名将言行録 / 『名将言行録』蒲生氏郷 情と知行、旧主への礼
○氏鄕、伊藤平五郞に與ふる書略に曰く、第一家中に情を深くし、知行賜はるべし、知行計にて情なくば、事ならず、情計りにても知行なくては、又徒らごとなり、知行と情とは車の兩輪、鳥の兩翼なり、家中の摺切を痛み給はるべし、商賈抔こそ利を專にすべけれども、利は毛頭心に掛られ間敷、當年の物成、來年六七月までに遣ひ拂へば、一萬石は其秋又一萬石出來て絶ざろものなり、只武勇のある者を多く抱え、武の譽れだにあれば、身を立ろことは疑ひなきことなりと、申送られけり。 (すりきれ)は窮乏、物成は收穫と云ふことだ。 ○蒲生の家に、佐々木の鐙と云へる名高き鐙ありけるを、細川忠興所望せり。亙理八右衞門、是は無雙の名物なれば、又他にあるべからず、別の似寄りたる鐙を遣はされよと申しゝかば、氏鄕『なきなぞと、人には言ひて、やみなまし、心の問はゞ何にと答へん』。と云へる歌の心の恥しさよとて、彼鐙を贈られけり。其後、忠興戾せしかども氏鄕受けず。氏鄕死去の後、子秀行に返せしとぞ。 ○蒲生家は、元來近江佐々木の臣なりしが、佐々木亡びしかば、氏鄕は信長、秀吉に仕へ後會津百二十萬石を領せり。或時伏見にて秀吉に謁せし時、舊主人佐々木義賢の子、四郞とて、二百石を領し、秀吉の伽者と成り居れり。氏鄕之を見、愍然として其舊を思ひ、四郞の爲めに刀を持して陪從せり。
新字:○氏郷、伊藤平五郎に与ふる書略に曰く、第一家中に情を深くし、知行賜はるべし、知行計にて情なくば、事ならず、情計りにても知行なくては、又徒らごとなり、知行と情とは車の両輪、鳥の両翼なり、家中の摺切を痛み給はるべし、商賈抔こそ利を専にすべけれども、利は毛頭心に掛られ間敷、当年の物成、来年六七月までに遣ひ払へば、一万石は其秋又一万石出来て絶ざろものなり、只武勇のある者を多く抱え、武の誉れだにあれば、身を立ろことは疑ひなきことなりと、申送られけり。 (すりきれ)は窮乏、物成は収穫と云ふことだ。 ○蒲生の家に、佐々木の鐙と云へる名高き鐙ありけるを、細川忠興所望せり。亙理八右衛門、是は無双の名物なれば、又他にあるべからず、別の似寄りたる鐙を遣はされよと申しゝかば、氏郷『なきなぞと、人には言ひて、やみなまし、心の問はゞ何にと答へん』。と云へる歌の心の恥しさよとて、彼鐙を贈られけり。其後、忠興戻せしかども氏郷受けず。氏郷死去の後、子秀行に返せしとぞ。 ○蒲生家は、元来近江佐々木の臣なりしが、佐々木亡びしかば、氏郷は信長、秀吉に仕へ後会津百二十万石を領せり。或時伏見にて秀吉に謁せし時、旧主人佐々木義賢の子、四郎とて、二百石を領し、秀吉の伽者と成り居れり。氏郷之を見、愍然として其旧を思ひ、四郎の為めに刀を持して陪従せり。
書き下し
○氏鄕、伊藤平五郞に與ふる書略に曰く、第一家中に情を深くし、知行賜はるべし、知行計にて情なくば、事ならず、情計りにても知行なくては、又徒らごとなり、知行と情とは車の兩輪、鳥の兩翼なり、家中の摺切を痛み給はるべし、商賈抔こそ利を專にすべけれども、利は毛頭心に掛られ間敷、當年の物成、來年六七月までに遣ひ拂へば、一萬石は其秋又一萬石出來て絶ざろものなり、只武勇のある者を多く抱え、武の譽れだにあれば、身を立ろことは疑ひなきことなりと、申送られけり。 (すりきれ)は窮乏、物成は收穫と云ふことだ。 ○蒲生の家に、佐々木の鐙と云へる名高き鐙ありけるを、細川忠興所望せり。亙理八右衞門、是は無雙の名物なれば、又他にあるべからず、別の似寄りたる鐙を遣はされよと申しゝかば、氏鄕『なきなぞと、人には言ひて、やみなまし、心の問はゞ何にと答へん』。と云へる歌の心の恥しさよとて、彼鐙を贈られけり。其後、忠興戾せしかども氏鄕受けず。氏鄕死去の後、子秀行に返せしとぞ。 ○蒲生家は、元來近江佐々木の臣なりしが、佐々木亡びしかば、氏鄕は信長、秀吉に仕へ後會津百二十萬石を領せり。或時伏見にて秀吉に謁せし時、舊主人佐々木義賢の子、四郞とて、二百石を領し、秀吉の伽者と成り居れり。氏鄕之を見、愍然として其舊を思ひ、四郞の爲めに刀を持して陪從せり。
現代語訳
氏郷が伊藤平五郎に与えた書状の概略に言う。第一に家中に情を深くして、知行を与えなさい。知行ばかりで情がなければ事は成らない。情ばかりで知行がなければ、これもむなしい。知行と情とは車の両輪、鳥の両翼である。家中の窮乏を気遣いなさい。商人などこそ利を専らにするものだが、利は少しも心にかけてはならない。その年の収穫は、翌年の六、七月までに使い払えば、一万石はその秋にまた一万石が生じて絶えることがない。ただ武勇のある者を多く抱え、武の誉れさえあれば、身を立てることは疑いない、と申し送られた。 (すりきれ)は窮乏、物成は収穫ということだ。 蒲生の家に、佐々木の鐙という名高い鐙があったのを、細川忠興が所望した。亘理八右衛門が、これは無双の名物なので、ほかにあるはずもありません、別の似たものをお贈りなさい、と申し上げたところ、氏郷は、「なきなぞと人には言ひてやみなまし心の問はば何と答へん」という歌の心の恥ずかしさよ、と言って、その鐙を贈った。のち忠興が戻したが、氏郷は受けなかった。氏郷の死後、子の秀行に返したという。 蒲生家は、もともと近江の佐々木の臣であったが、佐々木が滅びたので、氏郷は信長、秀吉に仕え、のち会津百二十万石を領した。あるとき伏見で秀吉に拝謁したとき、旧主人佐々木義賢の子で四郎という者が、二百石を領し、秀吉のお伽衆になっていた。氏郷はこれを見て、気の毒に思ってその昔を偲び、四郎のために刀を持って付き従った。
解説

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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。