不動智神妙録 / 諫言 其二 好む所の病
然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦氣に入りたる無智若輩の惡人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇樣の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の數奇好む所より其病にひかれ、惡に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神萬民も知るなり、如是して國を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
新字:然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
書き下し
然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
現代語訳
そうであれば、幾千人いても、いざというときに主君の役に立つ者は一人もいないでしょう。あの一時気に入った、智慧もなく若輩の悪い人は、もともと心が正しくない者ですから、事に臨んで命を捨てようと思うことなど決してありません。心の正しくない者が主君の役に立ったことは、昔から聞いたことがありません。あなたが弟子をお取り立てになるにも、このようなことがあると聞き、苦々しく思っております。これはみな、一時の好みから、その病に引かれて、悪に落ち入るのを知らないのです。人は知らないと思っても、隠れたものほど明らかになるものはない、と言って、自分の心に知っていれば、天地も鬼神も万民も知っているのです。このようにして国を保つのは、まことに危ういことではないでしょうか。そうであれば、大不忠だと存じます。
解説

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名将言行録・『名将言行録』毛利元就 君主への諫言○大內義隆、周防、長門、豐前全州を領し、安藝、石見の士皆之に屬せり。太宰大貳を兼ねし故、筑前其令に從へり。周防、山口に居城して威を西國に振ふ。其比並びなき大家にて怖るべき者なかりければ、漸々武備に怠り、遊宴を事とし、茶の湯、歌の會に日を送り、文事を好み、弓馬に疎く、軍國の事悉く陶晴賢に任しければ、晴賢漸々異心を懷けり。元就之を察し、或時間を求め義隆の前に出、古より國を簒奪する者は皆其家の大臣にて候、小身者は望みありても成らざる勢に候故に、明君賢主は能く將士を率ゐ、威を下に借さず候、下に借す時は職を投け祿を與へ候とも、之を君より出たりとせず、大臣の執成に依れりと思ふ故に、其君はなきが如くにし、大臣の權勢日に隆盛に罷成るものに候、去れば國中の士、恩の爲め志を通ずる者多くて後には動し難きに至るものに候、大臣も初めより私あらば、諸人に信ぜらるべからず、故に初めは公平に沙汰するものから、君昧くして之に專任せらるゝに及びて、何時となく政事の是非、諸士の黜陟も皆私意を恣にして、君を憚らざるに至るものに候、方今の勢甚だ危く候間、御心を付られ、下情を審にし、細務までも皆自ら之を決し給ひて、遠大の謀を定められかし、と諫めけれども、義隆更に聞入れず、遂に晴賢が爲めに、弑せられたり。
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『翁問答』上卷之本大臣の忠節は、其業大なる故に大忠と云、小臣の忠節は、其事小なる故に小忠と云ふ、主君の嫌ふ事にても、君の為め国家の為め家中の為めによき事なれば、主君の必ず行ひ給ふ様に、能く諫めを成し、主君の好む事にても、悪しき事なれば、必ず止め給ふ様に能く諫めて、主の心立身持道に叶ひ、万化の本を正し、国を穏かに末永く栄へ給ふ様にと、一心に思ひ入れ、我が身の為めは少しも顧みず、竜逢比干の諫めて死したる心を守り身を棄て主の為めを第一にするを大忠と云ふ、是は家老出頭の忠節なり是非善悪を撰ばず、主の下知に従ひて、一心に君を敬ひ身を棄て、其職分を勤仕するを小忠と云ふ、是は小身なる臣下の忠節なり、