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名将言行録 / 『名将言行録』高橋鎭種 山城に託した頼み

○鎭種、岩屋に籠りし時、杉山山城を山城殿と言て呼ぶに付、山城如何樣のことゝも存ぜず出でし所、鎭種曰く、當城恙なきこと二十日の間たるべく、夫に付ては、其方に頼み度こと之あり候、承はるべくや承はる間敷やと言ふ。山城兎角申すべき樣なくて、謹みて居たりしが、側に屋山中務居りしに向ひ、山城殿と、冥加懼ろしき御意を承はり、前後を忘れたりと計り申す。其時、鎭種惣じて主と爲り、臣と爲ることは士の習なり。其方先祖のこと、鎌倉北條以來、三原の某と相知れたり。今に其證文共所持の由、結句當家よりも、嚴重の義なり、屋形より、鎭種に相備と仰付られ、今に至ては大體譜第同前に心易く存ずる其方なり、大切の用を賴み申すに、今更千町萬町の知行違はすと申すとも、名計りにて實に用ふべき便なし。然らば昔等輩の挨拶に之ありし所を以て、其方を崇敬すること志計りの賞なりと言ふ。山城感涙に堪へ兼ね、何事にても御請申べき由申ければ、鎭種去らば、彌七郎統增を敵中に置くは、死出の障はりなれば、其方罷越し、連退き寶滿へ引取るか、然らずば、差殺し給はるべしと言ふ。山城甲斐々々敷請合ひ、頓て鎭種の心の如く、終に統增を奪ひ出し、寶滿城にぞ楯籠りけり。

新字:○鎮種、岩屋に籠りし時、杉山山城を山城殿と言て呼ぶに付、山城如何様のことゝも存ぜず出でし所、鎮種曰く、当城恙なきこと二十日の間たるべく、夫に付ては、其方に頼み度こと之あり候、承はるべくや承はる間敷やと言ふ。山城兎角申すべき様なくて、謹みて居たりしが、側に屋山中務居りしに向ひ、山城殿と、冥加懼ろしき御意を承はり、前後を忘れたりと計り申す。其時、鎮種惣じて主と為り、臣と為ることは士の習なり。其方先祖のこと、鎌倉北条以来、三原の某と相知れたり。今に其証文共所持の由、結句当家よりも、厳重の義なり、屋形より、鎮種に相備と仰付られ、今に至ては大体譜第同前に心易く存ずる其方なり、大切の用を頼み申すに、今更千町万町の知行違はすと申すとも、名計りにて実に用ふべき便なし。然らば昔等輩の挨拶に之ありし所を以て、其方を崇敬すること志計りの賞なりと言ふ。山城感涙に堪へ兼ね、何事にても御請申べき由申ければ、鎮種去らば、弥七郎統增を敵中に置くは、死出の障はりなれば、其方罷越し、連退き宝満へ引取るか、然らずば、差殺し給はるべしと言ふ。山城甲斐々々敷請合ひ、頓て鎮種の心の如く、終に統增を奪ひ出し、宝満城にぞ楯籠りけり。

書き下し

○鎭種、岩屋に籠りし時、杉山山城を山城殿と言て呼ぶに付、山城如何樣のことゝも存ぜず出でし所、鎭種曰く、當城恙なきこと二十日の間たるべく、夫に付ては、其方に頼み度こと之あり候、承はるべくや承はる間敷やと言ふ。山城兎角申すべき樣なくて、謹みて居たりしが、側に屋山中務居りしに向ひ、山城殿と、冥加懼ろしき御意を承はり、前後を忘れたりと計り申す。其時、鎭種惣じて主と爲り、臣と爲ることは士の習なり。其方先祖のこと、鎌倉北條以來、三原の某と相知れたり。今に其證文共所持の由、結句當家よりも、嚴重の義なり、屋形より、鎭種に相備と仰付られ、今に至ては大體譜第同前に心易く存ずる其方なり、大切の用を賴み申すに、今更千町萬町の知行違はすと申すとも、名計りにて實に用ふべき便なし。然らば昔等輩の挨拶に之ありし所を以て、其方を崇敬すること志計りの賞なりと言ふ。山城感涙に堪へ兼ね、何事にても御請申べき由申ければ、鎭種去らば、彌七郎統增を敵中に置くは、死出の障はりなれば、其方罷越し、連退き寶滿へ引取るか、然らずば、差殺し給はるべしと言ふ。山城甲斐々々敷請合ひ、頓て鎭種の心の如く、終に統增を奪ひ出し、寶滿城にぞ楯籠りけり。

現代語訳

鎭種が岩屋に籠もったとき、杉山山城を「山城殿」と呼んだので、山城はどういうことかと思いながら出てきました。すると鎭種は言いました。「当城が無事でいるのは二十日ほどであろう。それについて、そなたに頼みたいことがある。承ってくれるか、くれぬか」と。山城はとかく申し上げようもなく、謹んでおりましたが、側に屋山中務がいましたので、その方に向かって、「山城殿と、冥加が恐ろしいほどのお言葉を承り、前後を忘れました」とだけ申しました。そのとき鎭種は言いました。「総じて主となり臣となることは、士の習いである。そなたの先祖のことは、鎌倉の北条以来、三原の某と知り合いであった。今もその証文を所持しているとのこと、むしろ当家よりも重い家柄である。屋形から、鎭種に相備えをお命じになり、今に至っては、ほぼ譜代同様に気安く思っているそなたである。大切な用を頼みたいのに、今さら千町万町の知行を違えず与えると言っても、名ばかりで、実際に役立つ便りにならない。そこで、昔の同輩としての挨拶のあった所に従って、そなたを崇敬することを、せめて志の賞としよう」と。山城は感涙に堪えかね、何事でもお請けいたしますと申しました。鎭種は、「それなら、弥七郎統増を敵中に置いておくことは、死出の障りとなる。そなたが出向いて、連れ退いて宝満に引き取るか、そうでなければ刺し殺してくれ」と言いました。山城は甲斐甲斐しく請け合い、ほどなく鎭種の思いのとおり、ついに統増を奪い出し、宝満城に立てこもりました。

解説

死を前にした鎭種が、重い頼みごとをするために、家来の杉山山城を殿と呼び、礼を尽くして頼んだ場面です。知行という報酬ではなく、相手への敬意と信頼を示すことで、命懸けの任務を引き受けさせています。なお、統増を奪い返すか刺し殺すかという依頼の部分は当時の戦国の論理で、現代に通じるものではありません。大事な頼みごとは、報酬より先に敬意と事情を尽くすという点が読み取れます。
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この章句が説くこと

高橋鎮種杉山山城頼みごと敬意信頼統増

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