晏子春秋 / 雑上・景公睹乞兒于途晏子諷公使養/景公慚刖跪之辱不朝晏子稱直請賞之
景公睹嬰兒乞于途者,公曰:「是無歸矣。」晏子對曰:「君存,何為無歸,使吏養之,可立而以聞。」景公正晝,被髮,乘六馬,御婦人以出正閨,刖跪擊其馬而反之,曰:「爾非吾君也。」公慚而不朝。晏子睹裔款而問曰:「君何故不朝?」對曰:「昔者,君正晝被髮,乘六馬,御婦人以出正閨,刖跪擊其馬而反之曰:『爾非吾君也。』公慚而反,不果出,是以不朝。」晏子入見,景公曰:「昔者寡人有罪,被髮乘六馬以出正閨,刖跪擊馬而反之,曰:『爾非吾君也。』寡人以子大夫之賜,得率百姓以守宗廟,今見戮於刖跪,以辱社稷,吾猶可以齊于諸侯乎?」晏子對曰:「君勿惡焉,臣聞下無直辭,上有隱惡;民多諱言,君有驕行。古者明君在上,下多直辭;君上好善,民無諱言。今君有失行,刖跪直辭禁之,是君之福也,放臣來慶。請賞之,以明君之好善;禮之,以明君之受諫。」公笑曰:「可乎?」晏子曰:「可。」於是令刖跪倍資無征,時朝無事也。
新字:景公睹嬰児乞于途者,公曰:「是無帰矣。」晏子対曰:「君存,何為無帰,使吏養之,可立而以聞。」景公正昼,被髪,乗六馬,御婦人以出正閨,刖跪撃其馬而反之,曰:「爾非吾君也。」公慚而不朝。晏子睹裔款而問曰:「君何故不朝?」対曰:「昔者,君正昼被髪,乗六馬,御婦人以出正閨,刖跪撃其馬而反之曰:『爾非吾君也。』公慚而反,不果出,是以不朝。」晏子入見,景公曰:「昔者寡人有罪,被髪乗六馬以出正閨,刖跪撃馬而反之,曰:『爾非吾君也。』寡人以子大夫之賜,得率百姓以守宗廟,今見戮於刖跪,以辱社稷,吾猶可以斉于諸侯乎?」晏子対曰:「君勿悪焉,臣聞下無直辞,上有隠悪;民多諱言,君有驕行。古者明君在上,下多直辞;君上好善,民無諱言。今君有失行,刖跪直辞禁之,是君之福也,放臣来慶。請賞之,以明君之好善;礼之,以明君之受諫。」公笑曰:「可乎?」晏子曰:「可。」於是令刖跪倍資無征,時朝無事也。
書き下し
景公、嬰児の途に乞う者を睹る。公曰く、「是れ帰する無し」と。晏子対えて曰く、「君存す、何為れぞ帰する無き。吏をして之を養わしめば、立ちどころに以て聞く可し」と。景公、正昼に、髪を被り、六馬に乗り、婦人を御して以て正閨を出ず。刖跪其の馬を撃ちて之を反し、曰く、「爾は吾が君に非ず」と。公慚じて朝せず。晏子裔款を睹て問いて曰く、「君何の故に朝せざる」と。対えて曰く、「昔者、君、正昼に髪を被り、六馬に乗り、婦人を御して以て正閨を出ず。刖跪其の馬を撃ちて之を反して曰く、『爾は吾が君に非ず』と。公慚じて反り、果たして出でず。是を以て朝せず」と。晏子入りて見ゆ。景公曰く、「昔者寡人罪有り、髪を被り六馬に乗り以て正閨を出ず。刖跪馬を撃ちて之を反し、曰く、『爾は吾が君に非ず』と。寡人、子大夫の賜を以て、百姓を率いて以て宗廟を守るを得たり。今刖跪に戮せられ、以て社稷を辱む。吾猶お以て諸侯に斉しかる可けんや」と。晏子対えて曰く、「君焉を悪む勿かれ。臣聞く、下に直辞無ければ、上に隠悪有り。民に諱言多ければ、君に驕行有り。古者明君上に在れば、下に直辞多し。君上善を好めば、民に諱言無し。今君に失行有り、刖跪直辞して之を禁ず。是れ君の福なり。臣に放いて来たり慶ぶ。請う、之を賞し、以て君の善を好むを明らかにせん。之を礼し、以て君の諫を受くるを明らかにせん」と。公笑いて曰く、「可なるか」と。晏子曰く、「可なり」と。是に於て刖跪に令して資を倍し征無からしむ。時に朝に事無きなり。
現代語訳
景公は道端で乞食をしている幼い子を見て言いました。「これは帰る所がない」。晏子は答えました。「君がおいでなのに、なぜ帰る所がないのですか。役人に養わせれば、すぐにでも解決の報告ができます」。ある日、景公は真昼に髪を振り乱し、六頭立ての馬車に乗り、婦人を乗せて正閨から出ようとしました。足を切られた門番が馬を打って引き返させ、言いました。「あなたは私たちの君ではない」。公は恥じて朝廷に出なくなりました。晏子は裔款に会って尋ねました。「君はどうして朝廷にお出ましにならないのですか」。裔款は答えました。「以前、君は真昼に髪を乱し、六頭立ての馬車に婦人を乗せて正閨を出ようとされました。門番が馬を打って引き返させ、『あなたは私たちの君ではない』と言いました。公は恥じて引き返し、出ませんでした。それで朝廷に出ないのです」。晏子が入って拝謁すると、景公は言いました。「先日、わたしは過ちを犯した。髪を乱し六頭立てで正閨を出ようとして、門番が馬を打って引き返させ、『あなたは私たちの君ではない』と言った。わたしはあなたの助けで、民を率いて宗廟を守ってこられた。今、門番に辱められ、社稷を辱めた。私はまだ諸侯と並べるだろうか」。晏子は答えました。「君、お憎みなさいますな。私はこう聞いています。下に直言がなければ、上に隠された悪がある。民が口をつぐむことが多ければ、君に驕った行いがある。昔、明君が上にいれば、下に直言が多かった。君が善を好めば、民は口をつぐまなかったのです。今、君に失敗があり、門番が直言して止めた。これは君の幸いです。私はそれを祝いに参りました。どうか彼を賞して、君が善を好むことを明らかにし、礼遇して、君が諫めを受け入れることを明らかにしてください」。公は笑って言いました。「それでよいか」。晏子は言いました。「よろしいです」。そこで門番の給与を倍にし、税を免じました。そのとき、朝廷には何事もありませんでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
-
『幽夢影』巻下・鏡をして知有らしめば必ず撲破に遭はん媸顏陋質の、鏡と仇を爲さざる者は、亦鏡を以て無知の死物と爲すのみ。鏡をして知有らしめば、必ず撲破に遭はん。
-
尚書・太甲下言の汝の心に逆らふ有らば、必ず諸(これ)を道に求めよ。言の汝の志に遜(したが)ふ有らば、必ず諸を非道に求めよ。嗚呼(ああ)、
-
史記 趙世家晋君、籍秦をして邯鄲を囲ましむ。荀寅・范吉射、午と善し。秦を助くるを肯ぜずして乱を作さんと謀る。董安于之を知る。十月、范・中行氏趙鞅を伐つ。鞅晋陽に奔る。晋人之を囲む。范吉射・荀寅の仇人魏襄等、荀寅を逐ひて梁嬰父を以て之に代へ、吉射を逐ひて范皋繹を以て之に代へんと謀る。荀櫟、晋侯に言ひて曰く、「君、大臣に命ず、乱を始むる者は死せんと。今三臣乱を始むるに、而も独り鞅を逐ふ。刑を用ふること均しからず。請ふ皆之を逐はん」と。十一月、荀櫟・韓不佞・魏哆、公の命を奉じて以て范・中行氏を伐つも、克たず。范・中行氏反りて公を伐つ。公之を撃ち、范・中行敗走す。丁未、二子朝歌に奔る。韓・魏、趙氏を以て請ふを為す。十二月辛未、趙鞅絳に入り、公宮に盟ふ。其の明年、知伯文子、趙鞅に謂ひて曰く、「范・中行信に乱を為すと雖も、安于之を発す。是れ安于与に謀るなり。晋国に法有り、乱を始むる者は死す。夫れ二子已に罪に伏して、而も安于独り在り」と。趙鞅之を患ふ。安于曰く、「臣死して、趙氏定まり、晋国寧からば、吾が死晩し」と。遂に自殺す。趙氏以て知伯に告げ、然る後に趙氏寧し。孔子、趙簡子の晋君に請はずして邯鄲の午を執へ、晋陽を保つを聞く。故に春秋に書して曰く「趙鞅晋陽を以て畔く」と。趙簡子に臣有り、周舍と曰ふ。直諫を好む。周舍死す。簡子朝を聴く毎に、常に悦ばず。大夫罪を請ふ。簡子曰く、「大夫罪無し。吾聞く、千羊の皮は一狐の腋に如かずと。諸大夫朝するも、徒だ唯唯を聞き、周捨の鄂鄂を聞かず。是を以て憂ふるなり」と。簡子此に由りて能く趙の邑を附けて晋人を懐けしむ。晋の定公十八年、趙簡子、范・中行を朝歌に囲む。中行文子邯鄲に奔る。明年、衛の霊公卒す。
-
史記 張丞相列伝周昌は、沛の人なり。其の従兄を周苛と曰ふ。秦の時皆泗水の卒史為り。高祖沛に起ち、泗水の守・監を撃破するに及び、是に於て周昌・周苛、卒史より沛公に従ふ。沛公、周昌を以て職志と為し、周苛を客と為す。従ひて関に入り、秦を破る。沛公立ちて漢王と為り、周苛を以て御史大夫と為し、周昌を中尉と為す。漢王の四年、楚、漢王を滎陽に囲むこと急なり。漢王遁れ出で去りて、周苛をして滎陽城を守らしむ。楚、滎陽城を破り、周苛をして将たらしめんと欲す。苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢王に降れ。然らずんば、今に虜と為らん」と。項羽怒り、周苛を亨(に)る。是に於て乃ち周昌を拝して御史大夫と為す。常に従ひて項籍を撃破す。六年中を以て蕭・曹等と倶に封ぜらる。周昌を封じて汾陰侯と為す。周苛の子周成は父の事に死せしを以て、封ぜられて高景侯と為る。昌は人と為り彊力にして、敢へて直言す。蕭・曹等より皆之に卑下す。昌嘗て燕の時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひて得、周昌の項に騎りて、問ひて曰く、「我は何如なる主ぞや」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於て上之を笑ふ。然れども尤も周昌を憚る。
-
史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る