名将言行録 / 『名将言行録』直江兼續 謙信の長寿を危ぶむ
○兼續河田、北城、甘糟、長尾等の諸將に語て曰く、某此日頃寢食も快よからず思ひ侍ることあり、夫を何にと申に、謙信公の御在世御長久有間敷樣に思はれけるなり、其故は近頃不祥の箇條一方ならず、一には去年より御病氣も之なきに、日を追て御肉落、二には、御在世を短く思召さる、三には謙信公に有る程の長短を算ふるに、勇銳と云、無慾と云、聰明と云、正直と云、義理と云、慈悲と云、智惠と云、明辨と云、日本國は言ふに及ばず、唐天竺まで此の如き大將はあるべからず、其短を申時は、御怒常に強くして、不仁を惡み給ふことの甚しきなり、諸君と折々は御前にても聊か申たることあり、然るに此一兩年御怒以前の如くならず、不肖の者には、猶以て御懇みを加へ給ふ、左候へば、誠に圓滿萬德の名將とも、此人を申さずしては誰を申べきや、天道全きを興さず、全からんとすれば、必ず闕くと申ことも侍れば別て苦心に堪へず。又信玄終りに臨みて、信長、家康は果報あり、必ず天下の主たるべく、其故は信玄先づ死し、其後謙信死すべし。此二人若し一人殘りて、今五年存生せば、信長家康亡ぶべけれども、謙信も五年の内必ず死すべしと申されしことあり。思ひ合はされて心に掛れり。諸君如何思はれ候や、左なき道理も候はゞ、御一言を承はり憂慮を霽し申度とありければ、何れも此言を聞き、左思ひしと云ふ者もあり。又今出來し樣に驚く者もあり、兼續の憂ひし如く、後幾程なく、輝虎館舍を捐てり。
新字:○兼続河田、北城、甘糟、長尾等の諸将に語て曰く、某此日頃寝食も快よからず思ひ侍ることあり、夫を何にと申に、謙信公の御在世御長久有間敷様に思はれけるなり、其故は近頃不祥の箇条一方ならず、一には去年より御病気も之なきに、日を追て御肉落、二には、御在世を短く思召さる、三には謙信公に有る程の長短を算ふるに、勇鋭と云、無慾と云、聰明と云、正直と云、義理と云、慈悲と云、智恵と云、明弁と云、日本国は言ふに及ばず、唐天竺まで此の如き大将はあるべからず、其短を申時は、御怒常に強くして、不仁を悪み給ふことの甚しきなり、諸君と折々は御前にても聊か申たることあり、然るに此一両年御怒以前の如くならず、不肖の者には、猶以て御懇みを加へ給ふ、左候へば、誠に円満万徳の名将とも、此人を申さずしては誰を申べきや、天道全きを興さず、全からんとすれば、必ず闕くと申ことも侍れば別て苦心に堪へず。又信玄終りに臨みて、信長、家康は果報あり、必ず天下の主たるべく、其故は信玄先づ死し、其後謙信死すべし。此二人若し一人残りて、今五年存生せば、信長家康亡ぶべけれども、謙信も五年の内必ず死すべしと申されしことあり。思ひ合はされて心に掛れり。諸君如何思はれ候や、左なき道理も候はゞ、御一言を承はり憂慮を霽し申度とありければ、何れも此言を聞き、左思ひしと云ふ者もあり。又今出来し様に驚く者もあり、兼続の憂ひし如く、後幾程なく、輝虎館舎を捐てり。
書き下し
○兼續河田、北城、甘糟、長尾等の諸將に語て曰く、某此日頃寢食も快よからず思ひ侍ることあり、夫を何にと申に、謙信公の御在世御長久有間敷樣に思はれけるなり、其故は近頃不祥の箇條一方ならず、一には去年より御病氣も之なきに、日を追て御肉落、二には、御在世を短く思召さる、三には謙信公に有る程の長短を算ふるに、勇銳と云、無慾と云、聰明と云、正直と云、義理と云、慈悲と云、智惠と云、明辨と云、日本國は言ふに及ばず、唐天竺まで此の如き大將はあるべからず、其短を申時は、御怒常に強くして、不仁を惡み給ふことの甚しきなり、諸君と折々は御前にても聊か申たることあり、然るに此一兩年御怒以前の如くならず、不肖の者には、猶以て御懇みを加へ給ふ、左候へば、誠に圓滿萬德の名將とも、此人を申さずしては誰を申べきや、天道全きを興さず、全からんとすれば、必ず闕くと申ことも侍れば別て苦心に堪へず。又信玄終りに臨みて、信長、家康は果報あり、必ず天下の主たるべく、其故は信玄先づ死し、其後謙信死すべし。此二人若し一人殘りて、今五年存生せば、信長家康亡ぶべけれども、謙信も五年の内必ず死すべしと申されしことあり。思ひ合はされて心に掛れり。諸君如何思はれ候や、左なき道理も候はゞ、御一言を承はり憂慮を霽し申度とありければ、何れも此言を聞き、左思ひしと云ふ者もあり。又今出來し樣に驚く者もあり、兼續の憂ひし如く、後幾程なく、輝虎館舍を捐てり。
現代語訳
兼続が河田、北条、甘糟、長尾らの諸将に語って言った。「私はこの数日、寝食も快くなく思っていることがある。それは何かと言えば、謙信公のご存命が長くはないように思われることだ。その訳は、近ごろ不吉な条がひととおりではないからだ。一つには、昨年から御病気もないのに、日を追って肉が落ちていかれる。二つには、ご在世を短く思っておられる。三つには、謙信公にある長所と短所を数えてみると、勇猛と言い、無欲と言い、聡明と言い、正直と言い、義理と言い、慈悲と言い、知恵と言い、明弁と言い、日本国はいうまでもなく、唐・天竺までもこのような大将はいないだろう。その短所を言えば、お怒りが常に強く、不仁を憎まれることが甚だしいことだ。諸君とも折々お前で少し申し上げたことがある。ところがこの一、二年、お怒りが以前のようではなく、不肖の者にはなお一層ご親切を加えられる。そうであれば、まことに円満万徳の名将とは、この人を言わずして誰を言おうか。天道は全きものを興さず、全からんとすれば必ず欠けるとも言うので、とりわけ心配に堪えない。また信玄は臨終のとき、信長・家康には果報があり、必ず天下の主となるだろう、というのは信玄がまず死に、その後謙信が死ぬはずだからだ。この二人のうち一人が残って、あと五年生きれば、信長・家康は滅ぶであろうが、謙信も五年のうちに必ず死ぬだろう、とおっしゃったことがある。思い合わせて気にかかる。諸君はどう思われるか。そうでない道理があるなら、一言を承って憂慮を晴らしたい」と言ったところ、いずれもこの言葉を聞き、そう思っていたと言う者もあり、また今初めて知ったように驚く者もあった。兼続が憂えたとおり、それから間もなく、輝虎は世を去った。
解説

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『講孟余話』公孫丑上 第四章此の章両つの「是の時に及びて」の語を下す。朱註並びに「惟れ日も足らざるの意」と云ふ、最も妙なり、味はふべし。今や東墨西欧駸々として来り逼る、官皆枉げて其の意に適従す。輿地図を披きて是れを検するに、蝦夷のクシュンコタン既に魯人の城塁を築く。松前の箱館、伊豆の下田已に墨人の互市場となる。肥前の長崎、暗払の来航頻々なり。其の他武蔵の神奈川、志摩の鳥羽、摂津の難波等、夷人已に去ると雖も、腥膻の気汗染して未だ去らず。然らば則ち神州の其の汗を受けざる者幾許ぞや。事已に茲に至る、間暇又幾時ぞや。幸に今数年の災を紓ぶ、実は不治の病を護す。是の時に乗じ惟れ日も足らずとして、日夜刻苦勉励、上に在りては其の政教を修め、士大夫に在りては其の学芸を錬り、農工商賈は各々其の業を勤め、務めて牖戸を綢繆し、下民の侮を禦ぐべし。然るに今は然らず、是の時に乗じ惟れ日も足らず日夜般楽怠敖すること何事ぞや。古今同慨なるかな。
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『春秋左氏伝』成公七年 懼るるを知る七年春、吳郯を伐つ。郯成す。季文子曰く、「中國旅を振るはず、蠻夷入りて伐つ。而して之を或いは恤ふる莫し。弔ふ者無きなり夫。詩に曰く、『昊天に弔(いた)まれず、亂定まる靡し』と。其れ此の謂か。上に弔はざる有らば、其れ誰か亂を受けざらん。吾が亡ぶること日無からん」と。君子曰く、「懼るるを知ること是くの如くならば、斯に亡びず」と。鄭の子良成公に相として以て晉に如きて見え、且つ師を拜す。夏、曹の宣公來朝す。秋、楚の子重鄭を伐ち、氾に師す。諸侯鄭を救ふ。鄭の共仲・侯羽、楚の師に軍し、鄖公鍾儀を囚へて、諸を晉に獻ず。
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