名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 松茸狩と気魄
○或年八月の末、秀吉に東山の松茸多く出で見事なる由告ぐれば、近日茸狩に行くべしと言はる。之に依り松茸を取らせざる樣にと、見分の者參りし所に、早や京中の者、此中松茸を取り、殘り少になりける故、諸方の山々より松茸を取寄せ、一夜の中に悉く植置ける。偖秀吉、女房共多く召連れ、松茸を取りて機嫌殘る所なし。女房共取りたると雖も、自然に出たると植たるとは格別なるに、之を知り給はざるかと思ひ、或女房密に斯くと告ければ、秀吉笑ひ、其段疾くに存居れども、機嫌を能く致度く、諸人尊み願ふ心、何に替へ申べきや、だまれ〱と手まねきせられしとぞ。又山城の内山里と曰ふ所を、梅松と曰ふ坊主に預けらる、新に松を植ゑ程もなきに松茸生たりとて獻ず。秀吉笑て、吾威光誠に左もあらんと言はれけり。其後數度獻ず、實は他所より求めて獻ぜしなり。秀吉近臣に最早松茸獻ずること止めさせよ、生え過ると言はれけり。 好話柄なるかな。 ○秀吉、嘗て我前にて物を書せしことあり。執筆の者醍醐の醍の字を忘れければ、秀吉指にて疊に大の字を書て見せ、汝知らずんば、斯の如く書すべしと言はれけり。又發句あり、『奥山に紅葉踏み分け鳴く螢』と言へば、紹巴、螢は鳴く虫に候はずと申す。秀吉聞て、螢に聲なくとも、吾鳴せんとせば、鳴かさずしてやあるべき、と言はれけり。又近臣に問て曰く、人皆我面は猿に似たりと言ふ、然るや否と。近臣然るにあらず、猿の面の、君に似たるなりと答へり。 其氣魄の豪適なること斯の如し。
新字:○或年八月の末、秀吉に東山の松茸多く出で見事なる由告ぐれば、近日茸狩に行くべしと言はる。之に依り松茸を取らせざる様にと、見分の者参りし所に、早や京中の者、此中松茸を取り、残り少になりける故、諸方の山々より松茸を取寄せ、一夜の中に悉く植置ける。偖秀吉、女房共多く召連れ、松茸を取りて機嫌残る所なし。女房共取りたると雖も、自然に出たると植たるとは格別なるに、之を知り給はざるかと思ひ、或女房密に斯くと告ければ、秀吉笑ひ、其段疾くに存居れども、機嫌を能く致度く、諸人尊み願ふ心、何に替へ申べきや、だまれ〱と手まねきせられしとぞ。又山城の内山里と曰ふ所を、梅松と曰ふ坊主に預けらる、新に松を植ゑ程もなきに松茸生たりとて献ず。秀吉笑て、吾威光誠に左もあらんと言はれけり。其後数度献ず、実は他所より求めて献ぜしなり。秀吉近臣に最早松茸献ずること止めさせよ、生え過ると言はれけり。 好話柄なるかな。 ○秀吉、嘗て我前にて物を書せしことあり。執筆の者醍醐の醍の字を忘れければ、秀吉指にて畳に大の字を書て見せ、汝知らずんば、斯の如く書すべしと言はれけり。又発句あり、『奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍』と言へば、紹巴、蛍は鳴く虫に候はずと申す。秀吉聞て、蛍に声なくとも、吾鳴せんとせば、鳴かさずしてやあるべき、と言はれけり。又近臣に問て曰く、人皆我面は猿に似たりと言ふ、然るや否と。近臣然るにあらず、猿の面の、君に似たるなりと答へり。 其気魄の豪適なること斯の如し。
書き下し
○或年八月の末、秀吉に東山の松茸多く出で見事なる由告ぐれば、近日茸狩に行くべしと言はる。之に依り松茸を取らせざる樣にと、見分の者參りし所に、早や京中の者、此中松茸を取り、殘り少になりける故、諸方の山々より松茸を取寄せ、一夜の中に悉く植置ける。偖秀吉、女房共多く召連れ、松茸を取りて機嫌殘る所なし。女房共取りたると雖も、自然に出たると植たるとは格別なるに、之を知り給はざるかと思ひ、或女房密に斯くと告ければ、秀吉笑ひ、其段疾くに存居れども、機嫌を能く致度く、諸人尊み願ふ心、何に替へ申べきや、だまれ〱と手まねきせられしとぞ。又山城の内山里と曰ふ所を、梅松と曰ふ坊主に預けらる、新に松を植ゑ程もなきに松茸生たりとて獻ず。秀吉笑て、吾威光誠に左もあらんと言はれけり。其後數度獻ず、實は他所より求めて獻ぜしなり。秀吉近臣に最早松茸獻ずること止めさせよ、生え過ると言はれけり。 好話柄なるかな。 ○秀吉、嘗て我前にて物を書せしことあり。執筆の者醍醐の醍の字を忘れければ、秀吉指にて疊に大の字を書て見せ、汝知らずんば、斯の如く書すべしと言はれけり。又發句あり、『奥山に紅葉踏み分け鳴く螢』と言へば、紹巴、螢は鳴く虫に候はずと申す。秀吉聞て、螢に聲なくとも、吾鳴せんとせば、鳴かさずしてやあるべき、と言はれけり。又近臣に問て曰く、人皆我面は猿に似たりと言ふ、然るや否と。近臣然るにあらず、猿の面の、君に似たるなりと答へり。 其氣魄の豪適なること斯の如し。
現代語訳
ある年の八月末、東山に松茸がたくさん出て見事だと秀吉に告げる者があり、近いうちに茸狩りに行くと秀吉は言いました。そこで松茸を取らせないようにと見張りの者が行ったところ、すでに京中の人々がこのところ松茸を取って、残りは少なくなっていました。そこで諸方の山々から松茸を取り寄せ、一夜のうちに残らず植えておきました。さて秀吉は女房たちを大勢連れて松茸を取り、ご機嫌は申し分ありませんでした。女房たちは取ったものの、自然に生えたのと植えたのとでは格別違うのに、秀吉はお気づきでないのかと思い、ある女房がこっそりその旨を告げると、秀吉は笑って、そのことはとっくに知っていたが、機嫌をよくしたい、人々が敬い願う心は何にも替えがたい、黙れ黙れと手招きして言ったということです。また、山城の内の山里という所を梅松という坊主に預けたところ、新しく松を植えてまもないのに松茸が生えたといって献上しました。秀吉は笑って、私の威光ならそのようなこともあろうと言いました。その後も何度も献上しましたが、実は他所から求めて献上したのでした。秀吉は近臣に、もう松茸を献上するのを止めさせよ、生え過ぎると言ったということです。 よい話柄である。 秀吉は以前、私の前で物を書かせたことがありました。執筆の者が醍醐の醍の字を忘れたので、秀吉は指で畳に大の字を書いて見せ、お前が知らないなら、こう書かせればよいと言いました。また発句に、奥山に紅葉踏み分け鳴く螢と詠むと、紹巴が、螢は鳴く虫ではございませんと申しました。秀吉は聞いて、螢に声がなくても、私が鳴かせようとすれば、鳴かさずにおくものか、と言いました。また近臣に、人は皆私の顔は猿に似ていると言うが、そうか違うかと尋ねました。近臣は、そうではございません、猿の顔が殿に似ているのです、と答えました。 その気魄の豪快なこと、このようである。
解説

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