名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 評・青年期の処世
秀吉が、青年時代の處世の態度であり、後世の範とするに足りる。
新字:秀吉が、青年時代の処世の態度であり、後世の範とするに足りる。
書き下し
秀吉が、青年時代の處世の態度であり、後世の範とするに足りる。
現代語訳
これは秀吉の青年時代の処世の態度であり、後世の手本とするに足ります。
解説
菊池寛は評で、前の逸話に見える秀吉の考え方を、青年時代の処世の態度として、後世の手本とするに足りると評します。短い一文ですが、大言を吐くより、届く目標を積み重ねる姿勢を高く見ていることがわかります。これは1943年の作家の見方であり、立身出世を肯定的に語る当時の風潮も背後にあるでしょう。現代では、目標を小さく刻むことを手本とみなすか、野心の小ささと見るか、読者それぞれの働き方に引きつけて考えられます。

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菊池寛の評処世青年時代手本目標積み重ね
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