名将言行録 / 『名将言行録』上杉輝虎 梅干しの酒と蛇の神
○輝虎酒を好み、常に景勝及び、直江兼續、石坂撿校抔を相手にして酒を飮むに、肴は何にもなく、常に梅干を肴にせりとぞ。 ○輝虎、一日諏訪祠に謁し、巨蟒を見る巫人曰く、是神なり、神出れば乃ち願成る。公志願の成る知るべきなりと。輝虎鳥銃を以て之を打つ。蟒大に傷つき、逸居す。時に林木皆震せり。輝虎笑て曰く、神形なし、是蜒蚰なるものは何の神か之あらん、人推して之を神と爲す。其をして長大ならしめば、後必ず害を爲さん、我今之に遇ひ、民害を除すること幸なり。盟嗽一拜して歸る。侍臣皆其崇を爲すを怖るれども、敢て言はす。夜に及び輝虎熱氣發す。侍臣診察して曰く、公滿身蛇を生ずと、輝虎左右に命じ燭を以て之を照し、小蛇を取り去らしめければ、日ならずして愈えたり。
新字:○輝虎酒を好み、常に景勝及び、直江兼続、石坂撿校抔を相手にして酒を飲むに、肴は何にもなく、常に梅干を肴にせりとぞ。 ○輝虎、一日諏訪祠に謁し、巨蟒を見る巫人曰く、是神なり、神出れば乃ち願成る。公志願の成る知るべきなりと。輝虎鳥銃を以て之を打つ。蟒大に傷つき、逸居す。時に林木皆震せり。輝虎笑て曰く、神形なし、是蜒蚰なるものは何の神か之あらん、人推して之を神と為す。其をして長大ならしめば、後必ず害を為さん、我今之に遇ひ、民害を除すること幸なり。盟嗽一拝して帰る。侍臣皆其崇を為すを怖るれども、敢て言はす。夜に及び輝虎熱気発す。侍臣診察して曰く、公満身蛇を生ずと、輝虎左右に命じ燭を以て之を照し、小蛇を取り去らしめければ、日ならずして愈えたり。
書き下し
○輝虎酒を好み、常に景勝及び、直江兼續、石坂撿校抔を相手にして酒を飮むに、肴は何にもなく、常に梅干を肴にせりとぞ。 ○輝虎、一日諏訪祠に謁し、巨蟒を見る巫人曰く、是神なり、神出れば乃ち願成る。公志願の成る知るべきなりと。輝虎鳥銃を以て之を打つ。蟒大に傷つき、逸居す。時に林木皆震せり。輝虎笑て曰く、神形なし、是蜒蚰なるものは何の神か之あらん、人推して之を神と爲す。其をして長大ならしめば、後必ず害を爲さん、我今之に遇ひ、民害を除すること幸なり。盟嗽一拜して歸る。侍臣皆其崇を爲すを怖るれども、敢て言はす。夜に及び輝虎熱氣發す。侍臣診察して曰く、公滿身蛇を生ずと、輝虎左右に命じ燭を以て之を照し、小蛇を取り去らしめければ、日ならずして愈えたり。
現代語訳
輝虎は酒を好み、いつも景勝、直江兼続、石坂検校などを相手にして酒を飲みましたが、肴は何もなく、いつも梅干しを肴にしたと伝わります。 輝虎はある日、諏訪の祠に参拝し、大蛇を見ました。巫女が、「これは神です。神が現れれば願いが成就します。公の志願が成ると知るべきです」と言います。輝虎は鳥銃でこれを撃ちました。蛇は大いに傷つき、逃げ去りました。そのとき林の木々は皆震えました。輝虎は笑って言いました。「神には形がない。これはナメクジの類のようなもので、何の神があろうか。人が推してこれを神とするのだ。これを長大にならせれば、後に必ず害をなすだろう。私が今これに遇い、民の害を除いたのは幸いだ」と。口をすすぎ、一拝して帰りました。侍臣たちは皆、祟りを恐れましたが、あえて言いませんでした。夜に及んで、輝虎は熱が出ました。侍臣が診察して、「公の全身に蛇が生じています」と言うと、輝虎は左右に命じて、灯火でこれを照らさせ、小蛇を取り去らせたところ、日を置かずに治りました。
解説

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