名将言行録 / 『名将言行録』黑田孝高 相口と不相口
○或時、孝高、長政一座にて、諸家老も竝居たる處に、孝高曰く、總じて人の上に相口不相口と云ふことあり、主君の家臣を使ふに、殊に之あることなり、家人多しと雖も、其内に主君の氣に應ずる者あり、是を相口と曰ふ。此者善人なれば國の重寶となり、惡人なれば國家の妨となるものなる故に、大事なりと思ふべし、各々兼ねて知る如く士共の中にも、我が相口の者ありて、傍近く召仕ひ、輕き用事をも勤めさすると雖も、彼に心を奪はるべき覺悟にあらず、然しながら、自然と相口なれば、品に寄り、若しくは、惡事を見隱すこともあるべければ、各々隨分心を付け見出し、左樣の事あらば我を諫めよ、又彼者驕りて行跡惡しき時は、各々傍へ引付け、異見をすべし、其上にも聞かざる時は、我に告げよ、詮議の上にて、罪科に行ふべし、我一人の心、諸人の上に及び難ければ、自然見付けざることもあるべし、左あらば、遠慮なく、速に告げ知らせよ、改むべし、偖又、汝等が身にも、相口不相口に寄りて仕置の上に誤り出來たることあるべし、相口なる者には、最屓の心付き、惡をも善と思ひ、或は、賄に心惑ひて惡しきと知りながら、自ら親しむものなり。不相口なる者をば、善人も惡人と思ひ、道理をも無理の樣に思ひ誤ることあり、此故に相口不相口に寄りて、仕置の事にも私曲出來るものなれば、各々能く心得べきことなり、偖又家老たる者の威高ぶりて、諸士に無禮をし、末々の輕き者には、詞をも掛けざる樣にする時は、下に遠くなる故に、諸士隔心して、上向の輕薄計り勤むる故、諸人の善惡、得手不得手知れずして、諸士にも其身の不得手なる役を勤めさすに依て、必ず仕損じ、品に寄りて、其者身上をも亡し、主君の爲めにも惡しきものなり、常に溫和にして、小身なる者をも近づけ、其者の氣質を能く見付けて、相應の役を勤めさすべし、斯樣の事は、其方などが專ら詮議すべきことなりと。
新字:○或時、孝高、長政一座にて、諸家老も並居たる処に、孝高曰く、総じて人の上に相口不相口と云ふことあり、主君の家臣を使ふに、殊に之あることなり、家人多しと雖も、其内に主君の気に応ずる者あり、是を相口と曰ふ。此者善人なれば国の重宝となり、悪人なれば国家の妨となるものなる故に、大事なりと思ふべし、各々兼ねて知る如く士共の中にも、我が相口の者ありて、傍近く召仕ひ、軽き用事をも勤めさすると雖も、彼に心を奪はるべき覚悟にあらず、然しながら、自然と相口なれば、品に寄り、若しくは、悪事を見隠すこともあるべければ、各々随分心を付け見出し、左様の事あらば我を諫めよ、又彼者驕りて行跡悪しき時は、各々傍へ引付け、異見をすべし、其上にも聞かざる時は、我に告げよ、詮議の上にて、罪科に行ふべし、我一人の心、諸人の上に及び難ければ、自然見付けざることもあるべし、左あらば、遠慮なく、速に告げ知らせよ、改むべし、偖又、汝等が身にも、相口不相口に寄りて仕置の上に誤り出来たることあるべし、相口なる者には、最屓の心付き、悪をも善と思ひ、或は、賄に心惑ひて悪しきと知りながら、自ら親しむものなり。不相口なる者をば、善人も悪人と思ひ、道理をも無理の様に思ひ誤ることあり、此故に相口不相口に寄りて、仕置の事にも私曲出来るものなれば、各々能く心得べきことなり、偖又家老たる者の威高ぶりて、諸士に無礼をし、末々の軽き者には、詞をも掛けざる様にする時は、下に遠くなる故に、諸士隔心して、上向の軽薄計り勤むる故、諸人の善悪、得手不得手知れずして、諸士にも其身の不得手なる役を勤めさすに依て、必ず仕損じ、品に寄りて、其者身上をも亡し、主君の為めにも悪しきものなり、常に温和にして、小身なる者をも近づけ、其者の気質を能く見付けて、相応の役を勤めさすべし、斯様の事は、其方などが専ら詮議すべきことなりと。
書き下し
○或時、孝高、長政一座にて、諸家老も竝居たる處に、孝高曰く、總じて人の上に相口不相口と云ふことあり、主君の家臣を使ふに、殊に之あることなり、家人多しと雖も、其内に主君の氣に應ずる者あり、是を相口と曰ふ。此者善人なれば國の重寶となり、惡人なれば國家の妨となるものなる故に、大事なりと思ふべし、各々兼ねて知る如く士共の中にも、我が相口の者ありて、傍近く召仕ひ、輕き用事をも勤めさすると雖も、彼に心を奪はるべき覺悟にあらず、然しながら、自然と相口なれば、品に寄り、若しくは、惡事を見隱すこともあるべければ、各々隨分心を付け見出し、左樣の事あらば我を諫めよ、又彼者驕りて行跡惡しき時は、各々傍へ引付け、異見をすべし、其上にも聞かざる時は、我に告げよ、詮議の上にて、罪科に行ふべし、我一人の心、諸人の上に及び難ければ、自然見付けざることもあるべし、左あらば、遠慮なく、速に告げ知らせよ、改むべし、偖又、汝等が身にも、相口不相口に寄りて仕置の上に誤り出來たることあるべし、相口なる者には、最屓の心付き、惡をも善と思ひ、或は、賄に心惑ひて惡しきと知りながら、自ら親しむものなり。不相口なる者をば、善人も惡人と思ひ、道理をも無理の樣に思ひ誤ることあり、此故に相口不相口に寄りて、仕置の事にも私曲出來るものなれば、各々能く心得べきことなり、偖又家老たる者の威高ぶりて、諸士に無禮をし、末々の輕き者には、詞をも掛けざる樣にする時は、下に遠くなる故に、諸士隔心して、上向の輕薄計り勤むる故、諸人の善惡、得手不得手知れずして、諸士にも其身の不得手なる役を勤めさすに依て、必ず仕損じ、品に寄りて、其者身上をも亡し、主君の爲めにも惡しきものなり、常に溫和にして、小身なる者をも近づけ、其者の氣質を能く見付けて、相應の役を勤めさすべし、斯樣の事は、其方などが專ら詮議すべきことなりと。
現代語訳
あるとき、孝高が長政の同席のもと、家老たちも並んでいるところで言いました。総じて人には、相口、不相口ということがある。主君が家臣を使うときに、特にあることだ。家人は多くとも、その中に主君の気に応じる者がいる。これを相口という。この者が善人であれば国の重宝となり、悪人であれば国家の妨げとなるものなので、大事だと思え。おまえたちもかねて知るとおり、士たちの中にも、私と相口の者がいて、傍近く召し使い、軽い用事も勤めさせているが、その者に心を奪われるつもりはない。しかしながら、自然と相口であれば、場合によっては、悪事を見逃すこともあるだろうから、おまえたちは十分に気をつけて見出し、そのようなことがあれば私を諫めよ。また、その者が驕って行いが悪いときは、おまえたちが傍へ引き付けて意見をせよ。それでも聞かないときは私に告げよ。詮議の上で罪科に行う。私一人の心は、多くの人の上に及びがたく、自然に見つけられないこともあるだろう。そうであれば、遠慮なく、速やかに告げ知らせよ、改める。さて、おまえたち自身も、相口、不相口によって、仕置きの上に誤りが出ることがある。相口の者には贔屓の心がつき、悪をも善と思い、あるいは賄賂に心惑い、悪いと知りながら自然に親しむものだ。不相口の者は、善人も悪人と思い、道理をも無理のように思い誤ることがある。このため、相口、不相口によって、仕置きの事にも私曲が出るものなので、おまえたちはよく心得るべきことだ。さらに、家老たる者の威が高ぶり、諸士に無礼をし、末々の軽い者には言葉もかけないようにするときは、下から遠くなるので、諸士は隔心して、上向きの軽薄ばかりを勤めるので、諸人の善悪、得手不得手が知れず、諸士にもその者の不得手な役を勤めさせるので、必ず仕損じ、場合によっては、その者の身上も亡ぼし、主君のためにもよくない。常に温和にして、小身の者をも近づけ、その者の気質をよく見つけて、相応の役を勤めさせよ。このようなことは、おまえなどが専ら詮議すべきことだ、と。
解説

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