名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 国病を治す三味の薬
○秀吉、無學の人なれども、常に伽の者に、碩學の僧、又博聞の者を召し、臥しながら咄を聞て、國を治め天下を平らかにする道、敵を擒にし、城を攻るの策を問ふ。各和漢の書籍にあることを以て答ふ、心に叶ひしことあらば、即時に之を行へり。 ○秀吉、國病を治する三昧の妙藥あり、一に天を畏れ、二に身を修め、三に儉を守る。禁物四味、一に私を爲し、二に邪慾を思ひ、三に物に怠り、四に非義を行ふ。右四味を去り、三味を用ふれば、國病生ぜず。又加減關白圓と云ふあり。正直五兩、堪忍四兩、思案三兩、分別二兩、用捨一兩、禁物、無理、慮外、過言、無心、油斷。 ○秀吉、平日近臣への教訓、大酒飲むべからず、朝寢すべからず、物に退屈すべからず、女に心ゆるすな、少しの事も分別せよ愚痴なる者は恐れよ、我行末を思ひ、物爭すべからず、公儀を恐れよ、火を慎め、心に關をせよ、苦を樂にせよ、樂を苦にせよ。貴人は無理なるものと思へ、主人は被官に慈悲をせよ、被官は家を修めよ、人は義理を肝要とせよ、天道を恐れよ、公事すべからず、婦人憐むべし、假初にも虛言すべからず、人は氣魂を專らにすべし、婬欲を中道にすべし、死後の分別すべし、人の先途を見屆くべし、深ざれすべからず、醉狂人には道をよくべし。
新字:○秀吉、無学の人なれども、常に伽の者に、碩学の僧、又博聞の者を召し、臥しながら咄を聞て、国を治め天下を平らかにする道、敵を擒にし、城を攻るの策を問ふ。各和漢の書籍にあることを以て答ふ、心に叶ひしことあらば、即時に之を行へり。 ○秀吉、国病を治する三昧の妙薬あり、一に天を畏れ、二に身を修め、三に倹を守る。禁物四味、一に私を為し、二に邪慾を思ひ、三に物に怠り、四に非義を行ふ。右四味を去り、三味を用ふれば、国病生ぜず。又加減関白円と云ふあり。正直五両、堪忍四両、思案三両、分別二両、用捨一両、禁物、無理、慮外、過言、無心、油断。 ○秀吉、平日近臣への教訓、大酒飲むべからず、朝寝すべからず、物に退屈すべからず、女に心ゆるすな、少しの事も分別せよ愚痴なる者は恐れよ、我行末を思ひ、物争すべからず、公儀を恐れよ、火を慎め、心に関をせよ、苦を楽にせよ、楽を苦にせよ。貴人は無理なるものと思へ、主人は被官に慈悲をせよ、被官は家を修めよ、人は義理を肝要とせよ、天道を恐れよ、公事すべからず、婦人憐むべし、仮初にも虚言すべからず、人は気魂を専らにすべし、婬欲を中道にすべし、死後の分別すべし、人の先途を見届くべし、深ざれすべからず、酔狂人には道をよくべし。
書き下し
○秀吉、無學の人なれども、常に伽の者に、碩學の僧、又博聞の者を召し、臥しながら咄を聞て、國を治め天下を平らかにする道、敵を擒にし、城を攻るの策を問ふ。各和漢の書籍にあることを以て答ふ、心に叶ひしことあらば、即時に之を行へり。 ○秀吉、國病を治する三昧の妙藥あり、一に天を畏れ、二に身を修め、三に儉を守る。禁物四味、一に私を爲し、二に邪慾を思ひ、三に物に怠り、四に非義を行ふ。右四味を去り、三味を用ふれば、國病生ぜず。又加減關白圓と云ふあり。正直五兩、堪忍四兩、思案三兩、分別二兩、用捨一兩、禁物、無理、慮外、過言、無心、油斷。 ○秀吉、平日近臣への教訓、大酒飲むべからず、朝寢すべからず、物に退屈すべからず、女に心ゆるすな、少しの事も分別せよ愚痴なる者は恐れよ、我行末を思ひ、物爭すべからず、公儀を恐れよ、火を慎め、心に關をせよ、苦を樂にせよ、樂を苦にせよ。貴人は無理なるものと思へ、主人は被官に慈悲をせよ、被官は家を修めよ、人は義理を肝要とせよ、天道を恐れよ、公事すべからず、婦人憐むべし、假初にも虛言すべからず、人は氣魂を專らにすべし、婬欲を中道にすべし、死後の分別すべし、人の先途を見屆くべし、深ざれすべからず、醉狂人には道をよくべし。
現代語訳
秀吉は無学の人でしたが、常に伽の者として、学問のある僧や見聞の広い者を呼び、寝ながら話を聞いて、国を治め天下を平らかにする道、敵を捕らえ城を攻める策を尋ねました。それぞれが和漢の書物にあることをもって答え、心にかなうことがあれば、すぐにこれを実行しました。 秀吉には、国の病を治す三味の妙薬がありました。一に天を畏れること、二に身を修めること、三に倹約を守ることです。禁物は四味で、一に私心をはたらかせること、二に邪な欲を思うこと、三に物事を怠ること、四に道理に外れたことを行うことです。この四味を除き、三味を用いれば、国の病は生じません。また、加減関白円というものもあります。正直五両、堪忍四両、思案三両、分別二両、用捨一両、禁物は、無理、慮外、過言、無心、油断です。 秀吉が普段、近臣へ与えた教訓は、大酒を飲むな、朝寝をするな、物事に退屈するな、女に心を許すな、少しのことも分別せよ、愚痴な者は恐れよ、自分の行く末を思い、争うな、公儀を恐れよ、火を慎め、心に関を設けよ、苦を楽にせよ、楽を苦にせよ。貴人は無理なものと思え、主人は被官に慈悲をかけよ、被官は家を修めよ、人は義理を肝要とせよ、天道を恐れよ、訴訟沙汰をするな、婦人を憐れめ、かりそめにも嘘をつくな、人は気魂を専らにせよ、淫欲は中ほどにせよ、死後の分別をせよ、人の行く末を見届けよ、深く戯れるな、酔狂人には道を譲れ、というものでした。
解説

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名将言行録・『名将言行録』鍋島直茂 三つの器と法の運用○秀吉伽の者、或時秀吉に向ひ、當時天下を取り申す器量の大名之あり候やと問ければ、秀吉、天下を取ることは大氣勇氣智惠なければならず、此三つを兼ねたる大名一人もなし、又小者には二つづゝ兼ねたる者三人あり、上杉が直江山城、是は大氣勇氣あれども、智惠掛合はず、毛利が小早川左衞門、是は大氣智惠あれども、勇氣掛合はず、龍造寺が鍋島飛驒守、是は勇氣智惠あれども、大氣がなし、大名には是程の者もなしと言はれたり。 ○直茂曰く、義理程感深きものはなし、從弟抔の死たる時、涙を流さぬこともあるに、緣りもなく、見も知りもせぬ、五十年も百年も以上の人の上を聞て、義理なることには、落淚するものなりと。 ○又曰く、上下によらず時節到來すれば、家が崩るゝものなり、其時崩す間敷とすれば、きたな崩しするなり、時節到來と思はゞ、崩したるが能きなり、其時は抱留ることもあるものなりと。 ○又曰く、我氣に入らぬことが、我爲めに成るものなりと。 ○又曰く、家々の掟は種々あるべし、其内に火あぶりは磔、磔は切腹、切腹は浪人、浪人は只叱りて置くべし、叱る者は只やわらかにすべし、叱るべき者を浪人、浪人さすべき者を切腹、切腹さすべき者を磔、磔に掛くべき者を火あぶりと、箇樣にせば、其過分の積る所、勝茂の身の上たるべし、返す〱罰は輕くし、少しの忠も重くせば、家は連續すべしと。故に勝茂より法に背きたる者を罰すべくと言はれし毎に、何角と言直され、助けられし者寡なからずとぞ。
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名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 金を貯めず配る○秀吉、出遊毎に銀錢を大財布に入れて持行き途中に遊び居る童子、又は乞食非人に、悉くまき與へて歸れり。又金藏に金銀充滿せしを、藏拂と名づけ、二度まで取出し諸大名に配分せり。其言に曰く、金銀多分積み置くは、能き士を牢へ押込め置くに等しとて、殘らず開き與へられたり。又秀吉諸大名へ加增を賜はるに、少しづつにてはなく、一箇二箇國抔賜はる、或者左樣にては御藏入少く成り候はんと申ければ、秀吉、我天下を取れば、大名に遣はすとても、皆我國なり、其藏入なくば、毎日諸大名より一飯を養はれて濟むことなりと言はれけり。 ○秀吉、諸大名の勝手不如意なる人之ある由を聞けば、某は身體ならざる由なり、普請を申付くべくと言はる。普請の法は假令ば二百人にて勤むべき程の普請を、四百人程の人積りにして扶持方を渡し、其大名の國元を罷出候日限を始として、普請成就までの内の扶持方を渡す故、普請を合力と思はる。又は合力四百人程のことにて、二百人程の普請出來は、自他ともに能きことゝの積りなり。
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・奢る者への戒めと忠臣の見分け只金銀のみ好みぬれば災の媒と成ぞ、武家武に怠り公家風になれば、刀脇差代に替金銀を巾着に入れ丸腰にて往來して命を失ふに同じ、只各家職をよく勤る者を擧て、奢を絕て、慈悲を萬本として天下を治め給へと申べし、同上意に、關白秀次木村が大阪城より水指の蓋を取に參り候よし申付て是を賞翫して、秀吉の大恩を忘れ、忽亡びられたれ、必武道不案內成者は其分別にて先を知らず、物も俄に行當る臆病の臆病者はがさつにて奢り強し、奢り強きものは依怙最負あり、如斯者は一門家臣を始め大身成者程賴みにならず、云々、同上意に、忠臣は大小上下近習外樣古參新參によらざる物ぞ、只人の心に有ぞ、然る時汝等は諸人に心安くあてがひ、其者の埋れざる樣にして忠臣を盡させよ、汝等高上にして諸人□□入根に成時は、譬へば上よりは天にのぼりひとし、下よりは地に入もひとし、此時君臣の間遠ざかり緣切れて家滅亡するぞ、總じて主人家老の前にて少々の無禮に見ゆる程成者が多分陰程上を大事に思ふ物ぞ、家老出頭也とて跡先の考へなしに諸人に慮外をする時は諸人非なき主を恨むる物ぞ、此考へなくはいもふするを滿足し主をかさに着て奢る者はうつけの頂上なり、若是に小邪をふくむ者あらば彼の彌四郞秦の趙高の類也、又人に慮外を仕掛られて何とも思はぬ者は何の役にも立ぬ物ぞ、よく〱心得べし、同じ侍が時運によりてこそ主と成、家老出頭と成、諸侍と成、當分おのれ時に逢たりとても、諸人に慮外をし侈り強き者がうつけ者成によりて、天下の事は言に及ばず、國主郡主家中にも奢者は災に成る故嫌ふ也、此故に下野が家來小笠原監物を松が島へ流せしぞ、監物一廉下野が用にも立べき者なれども侈り有し故、以來旗本諸大名家中迄も奢有る者は如此するぞと、近くは見る者遠く聞せ奢をたつべき爲如此ぞ、秀吉も木村常陸を早く成敗し給はゞ秀次の惡も是程迄には有まじきぞ、
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名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 光秀の舌を巻かせた褒美○明智光秀の臣、宮部加兵衞、初め秀吉に仕ふ。光秀、一日宮部に向ひ、其方嚮きに秀吉に奉公せしと聞く、秀吉の人を使ふ樣如何と尋ねければ、左せる異なることも之れなく候、去ながら誰にても少し出來たることには、思ひの外なる褒美にて驚く程のことにて候と申ければ、光秀、舌を振ひしとぞ。 ○秀吉は磊落の氣象故、人に對して詞常に傲れり。光秀は謹厚の人なれば、詞常に慇懃なり。一日秀吉、光秀に向ひ、貴殿は周山に夜普請して謀反を企てらるゝと、人皆言へり、如何なりと問ふ。光秀、やくたいもないことを言はるゝと言て、止みけるとぞ。 ○十年、信長、武田氏を亡せし時、秀吉は毛利に向て軍に從はず。勝頼死て甲斐平均せりと云を聞き、大息して曰く、あたら人を殺したることの殘り多さよ、我軍中に在るならば、強て諫めて勝頼に甲信二州を與へて、關東の先陣としたらんには、東國は平ら押しにすべきにと繰返し悔みけり。 ○秀吉備中に陣して毛利と和平せんことを計り、密に手立を運らし、中國の米を、價を貴く買ひしかば、城米を出して賣る者多し。小早川隆景一人、固く制して賣らせず、信長弑せられて、秀吉、毛利家と手切なるべかりしに、兵粮の豐かならざる故、終に和平に及べり。