葉隠 / 聞書第二
功者の話等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。同じ事を十度も二十度も聞くに、不圖胸に請取る時節あり。其の時は格別のものになるなり。老の繰言と云ふも功者なる事なりと。
新字:功者の話等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。同じ事を十度も二十度も聞くに、不図胸に請取る時節あり。其の時は格別のものになるなり。老の繰言と云ふも功者なる事なりと。
書き下し
功者(こうしゃ)の話等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰(しんこう)して聞くべきなり。同じ事を十度(じゅうど)も二十度(にじゅうど)も聞くに、不図(ふと)胸に請取(うけと)る時節(じせつ)あり。其の時は格別(かくべつ)のものになるなり。老(おい)の繰言(くりごと)と云ふも功者(こうしゃ)なる事なりと。
現代語訳
たとえ自分がすでに知っている事柄であっても、深く信じ敬う心で聞くべきである。同じ話を十度も二十度も聞くうちに、ふと心にしっかり受け取れる時が来る。そのときには、それが格別のものになるのだ。老人の繰り言といっても、それはやはり経験を積んだ者の言うことなのである。
解説
経験者の話を聞く姿勢について説いた一条です。すでに知っている話でも、軽んじず、深く敬う心で繰り返し聞け、といいます。同じことを十度二十度と聞くうちに、あるとき「ふと胸に受け取る」瞬間が訪れる——頭で分かっていたことが、腑に落ちて自分のものになる時が来るというのです。「老いの繰り言」と侮られがちな年長者の言葉も、実は経験に裏打ちされた知恵だと常朝は言い添えます。知識として知ることと、真に体得することは違う。反復のなかでこそ理解が熟すというこの教えは、学びの本質を突いており、効率を急ぐ現代の学習観に静かな示唆を与えてくれます。
この章句が説くこと
葉隠傾聴反復経験知体得謙虚
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