名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 油断を待って討つ
○甲州の忍の者數十人、晴信に反くことありて、山小屋に楯籠る。晴信、謀にて容易く討取らばやと思ひ、殘り居たる忍の者に、城中に忍び入るに如何なるが入り難きと問ふに、內の守嚴しく、夜廻の聲繁く、其體顯はなるは怠りも又料り易く候と言ふ。晴信又、今山小屋に忍び入らんには、如何にと問ふに、彼者共既に能く其理を知り、靜まり返て、音もせず候へば、其便を得ずと答ふ。晴信夫より山小屋に向て陣し、守り甚だ嚴く、夜廻り透間なく呼ばらせたり。日數を歴て、漸々怠り出來ぬる時、山小屋より夜討に出たるを、素より計りたることなれば、伏兵を置て打取りたり。 ○晴信の家臣口論を爲し、相手を取て伏せ散々打擲したるを、傍輩の者引分けたり。老臣其罪を論じ、打擲されたる者を罰せんと言ふを晴信曰く、勝負は末なり、武士道を忘れ刀を用ひざること、冥加に盡きたる者共なり、以來家中の見懲の爲めなりとて、二人共に磔に掛け、引分けたる者を追放せり。 ○伊豆の人に鹿島傳左衞門と云ふ者あり。若き時よりして武名を世に顯はし、後には薙髪して久閑と號し、伊東に引籠りて居たりしを、晴信聞て、詞を卑うし、幣を厚くして、懇に招きけり。久閑、我年老齡傾きぬ。今如何でか奉公をばすべきとて、徴に應ぜず。晴信猶止まず、尋ね問ふべきことありとて、強て呼迎へ、春より秋に至るまで、夜々軍物語させて、己を虛にして聞き、自ら筆取て之を書記しけり。晴信、四方に大敵を受け、能く威名を振ひしも、斯く心を用ひし故とぞ。
新字:○甲州の忍の者数十人、晴信に反くことありて、山小屋に楯籠る。晴信、謀にて容易く討取らばやと思ひ、残り居たる忍の者に、城中に忍び入るに如何なるが入り難きと問ふに、内の守厳しく、夜廻の声繁く、其体顕はなるは怠りも又料り易く候と言ふ。晴信又、今山小屋に忍び入らんには、如何にと問ふに、彼者共既に能く其理を知り、静まり返て、音もせず候へば、其便を得ずと答ふ。晴信夫より山小屋に向て陣し、守り甚だ厳く、夜廻り透間なく呼ばらせたり。日数を歴て、漸々怠り出来ぬる時、山小屋より夜討に出たるを、素より計りたることなれば、伏兵を置て打取りたり。 ○晴信の家臣口論を為し、相手を取て伏せ散々打擲したるを、傍輩の者引分けたり。老臣其罪を論じ、打擲されたる者を罰せんと言ふを晴信曰く、勝負は末なり、武士道を忘れ刀を用ひざること、冥加に尽きたる者共なり、以来家中の見懲の為めなりとて、二人共に磔に掛け、引分けたる者を追放せり。 ○伊豆の人に鹿島伝左衛門と云ふ者あり。若き時よりして武名を世に顕はし、後には薙髪して久閑と号し、伊東に引籠りて居たりしを、晴信聞て、詞を卑うし、幣を厚くして、懇に招きけり。久閑、我年老齢傾きぬ。今如何でか奉公をばすべきとて、徴に応ぜず。晴信猶止まず、尋ね問ふべきことありとて、強て呼迎へ、春より秋に至るまで、夜々軍物語させて、己を虚にして聞き、自ら筆取て之を書記しけり。晴信、四方に大敵を受け、能く威名を振ひしも、斯く心を用ひし故とぞ。
書き下し
○甲州の忍の者數十人、晴信に反くことありて、山小屋に楯籠る。晴信、謀にて容易く討取らばやと思ひ、殘り居たる忍の者に、城中に忍び入るに如何なるが入り難きと問ふに、內の守嚴しく、夜廻の聲繁く、其體顯はなるは怠りも又料り易く候と言ふ。晴信又、今山小屋に忍び入らんには、如何にと問ふに、彼者共既に能く其理を知り、靜まり返て、音もせず候へば、其便を得ずと答ふ。晴信夫より山小屋に向て陣し、守り甚だ嚴く、夜廻り透間なく呼ばらせたり。日數を歴て、漸々怠り出來ぬる時、山小屋より夜討に出たるを、素より計りたることなれば、伏兵を置て打取りたり。 ○晴信の家臣口論を爲し、相手を取て伏せ散々打擲したるを、傍輩の者引分けたり。老臣其罪を論じ、打擲されたる者を罰せんと言ふを晴信曰く、勝負は末なり、武士道を忘れ刀を用ひざること、冥加に盡きたる者共なり、以來家中の見懲の爲めなりとて、二人共に磔に掛け、引分けたる者を追放せり。 ○伊豆の人に鹿島傳左衞門と云ふ者あり。若き時よりして武名を世に顯はし、後には薙髪して久閑と號し、伊東に引籠りて居たりしを、晴信聞て、詞を卑うし、幣を厚くして、懇に招きけり。久閑、我年老齡傾きぬ。今如何でか奉公をばすべきとて、徴に應ぜず。晴信猶止まず、尋ね問ふべきことありとて、強て呼迎へ、春より秋に至るまで、夜々軍物語させて、己を虛にして聞き、自ら筆取て之を書記しけり。晴信、四方に大敵を受け、能く威名を振ひしも、斯く心を用ひし故とぞ。
現代語訳
甲州の忍びの者数十人が、晴信に背いて、山小屋に立てこもりました。晴信は謀略で容易く討ち取ろうと考え、残っていた忍びの者に、「城中に忍び込むのに、どのような場合が入りにくいか」と尋ねました。忍びは「内の守りが厳しく、夜回りの声が繁く、その様子がはっきりしている場合は、怠りもまた計りやすいものです」と言います。晴信がまた「今、山小屋に忍び入るにはどうか」と問うと、「あの者たちはすでにその理をよく知っていて、静まり返って音もしませんので、その手がかりが得られません」と答えました。晴信はそれから山小屋に向かって陣を張り、守りを甚だ厳しくし、夜回りを隙間なく声を上げて行わせました。日数が経ち、次第に怠りが出てきたとき、山小屋から夜討ちに出てきたところを、もとより計っていたことなので、伏兵を置いて討ち取りました。 晴信の家臣が口論をし、相手を取り押さえて散々に打ちのめしたのを、仲間の者が引き分けました。老臣が罪を論じ、打たれた者を罰しようと言ったところ、晴信は言いました。「勝負は末のことだ。武士道を忘れて刀を用いなかったのは、冥加に尽きた者たちだ。今後の家中への見せしめとする」。そう言って二人とも磔にし、引き分けた者を追放しました。 伊豆の人に鹿島伝左衛門という者がいました。若いときから武名を世に現し、後には剃髪して久閑と号し、伊東に引きこもっていたのを、晴信は聞いて、言葉を低くし、贈り物を厚くして、丁重に招きました。久閑は「私は年老いて衰えた。今どうして奉公ができよう」と言って招きに応じませんでした。晴信はなおも止めず、尋ねたいことがあるとして無理に迎え、春から秋まで、夜ごとに軍の物語をさせ、自らを空にして聞き、自分で筆を取ってこれを書き記しました。晴信が四方に大敵を受けながらよく威名を振るったのも、このように心を用いたためだと伝わります。
解説

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