名将言行録 / 『名将言行録』黑田孝高 家康への疑いに答える
○孝高、京に上りければ、門前市を爲せり。山名禪高、孝高と年來の友なりしかば、孝高の許に來て曰く、諸將の尊崇大方ならず、殊に夜中に密談もあるとて、世の疑ひもあるなり、中にも結城秀康、親の如くに敬はれ候、旁々家康怪み思はるゝ所なり、家康は遠き慮ある人なれば、此方に心易く出入する人の中にも、如何なる目付を設けられたるも計られず、筑前守の武略、家康の恩賞淺からず候に、斯くては筑前守の爲めに惡かりなん、家康頻りに用心あるも、皆御邊を恐れてのことなり、と人も申なり、猶又た醍醐、山科、宇治に浪人餘多居るも、御邊の蹤し置きたると人々疑ひ申なり如何にと。孝高聞きもあへず、家康を攻亡し、天下を取らんと思はんには、最易きことなり、去りし比、筑紫をば皆打平げたり、只島津のみ殘りしが、是も扱を掛けて味方とせんに否むことは之あるまじ、若し權突かば、攻敗らんこと、是亦易き所なり、偖中國は、備前、播磨まで皆空國にてありしかば、我其頃二萬餘の軍兵を率る、加藤、鍋島は既に我に隨從すれば、兩先陣として、海陸二た手に分け、道すがら浪人共を狩集めんに、十萬はあるべし、清正は猛將なり、吾旗本に在りて攻登るならば、家康を討滅さんこと、掌の中に在りと覺えたれども、我年老ぬ、詮なきことゝ思ひ、伐從へし國を捨て、京に登りしに臆病者共の戲氣にて、色色の事に恐れて、言ふことを、誠と心得られたるやとて、扇を拔て疊を打て、大言せしかば、禪高兎角の詞なくて歸られけり。
新字:○孝高、京に上りければ、門前市を為せり。山名禅高、孝高と年来の友なりしかば、孝高の許に来て曰く、諸将の尊崇大方ならず、殊に夜中に密談もあるとて、世の疑ひもあるなり、中にも結城秀康、親の如くに敬はれ候、旁々家康怪み思はるゝ所なり、家康は遠き慮ある人なれば、此方に心易く出入する人の中にも、如何なる目付を設けられたるも計られず、筑前守の武略、家康の恩賞浅からず候に、斯くては筑前守の為めに悪かりなん、家康頻りに用心あるも、皆御辺を恐れてのことなり、と人も申なり、猶又た醍醐、山科、宇治に浪人余多居るも、御辺の蹤し置きたると人々疑ひ申なり如何にと。孝高聞きもあへず、家康を攻亡し、天下を取らんと思はんには、最易きことなり、去りし比、筑紫をば皆打平げたり、只島津のみ残りしが、是も扱を掛けて味方とせんに否むことは之あるまじ、若し権突かば、攻敗らんこと、是亦易き所なり、偖中国は、備前、播磨まで皆空国にてありしかば、我其頃二万余の軍兵を率る、加藤、鍋島は既に我に随従すれば、両先陣として、海陸二た手に分け、道すがら浪人共を狩集めんに、十万はあるべし、清正は猛将なり、吾旗本に在りて攻登るならば、家康を討滅さんこと、掌の中に在りと覚えたれども、我年老ぬ、詮なきことゝ思ひ、伐従へし国を捨て、京に登りしに臆病者共の戯気にて、色色の事に恐れて、言ふことを、誠と心得られたるやとて、扇を抜て畳を打て、大言せしかば、禅高兎角の詞なくて帰られけり。
書き下し
○孝高、京に上りければ、門前市を爲せり。山名禪高、孝高と年來の友なりしかば、孝高の許に來て曰く、諸將の尊崇大方ならず、殊に夜中に密談もあるとて、世の疑ひもあるなり、中にも結城秀康、親の如くに敬はれ候、旁々家康怪み思はるゝ所なり、家康は遠き慮ある人なれば、此方に心易く出入する人の中にも、如何なる目付を設けられたるも計られず、筑前守の武略、家康の恩賞淺からず候に、斯くては筑前守の爲めに惡かりなん、家康頻りに用心あるも、皆御邊を恐れてのことなり、と人も申なり、猶又た醍醐、山科、宇治に浪人餘多居るも、御邊の蹤し置きたると人々疑ひ申なり如何にと。孝高聞きもあへず、家康を攻亡し、天下を取らんと思はんには、最易きことなり、去りし比、筑紫をば皆打平げたり、只島津のみ殘りしが、是も扱を掛けて味方とせんに否むことは之あるまじ、若し權突かば、攻敗らんこと、是亦易き所なり、偖中國は、備前、播磨まで皆空國にてありしかば、我其頃二萬餘の軍兵を率る、加藤、鍋島は既に我に隨從すれば、兩先陣として、海陸二た手に分け、道すがら浪人共を狩集めんに、十萬はあるべし、清正は猛將なり、吾旗本に在りて攻登るならば、家康を討滅さんこと、掌の中に在りと覺えたれども、我年老ぬ、詮なきことゝ思ひ、伐從へし國を捨て、京に登りしに臆病者共の戲氣にて、色色の事に恐れて、言ふことを、誠と心得られたるやとて、扇を拔て疊を打て、大言せしかば、禪高兎角の詞なくて歸られけり。
現代語訳
孝高が京に上ると、門前は市のようになりました。山名禅高は、孝高と長年の友であったので、孝高のもとに来て言いました。諸将の尊敬は並大抵でなく、ことに夜中に密談もあるといって、世の疑いもあります。中でも結城秀康は親のように敬い、いろいろと家康が怪しく思われるところです。家康は遠い思慮のある人なので、こちらに気安く出入りする人の中にも、どんな目付けを設けられているか分かりません。筑前守の武略に、家康の恩賞も浅くないのに、これでは筑前守のためによくないでしょう。家康がしきりに用心されるのも、皆あなたを恐れてのことと、人も申しています。さらにまた、醍醐、山科、宇治に浪人が大勢いるのも、あなたが放ち置いたものと人々は疑っています。いかがでしょうかと。孝高は聞くか聞かないかのうちに、家康を攻め滅ぼし、天下を取ろうと思うなら、最も易しいことだ、先ごろ筑紫をすべて平らげた、ただ島津のみが残ったが、これも交渉を持ちかけて味方にすれば断ることはないだろう、もし強く出れば、攻め破ることも易しい、さて中国は、備前、播磨まで皆空国であったので、私はその頃二万余の軍兵を率い、加藤、鍋島はすでに私に従っているので、両先陣として、海陸二手に分け、道すがら浪人たちを狩り集めれば、十万はいるだろう、清正は猛将である、私の旗本にあって攻め上るなら、家康を討ち滅ぼすことは、掌の中にあると思ったが、私は年老いた、詮ないことと思い、討ち従えた国を捨てて京に上ったのに、臆病者どもの戯れ気で、いろいろなことに恐れて言うことを、真に受けられたのか、と言って、扇を抜いて畳を打ち、大言したので、禅高は何も言えず帰りました。
解説

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『驢鞍橋』卷下一日、去る者来て曰く、何某和尚は、道者と云はれ給ふか、又此頃は悪名世間に語り伝ふと云ふ。師聞て曰く、左も無くして、人に道者と貴はれたる咎遁れ難かるへし。天道是れを許さんや。夫れほど又世間に耻を曝らして、その報ひを返さで叶はす。或は機違ひ、或は死苦病苦强かるへし。総じて徳無くして人に貴はるゝ程の咎なし。又曰く、天然と通力抔有り、奇特の業を作す性は、悪の性、化物性也。たとひ通有りとも、一悪をも断替かする為めにも成るへからす、心は人に易らすして人に貴はるゝこと、大なる咎也。
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