名将言行録 / 『名将言行録』長曾我部元親 夢の吉凶を問う
○三年春、元親、阿波を伐んとす。夢に元親、大義を思ひ立ち、大兵を揚げ、他邦に出陣して大敵に向ひ、弓を射ければ、弦切れ、矢碎け、詮方なきこと身に迫まりぬ、と見て、大汗を流し、夢は忽ち覺めにける。元親、心に掛け、岡豐八幡の神主左近を召し、虛夢か、實夢か鬮を取るべし、若し神託ならば、出陣を止むべしと言ふ。神主左近聞や否手を拍て、是御本意に任せらるべき吉兆なり。何となれば、弓強き故に弦切る、矢業強き故に筈碎けぬ。君汗を流し、弓矢を執り給はゞ、四國は幾程もなく治め給ふべし。鬮を執るまでもなし、是卽ち神託なりと言ふ。元親大に喜び、其年出陣して阿波の南方を平げ、歸陣して神馬社領を獻ず。是より次第に四國を治めり。 ○大西覺用元親に歸屬して居たりしが、天正四年、忽ちに質を捨て、三好に通ず、覺用より出し置たる甥の大西上野介疑懼す。元親、之を聞き、懇切の使を遣はし、上野介に對し別義なき趣の誓紙を送りければ、上野介其恩に感激し、此報謝には、大西御發向の節は鄕導を勤むべしと誓紙を送りぬ。元親、譜第同前に弓鉄を免し、山野の遊獵を免しけり。上野介、後元親の謀臣と爲れり。
新字:○三年春、元親、阿波を伐んとす。夢に元親、大義を思ひ立ち、大兵を揚げ、他邦に出陣して大敵に向ひ、弓を射ければ、弦切れ、矢砕け、詮方なきこと身に迫まりぬ、と見て、大汗を流し、夢は忽ち覚めにける。元親、心に掛け、岡豊八幡の神主左近を召し、虚夢か、実夢か鬮を取るべし、若し神託ならば、出陣を止むべしと言ふ。神主左近聞や否手を拍て、是御本意に任せらるべき吉兆なり。何となれば、弓強き故に弦切る、矢業強き故に筈砕けぬ。君汗を流し、弓矢を執り給はゞ、四国は幾程もなく治め給ふべし。鬮を執るまでもなし、是即ち神託なりと言ふ。元親大に喜び、其年出陣して阿波の南方を平げ、帰陣して神馬社領を献ず。是より次第に四国を治めり。 ○大西覚用元親に帰属して居たりしが、天正四年、忽ちに質を捨て、三好に通ず、覚用より出し置たる甥の大西上野介疑懼す。元親、之を聞き、懇切の使を遣はし、上野介に対し別義なき趣の誓紙を送りければ、上野介其恩に感激し、此報謝には、大西御発向の節は郷導を勤むべしと誓紙を送りぬ。元親、譜第同前に弓鉄を免し、山野の遊猟を免しけり。上野介、後元親の謀臣と為れり。
書き下し
○三年春、元親、阿波を伐んとす。夢に元親、大義を思ひ立ち、大兵を揚げ、他邦に出陣して大敵に向ひ、弓を射ければ、弦切れ、矢碎け、詮方なきこと身に迫まりぬ、と見て、大汗を流し、夢は忽ち覺めにける。元親、心に掛け、岡豐八幡の神主左近を召し、虛夢か、實夢か鬮を取るべし、若し神託ならば、出陣を止むべしと言ふ。神主左近聞や否手を拍て、是御本意に任せらるべき吉兆なり。何となれば、弓強き故に弦切る、矢業強き故に筈碎けぬ。君汗を流し、弓矢を執り給はゞ、四國は幾程もなく治め給ふべし。鬮を執るまでもなし、是卽ち神託なりと言ふ。元親大に喜び、其年出陣して阿波の南方を平げ、歸陣して神馬社領を獻ず。是より次第に四國を治めり。 ○大西覺用元親に歸屬して居たりしが、天正四年、忽ちに質を捨て、三好に通ず、覺用より出し置たる甥の大西上野介疑懼す。元親、之を聞き、懇切の使を遣はし、上野介に對し別義なき趣の誓紙を送りければ、上野介其恩に感激し、此報謝には、大西御發向の節は鄕導を勤むべしと誓紙を送りぬ。元親、譜第同前に弓鉄を免し、山野の遊獵を免しけり。上野介、後元親の謀臣と爲れり。
現代語訳
三年春、元親は阿波を討とうとしていました。夢に、元親が大義を思い立ち、大兵を挙げて他国に出陣し、大敵に向かって弓を射ると、弦が切れ、矢が砕け、どうしようもないことが身に迫ると見て、大汗を流し、夢はたちまち覚めました。元親は心に掛かり、岡豊八幡の神主の左近を召して、虚夢か実夢か、籤を取れ、もし神託ならば、出陣をやめよう、と言いました。神主の左近は聞くやいなや手を打って、これはお望みのままになさるべき吉兆でございます。なぜなら、弓が強いからこそ弦が切れ、矢の業が強いからこそ筈が砕けたのです。あなたが汗を流して弓矢をお取りになれば、四国はほどなくお治めになるでしょう。籤を取るまでもありません。これがすなわち神託です、と言いました。元親は大いに喜び、その年に出陣して阿波の南方を平らげ、帰陣して神馬と社領を献じました。これより次第に四国を治めました。 大西覚用は元親に帰属していましたが、天正四年、にわかに人質を捨てて三好に通じました。覚用から出して置いてあった甥の大西上野介は、疑い恐れました。元親はこれを聞いて、懇切な使いを遣わし、上野介に対して別心のない旨の誓紙を送ったので、上野介はその恩に感激し、この報謝には、大西へ御発向の節は案内役を勤めましょうと誓紙を送りました。元親は、譜代同様に弓・鉄砲の所持を許し、山野での狩りも許しました。上野介は、のちに元親の謀臣となりました。
解説

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