古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

名将言行録 / 『名将言行録』上杉景勝 重陽の日の成敗

○景勝十四歲の時、深澤、九鬼の兩人、法度を背きしことありて、輝虎以ての外腹立し、成敗と思ひ究めしかども、追々延々になる。景勝聞て、密に輝虎へ此者共を某に仰せ付られ候へと望む。輝虎曰く、彼等數度剛强の働きをして健氣なる者共なれば、一人づゝ引分て、三五人づゝに言付ても如何に思ふ所、汝悴にて申議存寄らざることなり。去ながら望む志は勇氣なりとて、甚だ褒美しけれども免さず。景勝思ふに、成敗に究まりたりと覺ゆれば、之を斬りたりとも、粗忽には成るまじ、切留るば手柄なり、仕損じて返り討に逢ふとも、報恩の爲めと存ずれば、命惜からずと思ひ定め居たる所に、九月九日重陽の賀慶に、諸士登城なり、家風にて同役の者も、功の多少を吟味して、席は上中下の次第あり、別役の者は一間限りの定めにて、混雜なき作法なり。然る所に、右の兩人天運の爲す所か、我定まりたる席を立て休息所に行き、茶を飮みて居る所へ、景勝至て深澤に申は、其方眼病不快の由上の御耳に入り、御藥を下し賜はり候、我等其方が目へ指して心持を聞きて參れとの御意なりとて、深澤を仰のけに寢させて、手に持ちし胡椒の粉を兩眼にさつと打縣け、其儘脇差を拔き、上意なりと言て、突きながら九鬼助けよと言ふ。九鬼、深澤が起き直らぬ間に、二の太刀を打て切留る。其中景勝脇差を引取りて、蹈込み、九鬼が右の肩先より左の脇まで裂裟掛に切落せし故、二の太刀に及ばず死したりけり。輝虎聞て、殊の外褒美し、其年より植田は申に及ばず、政景の本領前々の如く返し與へけり。其の明る年、輝虎加賀能登へ發向の時、景勝初陣なり。夫より出陣毎に供し、忠勤を勵みけり。

新字:○景勝十四歳の時、深沢、九鬼の両人、法度を背きしことありて、輝虎以ての外腹立し、成敗と思ひ究めしかども、追々延々になる。景勝聞て、密に輝虎へ此者共を某に仰せ付られ候へと望む。輝虎曰く、彼等数度剛強の働きをして健気なる者共なれば、一人づゝ引分て、三五人づゝに言付ても如何に思ふ所、汝悴にて申議存寄らざることなり。去ながら望む志は勇気なりとて、甚だ褒美しけれども免さず。景勝思ふに、成敗に究まりたりと覚ゆれば、之を斬りたりとも、粗忽には成るまじ、切留るば手柄なり、仕損じて返り討に逢ふとも、報恩の為めと存ずれば、命惜からずと思ひ定め居たる所に、九月九日重陽の賀慶に、諸士登城なり、家風にて同役の者も、功の多少を吟味して、席は上中下の次第あり、別役の者は一間限りの定めにて、混雑なき作法なり。然る所に、右の両人天運の為す所か、我定まりたる席を立て休息所に行き、茶を飲みて居る所へ、景勝至て深沢に申は、其方眼病不快の由上の御耳に入り、御薬を下し賜はり候、我等其方が目へ指して心持を聞きて参れとの御意なりとて、深沢を仰のけに寝させて、手に持ちし胡椒の粉を両眼にさつと打県け、其儘脇差を抜き、上意なりと言て、突きながら九鬼助けよと言ふ。九鬼、深沢が起き直らぬ間に、二の太刀を打て切留る。其中景勝脇差を引取りて、蹈込み、九鬼が右の肩先より左の脇まで裂裟掛に切落せし故、二の太刀に及ばず死したりけり。輝虎聞て、殊の外褒美し、其年より植田は申に及ばず、政景の本領前々の如く返し与へけり。其の明る年、輝虎加賀能登へ発向の時、景勝初陣なり。夫より出陣毎に供し、忠勤を励みけり。

書き下し

○景勝十四歲の時、深澤、九鬼の兩人、法度を背きしことありて、輝虎以ての外腹立し、成敗と思ひ究めしかども、追々延々になる。景勝聞て、密に輝虎へ此者共を某に仰せ付られ候へと望む。輝虎曰く、彼等數度剛强の働きをして健氣なる者共なれば、一人づゝ引分て、三五人づゝに言付ても如何に思ふ所、汝悴にて申議存寄らざることなり。去ながら望む志は勇氣なりとて、甚だ褒美しけれども免さず。景勝思ふに、成敗に究まりたりと覺ゆれば、之を斬りたりとも、粗忽には成るまじ、切留るば手柄なり、仕損じて返り討に逢ふとも、報恩の爲めと存ずれば、命惜からずと思ひ定め居たる所に、九月九日重陽の賀慶に、諸士登城なり、家風にて同役の者も、功の多少を吟味して、席は上中下の次第あり、別役の者は一間限りの定めにて、混雜なき作法なり。然る所に、右の兩人天運の爲す所か、我定まりたる席を立て休息所に行き、茶を飮みて居る所へ、景勝至て深澤に申は、其方眼病不快の由上の御耳に入り、御藥を下し賜はり候、我等其方が目へ指して心持を聞きて參れとの御意なりとて、深澤を仰のけに寢させて、手に持ちし胡椒の粉を兩眼にさつと打縣け、其儘脇差を拔き、上意なりと言て、突きながら九鬼助けよと言ふ。九鬼、深澤が起き直らぬ間に、二の太刀を打て切留る。其中景勝脇差を引取りて、蹈込み、九鬼が右の肩先より左の脇まで裂裟掛に切落せし故、二の太刀に及ばず死したりけり。輝虎聞て、殊の外褒美し、其年より植田は申に及ばず、政景の本領前々の如く返し與へけり。其の明る年、輝虎加賀能登へ發向の時、景勝初陣なり。夫より出陣毎に供し、忠勤を勵みけり。

現代語訳

景勝が十四歳の時、深沢と九鬼の二人が法度に背いたことがあり、輝虎はもってのほか腹を立て、成敗と思い定めたものの、次第に延び延びになった。景勝は聞いて、密かに輝虎へ、この者どもを私にお命じくださいと望んだ。輝虎は言った。あの者たちは何度も剛強の働きをして立派な者たちだから、一人ずつ引き分けて、三人、五人ずつに言いつけてもどうかと思うところ、お前のような子どもには、とても思いも及ばないことだ。しかしながら、望む志は勇気だと言って、大いに褒美したけれども許さなかった。景勝は、成敗に決まったと思うので、斬ったとしても粗忽にはなるまい、斬り止めれば手柄、仕損じて返り討ちにあっても、報恩のためと思えば命は惜しくないと思い定めていたところ、九月九日の重陽の祝いに、諸士が登城した。家風として、同役の者も功の多少を吟味して、席は上中下の順があり、別の役の者は一間限りの定めで、混雑のない作法であった。ところが、あの二人は天運のなすところか、自分の定まった席を立って休息所に行き、茶を飲んでいるところへ、景勝がやって来て深沢に言った。お前は眼病が良くないとお上の耳に入り、薬を下された。私がお前の目へさして、心持ちを聞いて参れとの御意である、と。深沢を仰向けに寝かせて、手に持った胡椒の粉を両眼にさっと振りかけ、そのまま脇差を抜き、上意であると言って突きながら、九鬼を助けよと言った。九鬼は、深沢が起き直らないうちに二の太刀を打って斬り止めた。そのうち景勝は脇差を引き取って、踏み込み、九鬼の右の肩先から左の脇まで袈裟掛けに斬り落としたので、二の太刀に及ばず死んだ。輝虎は聞いて、ことのほか褒美し、その年から植田はいうまでもなく、政景の本領を以前のとおり返し与えた。その翌年、輝虎が加賀、能登へ発向する時、景勝は初陣であった。それから出陣のたびに供をし、忠勤に励んだ。

解説

十四歳の景勝が、主君が処分を決めかねていた二人の家臣を、ある日の席で討ち果たしたという逸話です。家中で定められた席次の作法と、二人が席を外した隙をとらえた段取りが、細かく語られます。胡椒で目をつぶして上意と称するなど、現代の目には過激な手口で、逸話としての確かさもわかりません。ただ、命を懸ける覚悟を決めたうえで機会を待つ判断や、決断した者に対して主君が功を認め、本領を返したという筋は、責任の取り方と報いの設計の話として読めます。暴力を勧める話ではなく、覚悟と準備の関係を読み取る一節です。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

景勝重陽深沢九鬼覚悟機会

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る