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名将言行録 / 『名将言行録』戸次鑑連 生い立ちと雷切の伝承

常陸介親家の子、伯耆守と稱す。後髪を削り道雪と號す。世々大友氏に仕へ、立花城に住す。天正十三年十月二十二日卒、年七十三。 ○鑑連、初め八幡丸と曰ふ、長ずるに及び、頴敏驍勇絶倫、士を育し、民を恤み、恩惠備に至れり。 ○大永六年、鑑連年十四、父の名代として佐野彈正親基、間田豐前守重安等を始め大内氏に降り、五千餘人にて馬ヶ嶽の城に楯籠りしを、僅三千人を率ゐ攻て之を降だす。是より大小の戰功擧げて數ふべからず。 ○鑑連、若かりし時、夏日暑を大樹の下に避く、時に其側に落雷せり、鑑連帶ぶる所の千鳥と名づくる刀にて、雷と覺しきものを斬る。是より雷切と名けて、常に之を帶べり。去れども、雷の爲めに打れ爰彼所損じ、終に足痿となり、行歩心に任せず。故に戰場に出るには、常に駕籠に乘て出たり。 ○大友義鎭南蠻宗を好み、國政之が爲めに頽弊せり。鑑連之を憂ひ、書を獻じて之を諫む。其言甚だ感憤傷激なり。義鎭之を見て、大に感じ、誠に仁義の勇士とは、鑑連抔をこそ言ふべけれ、侍の手本にすべきもの哉と言はれけり。

新字:常陸介親家の子、伯耆守と称す。後髪を削り道雪と号す。世々大友氏に仕へ、立花城に住す。天正十三年十月二十二日卒、年七十三。 ○鑑連、初め八幡丸と曰ふ、長ずるに及び、頴敏驍勇絶倫、士を育し、民を恤み、恩恵備に至れり。 ○大永六年、鑑連年十四、父の名代として佐野弾正親基、間田豊前守重安等を始め大内氏に降り、五千余人にて馬ヶ嶽の城に楯籠りしを、僅三千人を率ゐ攻て之を降だす。是より大小の戦功挙げて数ふべからず。 ○鑑連、若かりし時、夏日暑を大樹の下に避く、時に其側に落雷せり、鑑連帯ぶる所の千鳥と名づくる刀にて、雷と覚しきものを斬る。是より雷切と名けて、常に之を帯べり。去れども、雷の為めに打れ爰彼所損じ、終に足痿となり、行歩心に任せず。故に戦場に出るには、常に駕籠に乗て出たり。 ○大友義鎮南蠻宗を好み、国政之が為めに頽弊せり。鑑連之を憂ひ、書を献じて之を諫む。其言甚だ感憤傷激なり。義鎮之を見て、大に感じ、誠に仁義の勇士とは、鑑連抔をこそ言ふべけれ、侍の手本にすべきもの哉と言はれけり。

書き下し

常陸介親家の子、伯耆守と稱す。後髪を削り道雪と號す。世々大友氏に仕へ、立花城に住す。天正十三年十月二十二日卒、年七十三。 ○鑑連、初め八幡丸と曰ふ、長ずるに及び、頴敏驍勇絶倫、士を育し、民を恤み、恩惠備に至れり。 ○大永六年、鑑連年十四、父の名代として佐野彈正親基、間田豐前守重安等を始め大内氏に降り、五千餘人にて馬ヶ嶽の城に楯籠りしを、僅三千人を率ゐ攻て之を降だす。是より大小の戰功擧げて數ふべからず。 ○鑑連、若かりし時、夏日暑を大樹の下に避く、時に其側に落雷せり、鑑連帶ぶる所の千鳥と名づくる刀にて、雷と覺しきものを斬る。是より雷切と名けて、常に之を帶べり。去れども、雷の爲めに打れ爰彼所損じ、終に足痿となり、行歩心に任せず。故に戰場に出るには、常に駕籠に乘て出たり。 ○大友義鎭南蠻宗を好み、國政之が爲めに頽弊せり。鑑連之を憂ひ、書を獻じて之を諫む。其言甚だ感憤傷激なり。義鎭之を見て、大に感じ、誠に仁義の勇士とは、鑑連抔をこそ言ふべけれ、侍の手本にすべきもの哉と言はれけり。

現代語訳

常陸介親家の子で、伯耆守と称しました。のちに髪を剃って道雪と号しました。代々大友氏に仕え、立花城に住みました。天正十三年十月二十二日に亡くなり、享年七十三でした。 鑑連は初め八幡丸といい、成長すると聡明で機敏、武勇は並ぶ者がなく、家臣を育て、民をいたわり、恩恵はすみずみまで行き届いていました。 大永六年、鑑連は十四歳で、父の名代として出陣しました。佐野弾正親基、間田豊前守重安らをはじめ、大内氏に降って五千余人で馬ヶ嶽の城に立てこもっていた者たちを、わずか三千人を率いて攻め、降しました。これ以来、大小の戦功は数えきれないほどです。 鑑連が若いころ、夏の日に暑さを大木の下で避けていると、そのそばに雷が落ちました。鑑連は帯びていた千鳥という刀で、雷と思われるものを斬りました。これより雷切と名づけ、常に腰に帯びました。けれども雷のために体のあちこちを傷め、ついに足が不自由になって、思うように歩けなくなりました。そのため戦場へは常に駕籠に乗って出ました。 大友義鎮は南蛮宗を好み、国の政治はそのために衰えました。鑑連はこれを憂え、書を奉って諫めました。その言葉はたいそう憤りに満ち、激しいものでした。義鎮はこれを見て大いに感じ入り、「まことに仁義の勇士とは、鑑連などをこそ言うべきだ。侍の手本にすべき者だなあ」と言われました。

解説

戸次鑑連(のちの立花道雪)の略歴と若き日の逸話を並べた一節です。雷を斬って足を痛めたという話は、刀の名の由来として語られる伝承で、そのまま史実とは言えません。注目したいのは、身体に制約を抱えても戦場に出続けた姿と、主君の政策の誤りに書をもって直言し、主君がそれを受け止めた点です。耳の痛い進言ができる家臣と、聞き入れる主君が並ぶ組織は、判断を誤りにくいと言えます。
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この章句が説くこと

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