名将言行録 / 『名将言行録』眞田昌幸 大坂籠城の秘計
昌幸、我も全く防べき手段なし、然りと雖も我年來の武略の程は、家康にも存じのことなれば、我二萬の兵を備て、道に待つと言はんに、假令十萬二十萬の猛勢なりとも、容易く打破んとは思はれじ、兎角の評議あらん間に、四五日は過ぎぬべし、我忍を付け置て、敵を謀りて輕く引取り、又勢田の橋を壞ちて、爰に又一支せんに、關東の大軍凡そ十餘日は所々に滯留せしめん、此時眞田こそ、東國の大軍を支へ得たれと言はんには、畿內西國の諸將關東にや付ん、大坂にや興せんと兩端を得たる者共、多くは大坂に歸せんか、然らば大坂の兵卒內端に取ても七八萬には及ぶべし、其時人を遣はして二條の城を燒拂ひ、悉く大坂城中に引籠り、郭外に柵を付け弓銃を備へ、堅く守り怠らず、敵頻りに戰を挑むとも應ぜず、辱しむるとも怒らず、そどろに城兵を僞引ども出でず、佚を以て勞を待ち、久く時日を空しくするの謀を爲さば、東軍多くは退屈して怠出來るべし、其時或は夜討にし、或は朝掛にして味方の勇を蓄へ、敵の心を惱まさば、大軍糧乏く氣勞れ、城は名城なり、敵怒て力攻にせば、柵の內櫓の上より目當を打が如くにして、敵のみ日々に死傷せん、爰に於て書を通じ使を遣はして故太閤恩顧の大名を招かば始め關東に從ひたりとも、又志變じ大坂に從ふ者あるべし。是其力を借らずとも自然と關東相疑ひて、戰必ず怠るべし、其虛の隙を伺ひ、心を一にして大に敵を討んには、東軍をば百里の外に追退けんこと掌を指すが如くならん。誠に我軍を全して、敵陣を碎くの妙計なりけるぞや、汝我志を繼ぎ大坂に籠り、此理を以て諸人に語るとも、大野兄弟を始として、兵法不鍛錬の者共なれば、用ふべからざること必定なり。方々に人數を散らし、名城の要地を離れ無謀の戰を好み、滅亡を取んこと必定なり。汝後を見よと言けるが、果して其言の如し。
新字:昌幸、我も全く防べき手段なし、然りと雖も我年来の武略の程は、家康にも存じのことなれば、我二万の兵を備て、道に待つと言はんに、仮令十万二十万の猛勢なりとも、容易く打破んとは思はれじ、兎角の評議あらん間に、四五日は過ぎぬべし、我忍を付け置て、敵を謀りて軽く引取り、又勢田の橋を壊ちて、爰に又一支せんに、関東の大軍凡そ十余日は所々に滞留せしめん、此時真田こそ、東国の大軍を支へ得たれと言はんには、畿内西国の諸将関東にや付ん、大坂にや興せんと両端を得たる者共、多くは大坂に帰せんか、然らば大坂の兵卒内端に取ても七八万には及ぶべし、其時人を遣はして二条の城を焼払ひ、悉く大坂城中に引籠り、郭外に柵を付け弓銃を備へ、堅く守り怠らず、敵頻りに戦を挑むとも応ぜず、辱しむるとも怒らず、そどろに城兵を偽引ども出でず、佚を以て労を待ち、久く時日を空しくするの謀を為さば、東軍多くは退屈して怠出来るべし、其時或は夜討にし、或は朝掛にして味方の勇を蓄へ、敵の心を悩まさば、大軍糧乏く気労れ、城は名城なり、敵怒て力攻にせば、柵の内櫓の上より目当を打が如くにして、敵のみ日々に死傷せん、爰に於て書を通じ使を遣はして故太閤恩顧の大名を招かば始め関東に従ひたりとも、又志変じ大坂に従ふ者あるべし。是其力を借らずとも自然と関東相疑ひて、戦必ず怠るべし、其虚の隙を伺ひ、心を一にして大に敵を討んには、東軍をば百里の外に追退けんこと掌を指すが如くならん。誠に我軍を全して、敵陣を砕くの妙計なりけるぞや、汝我志を継ぎ大坂に籠り、此理を以て諸人に語るとも、大野兄弟を始として、兵法不鍛錬の者共なれば、用ふべからざること必定なり。方々に人数を散らし、名城の要地を離れ無謀の戦を好み、滅亡を取んこと必定なり。汝後を見よと言けるが、果して其言の如し。
書き下し
昌幸、我も全く防べき手段なし、然りと雖も我年來の武略の程は、家康にも存じのことなれば、我二萬の兵を備て、道に待つと言はんに、假令十萬二十萬の猛勢なりとも、容易く打破んとは思はれじ、兎角の評議あらん間に、四五日は過ぎぬべし、我忍を付け置て、敵を謀りて輕く引取り、又勢田の橋を壞ちて、爰に又一支せんに、關東の大軍凡そ十餘日は所々に滯留せしめん、此時眞田こそ、東國の大軍を支へ得たれと言はんには、畿內西國の諸將關東にや付ん、大坂にや興せんと兩端を得たる者共、多くは大坂に歸せんか、然らば大坂の兵卒內端に取ても七八萬には及ぶべし、其時人を遣はして二條の城を燒拂ひ、悉く大坂城中に引籠り、郭外に柵を付け弓銃を備へ、堅く守り怠らず、敵頻りに戰を挑むとも應ぜず、辱しむるとも怒らず、そどろに城兵を僞引ども出でず、佚を以て勞を待ち、久く時日を空しくするの謀を爲さば、東軍多くは退屈して怠出來るべし、其時或は夜討にし、或は朝掛にして味方の勇を蓄へ、敵の心を惱まさば、大軍糧乏く氣勞れ、城は名城なり、敵怒て力攻にせば、柵の內櫓の上より目當を打が如くにして、敵のみ日々に死傷せん、爰に於て書を通じ使を遣はして故太閤恩顧の大名を招かば始め關東に從ひたりとも、又志變じ大坂に從ふ者あるべし。是其力を借らずとも自然と關東相疑ひて、戰必ず怠るべし、其虛の隙を伺ひ、心を一にして大に敵を討んには、東軍をば百里の外に追退けんこと掌を指すが如くならん。誠に我軍を全して、敵陣を碎くの妙計なりけるぞや、汝我志を繼ぎ大坂に籠り、此理を以て諸人に語るとも、大野兄弟を始として、兵法不鍛錬の者共なれば、用ふべからざること必定なり。方々に人數を散らし、名城の要地を離れ無謀の戰を好み、滅亡を取んこと必定なり。汝後を見よと言けるが、果して其言の如し。
現代語訳
昌幸は言いました。「私にも、これを完全に防ぐ手立てがあるわけではない。とはいえ、私の長年の武略は家康も知るところだ。私が二万の兵を備えて道で待つと聞けば、たとえ十万、二十万の猛勢でも、たやすく打ち破れるとは思うまい。あれこれ評議するうちに、四、五日は過ぎるだろう。私は物見を置いて敵を欺き、軽く引き取り、また瀬田の橋を壊してここでもう一度支えれば、関東の大軍はおよそ十日余り、あちこちに足止めされる。そのとき『真田こそ東国の大軍を支えた』と言われれば、畿内・西国の諸将のうち、関東につこうか大坂に味方しようかと両天秤の者たちの多くは、大坂に帰順するだろう。そうなれば大坂の兵は、内々に見積もっても七、八万には及ぶ。そこで人を遣わして二条城を焼き払い、ことごとく大坂城中に籠もり、外郭に柵を設けて弓・鉄砲を備え、固く守って怠らない。敵がしきりに戦を挑んでも応じず、辱めても怒らず、むやみに城兵を偽って引き出そうとしても出ない。楽をもって敵の疲れを待ち、久しく日数を費やす謀をなせば、東軍の多くは退屈して怠りが出てくるだろう。そのとき、あるいは夜討ち、あるいは朝駆けして味方の勇気を蓄え、敵の心を悩ませれば、大軍は兵糧が乏しくなり気力も疲れる。城は名城である。敵が怒って力攻めにすれば、柵の内や櫓の上から的を狙うように撃ち、敵だけが日々死傷するだろう。ここで書状を通じ使者を遣わして、故太閤の恩顧を受けた大名を招けば、初めは関東に従っていても、また志を変えて大坂に従う者が出よう。その力を借りなくても、自然と関東は互いに疑い、戦意は必ず衰える。その虚の隙をうかがい、心を一つにして大いに敵を討てば、東軍を百里の外に追い退けることは、掌を指すようにたやすい。まことに、味方の軍を無傷に保ち敵陣を砕く妙計ではないか。お前が私の志を継いで大坂に籠もり、この理をもって人々に語っても、大野兄弟をはじめ、兵法を鍛錬していない者たちだから、用いられないことは必定だ。方々に人数を散らし、名城の要地を離れ、無謀な戦を好んで、滅亡を招くことは必定だ。お前、後を見ておれ」と言いましたが、はたしてその言葉のとおりになりました。
解説

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