名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 無実の罪と奉公の別れ
然る所家中の嫉みありて、無實の罪を申掛け、一同して貰はんと言ふ。之綱聞て惜き者ながら大勢には替へ難しとて暇を申渡す。日吉聞き、私事何の罪ありしにや願人と對決仰付られ下され候へと言ふ。之綱曰く、汝に怪き事あらば對決申付くべし、汝は正直なれども、家中一同して無實を申掛ることとなれば、汝此所に在りては、相手は多し、害に逢ふこと必定なり、是を思ふに依て暇を出だすと言ふ。日吉曰く、一度盜人の惡名を受け、言開かざれば一生の恥、雪ぎ難し、是非對決なくば、御家を出づまじと言ふ。之綱怒て主人に向て推參なりと言ければ、日吉飛び退き、淚を流し、口惜きこと哉、假令幾人ありとも、人に無實を言掛る樣なる淺間敷者何の御用に立申べきや、一人たりとも忠臣こそ、誠の臣ならめ、斯る愚將と知らず、粉骨を盡くし、奉公せしこと殘念なりと囁き、即ち之綱より賜はりたる脇差と鳥目五百錢を返進して、之綱が許を立去り、又中村に歸れり。
新字:然る所家中の嫉みありて、無実の罪を申掛け、一同して貰はんと言ふ。之綱聞て惜き者ながら大勢には替へ難しとて暇を申渡す。日吉聞き、私事何の罪ありしにや願人と対決仰付られ下され候へと言ふ。之綱曰く、汝に怪き事あらば対決申付くべし、汝は正直なれども、家中一同して無実を申掛ることとなれば、汝此所に在りては、相手は多し、害に逢ふこと必定なり、是を思ふに依て暇を出だすと言ふ。日吉曰く、一度盗人の悪名を受け、言開かざれば一生の恥、雪ぎ難し、是非対決なくば、御家を出づまじと言ふ。之綱怒て主人に向て推参なりと言ければ、日吉飛び退き、涙を流し、口惜きこと哉、仮令幾人ありとも、人に無実を言掛る様なる浅間敷者何の御用に立申べきや、一人たりとも忠臣こそ、誠の臣ならめ、斯る愚将と知らず、粉骨を尽くし、奉公せしこと残念なりと囁き、即ち之綱より賜はりたる脇差と鳥目五百銭を返進して、之綱が許を立去り、又中村に帰れり。
書き下し
然る所家中の嫉みありて、無實の罪を申掛け、一同して貰はんと言ふ。之綱聞て惜き者ながら大勢には替へ難しとて暇を申渡す。日吉聞き、私事何の罪ありしにや願人と對決仰付られ下され候へと言ふ。之綱曰く、汝に怪き事あらば對決申付くべし、汝は正直なれども、家中一同して無實を申掛ることとなれば、汝此所に在りては、相手は多し、害に逢ふこと必定なり、是を思ふに依て暇を出だすと言ふ。日吉曰く、一度盜人の惡名を受け、言開かざれば一生の恥、雪ぎ難し、是非對決なくば、御家を出づまじと言ふ。之綱怒て主人に向て推參なりと言ければ、日吉飛び退き、淚を流し、口惜きこと哉、假令幾人ありとも、人に無實を言掛る樣なる淺間敷者何の御用に立申べきや、一人たりとも忠臣こそ、誠の臣ならめ、斯る愚將と知らず、粉骨を盡くし、奉公せしこと殘念なりと囁き、即ち之綱より賜はりたる脇差と鳥目五百錢を返進して、之綱が許を立去り、又中村に歸れり。
現代語訳
ところが家中の嫉みがあり、無実の罪を言いかけ、一同して訴えた。之綱は聞いて、惜しい者ではあるが大勢には替えがたいといって、暇を言い渡した。日吉は聞き、私に何の罪があるのでしょうか、訴え人と対決を仰せ付けくださいと言う。之綱は、お前に怪しいことがあれば対決を申し付けようが、お前は正直であっても、家中一同して無実を言いかけることなので、お前がここにいては、相手は多く、害に遭うことは必定である、これを思うので暇を出すのだ、と言う。日吉は、一度盗人の悪名を受け、言い開かなければ一生の恥となり、雪ぎがたい、是非対決がなければ、お家を出ません、と言う。之綱が怒って、主人に向かって推参だ、と言うと、日吉は飛びのいて、涙を流し、口惜しいことだ、たとえ幾人いても、人に無実を言いかけるような浅ましい者が何の御用に立ちましょう、一人であっても忠臣こそ、まことの臣であろう、このような愚将と知らず、粉骨を尽くして奉公したことが残念だ、とつぶやき、すぐに之綱から賜った脇差と鳥目五百銭を返し、之綱のところを立ち去り、また中村に帰った。
解説

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