷休して舎に就け。寡人、下りて観るを願はじ」と。孫子曰く、「王、徒に其の言を好み、其の実を用ゐる能はず」と。是に於いて闔廬、孫子の能く兵を用ゐるを知り、卒に以て将と為す。西のかた彊楚を破りて郢に入り、北のかた斉・晋を威し、名を諸侯に顕ししは、孫子与りて力有り。