名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 弓矢は欲のためならず
第三に、神は郡村の鎭守、貴賤上下の本居なり、去れば、神社の祭禮恒例の神事、更に違亂すべきにあらず、佛は三界の敎主、一切衆生の慈母なり、佛閣の結構、法會の經營、尤以て等閑にすべからず、是等の事を執り行ふに、私なきを以て守護の能とす。然るに信濃の諸大將は、百姓を勞し、收納を責徴し、商賈の財寶を貪り、諸道の運上を掠め、神社佛閣を追捕して、幣帛初穗を抑留すること年久し、然れば國民守護を疎み、守護國民を憐ます、上下互に相怨むが故に、誰にもあれ、我守護を討て年比の怨を返すことを得たらましかば、如何計りか嬉しからんと思ふ所へ我押寄せたれば、一戰に勝利を得たるなれ。今分捕の兵糧を還し、晴信が弓箭は、欲の爲めにあらず、只國民を安樂ならしめんが爲めなりと云ふことを、一度信濃の民共に知らせなば、重ねては國民共、早く晴信此國へ軍を取掛けて、非道の守護を誅戮し、正路の沙汰を致せかしと日々夜々に待ち思ふらん、然らば合戰の勞は少うして、國を治ることは、却て安からんものをと言はれけり。
新字:第三に、神は郡村の鎮守、貴賤上下の本居なり、去れば、神社の祭礼恒例の神事、更に違乱すべきにあらず、仏は三界の教主、一切衆生の慈母なり、仏閣の結構、法会の経営、尤以て等閑にすべからず、是等の事を執り行ふに、私なきを以て守護の能とす。然るに信濃の諸大将は、百姓を労し、収納を責徴し、商賈の財宝を貪り、諸道の運上を掠め、神社仏閣を追捕して、幣帛初穂を抑留すること年久し、然れば国民守護を疎み、守護国民を憐ます、上下互に相怨むが故に、誰にもあれ、我守護を討て年比の怨を返すことを得たらましかば、如何計りか嬉しからんと思ふ所へ我押寄せたれば、一戦に勝利を得たるなれ。今分捕の兵糧を還し、晴信が弓箭は、欲の為めにあらず、只国民を安楽ならしめんが為めなりと云ふことを、一度信濃の民共に知らせなば、重ねては国民共、早く晴信此国へ軍を取掛けて、非道の守護を誅戮し、正路の沙汰を致せかしと日々夜々に待ち思ふらん、然らば合戦の労は少うして、国を治ることは、却て安からんものをと言はれけり。
書き下し
第三に、神は郡村の鎭守、貴賤上下の本居なり、去れば、神社の祭禮恒例の神事、更に違亂すべきにあらず、佛は三界の敎主、一切衆生の慈母なり、佛閣の結構、法會の經營、尤以て等閑にすべからず、是等の事を執り行ふに、私なきを以て守護の能とす。然るに信濃の諸大將は、百姓を勞し、收納を責徴し、商賈の財寶を貪り、諸道の運上を掠め、神社佛閣を追捕して、幣帛初穗を抑留すること年久し、然れば國民守護を疎み、守護國民を憐ます、上下互に相怨むが故に、誰にもあれ、我守護を討て年比の怨を返すことを得たらましかば、如何計りか嬉しからんと思ふ所へ我押寄せたれば、一戰に勝利を得たるなれ。今分捕の兵糧を還し、晴信が弓箭は、欲の爲めにあらず、只國民を安樂ならしめんが爲めなりと云ふことを、一度信濃の民共に知らせなば、重ねては國民共、早く晴信此國へ軍を取掛けて、非道の守護を誅戮し、正路の沙汰を致せかしと日々夜々に待ち思ふらん、然らば合戰の勞は少うして、國を治ることは、却て安からんものをと言はれけり。
現代語訳
第三に、神は郡や村の鎮守であり、身分の高い者低い者の本拠である。だから、神社の祭礼や恒例の神事を、決して乱してはならない。仏は三界の教主であり、一切の衆生の慈母である。仏閣の造営や法会の運営は、もとより疎かにしてはならない。これらのことを執り行うのに私心のないことが、守護の務めである。ところが信濃の諸大将は、百姓を苦しめ、収納を厳しく取り立て、商人の財宝を貪り、諸道の運上をかすめ、神社仏閣を差し押さえて、幣帛や初穂を留め置くこと年久しい。そうであれば、国民は守護を疎み、守護は国民を憐れまず、上下が互いに怨むため、誰であれ、自分の守護を討って年来の怨みを返すことができたならば、どれほど嬉しいかと思っているところへ、私が押し寄せたので、一戦に勝利を得たのである。いま分捕りの兵糧を返し、晴信の弓矢は欲のためでなく、ただ国民を安楽にするためなのだということを、一度信濃の民に知らせたならば、重ねて国民たちは、早く晴信がこの国へ軍を向けて、非道の守護を討ち、正しい筋の裁きをしてほしいと、日夜待ち望むだろう。そうなれば、合戦の労は少なくて、国を治めることはかえって容易であろうに、と言われました。
解説

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名将言行録・『名将言行録』武田晴信 勝って糧を返す○十一年三月九日、晴信、村上、諏訪、小笠原三家の兵を瀨澤に擊敗りて、大に勝利を得たり。初め晴信諸將に令して曰く、信濃の諸將、元より我年若くして、國の宿老を指揮することを能はずと思へり。去れば三家皆鬪心あることなし、我急に之を擊たば、彼必ず互に先を爭ひ、備を亂し騷け合はん、我隊伍を堅く一團の鋒矢の陣を以て、只一擧に擊敗るべし、人々兵粮は三日分にして、其餘は無用たるべしと觸れたり。諸將何れも晴信血氣故、荒涼の事を言はる〻と沙汰して、常の如く小荷駄を牽せたり。然るに敵に向て、鬨の聲を揚ると等しく、拔き連れて切て掛る。信濃の勢、案の如く先を論じて一決せず、其旗鼓未だ定まらざるに、我先鋒潮の涌くが如く押し掛て、息もつがず攻めたりしかば、忽ち大崩と成りけり。此時信濃勢、多分軍粮を棄て逃けたるにより、甲州へ小荷駄を分捕せしを、晴信聞て、悉く瀨澤口に積みて、少しも貪ることなからしむ。諸將曰く偶々一旦の勝利を得給ひながら、軍士を勞せらる〻に及ばず、分捕の兵粮を還さる〻ことこそ、心得難けれと、口々に申し〻を、晴信聞き、面々は壯年の昔より老功の今に至るまで、武邊の覺、世に聞えたる程なれば、晴信の心の及ばぬ所をば、異見をも頼みつるに、偖は頼母敷からぬ心哉、抑々兵を起し、雨に浴し風に櫛るも、敵の兵糧を分捕して、我士卒に興へんとの業と思ふにや、弓箭の道は、左樣に寒敷ものならず、第一百姓の耕作を妨ぐることなし、況や其儲を奪ふべけんや、又放火し、竹木を伐り取ること抔は思ひも寄らず、第二商賈の族は、國の有無を通じて、日用を助くるものなり、其等が店に並べて、客の求めを待つもの、假令は一錢以上に當るもの、狼藉に之を亂妨すべけんや。
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名将言行録・『名将言行録』武田晴信 城より人を持つ○晴信、商人を二十人程拵へ、國々へ遣はし、又外科醫師、或は伯樂抔をも拵へ遣はし、色を替、品を替て、大形一國に二人づゝ常に之ある樣にせり。土地の險易、國の風俗、將の能否まで、悉く知らざるはなし。又人國記に載する所の風俗と、見聞する處の風俗とを、扇に合はせ書し、常に之を見居たりとぞ。 ○晴信、終身甲斐國中に城郭を築かず。偖其居所の構は、狹き堀を淺く穿て、只一重なり。老臣何れも諫めて曰く、御城殊の外小さく、其上粗相にて如何に候と。晴信聞て事の仔細分別して見よ、國持が城に籠て運を開きしことは希ならん、但し主人を持ちたる侍の後詰を賴みにする者は、何程も堅固の地に、城を丈夫に築くこと肝要なり、三ケ國共支配する大將が、大なる城に一ぱい籠る程、人數を持ならば、敵味方の國境にて、二ッなき合戰して、果たすべきこと尤なり。人數多くして、其合戰成らぬ程ならば、籠城したるとも、弓鐵炮の狹間を潛り妻子を捨てゝ走り逃ん。大將たらん者は、士を崇敬して、法度軍法を定め、軍せんことを朝夕の作事と相心得、心に我一人にて普請をするは、城を普請するよりは、遙に大作事なり、是大將の一人にて、多人數を働かす所なり、去るに依て、大合戰二萬三萬にて勝ちたるをも、晴信が勝と言ふ。大將一人の覺悟を以て、諸人に勝たせ、諸人の勝を、大將の勝と言ふ、是大將の第一の願なり。何れも此儀を解得すべしと言ふ。又曰く、八九日路遠き堺目の城は、如何にも堅固なる地を見立て、丈夫に普請し、敵取卷かば、我後詰をして、兼て分け目の合戰せんと申ことなり。合戰も城を能く持たせねば、後詰は成らぬぞ、後詰なければ、合戰は成らぬぞ、左あれば、合戰と城取は、車の兩輪なりと。
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『秘本玉くしげ』下 村の産土神むかし神領なりし地も、中比の兵乱にみな奪ひ取られ玉ひて、今は大名の領地となれる所多ければ、その御冥加のためばかりにもなほざりには有まじき事也。其外御武運長久の御ためにも、国内安全のためにも、五穀豊登のためにも、かならず神を厚く祭り玉ふ御政にあらまほしくなん。さて又領内村々の産神、城下町々の神社など、領主より祭り玉ふほどの神社にはあらず共、命令を出されて、其所々の神社を随分大切にいたし、神事を麁略に致すまじきよしを、つねづねねんごろに示し玉ふべき御事也。然るに当時は惣じて神社神事などの上の取扱ひ甚おろそかにて、村々町々の神事などは仮令のいたづら事のやうに心得て、これを押へ軽くすべきやうにいひつけ、下々にても神事に物入多きは無益の費のやうに心得る者もあるは、皆甚しきひがこと也。何事も神の御めぐみ御守りにあらでは、世によき事はなし。困窮して苦しくば、いよいよ神をば厚く祭るべきこと也。
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名将言行録・『名将言行録』武田晴信 敗因は仕様にあり○晴信曰く、負け間敷軍に負け、亡ぶ間敷家の亡ぶるを、人皆天命なりと言ふ、某に於ては天命とは思はず、皆仕樣の惡敷が故と思ふなり。兼ての仕樣だに能くせば、負くべき樣あるまじ、依て常に我家の作法猥りになき樣に、道理に背かざる如くにと氣遣へり。又た軍法のこと小備の味を能く工夫して立覺ゆれば、大備も仕善く、戰場の備も地形を見合立設くるが能し、萬事小きより、次第々々に組立て、後には大きなる事も成り能く、之あり、大より小は仕惡くし、縱令ば小身の士、次第々々に仕上て大身に成ては仕善し、大身の人小身に成ては仕惡き如きなり。只肝要は我身を正くして、法度を立て、非義を糺し、善を擧げ用ふることを、專ら心に掛べきことなり。家中には法度を堅く申付け、非義を糺し、縱令善を擧ると雖も、大將其身は有り度儘に振舞へば、法度を立たるも、立ざるも同じ事たるべし、法度を立んと思はば我身を能く穿鑿して、非義を改め、其後法度を立るに於ては、能く立べし、某自慢の樣なれども、父信虎の代には甲州一國なり、我代になりて、若年の時の惡事を自反し、非を打たれざる如くに覺悟して、行義を改め、士大將にも恥づる如く心を持て法度を立て、非義を行はず、故に士大將共思付て、我采幣に付き、小備の穿鑿工夫能くして、大備をも組立、戰場の備も地形に依て備を立設け、味能く鍛錬して隣國四ケ國を伐取り、一度も敵に押付を見せざる如く、只今まで仕置せしこと、偏に法度の立樣と、備の味にあり、我明日死すると雖も、某が仕置少しも違へず、我取立の士大將共の諫を、竹王信勝能く用ひて、又士大將の子供を、次第々々に取立某が仕置の樣子を、其親父共言敎て、人を取立る如くにして、弓矢に無理の働せず、備違はず、一度天下に望を掛け、武田の家名を揚ぐべきこと、勝頼が分別にある處なり。
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『武家家訓集』武田信繁家訓九十九箇条「第70〜72条」一、夫れ凡そ情を加うべき事。尚書に云く、「徳は惟れ善政、政は民を養うに在り」と。 一、仏神信ずべき事。云く、「仏心に叶えば、時々力を添え、横心を以て人に勝てば、露われて亡ぶべし」と。伝に云く、「神は非礼を享けず」と。 一、味方敗軍に及ばば、一入捐つべき事。穀梁伝に云く、「善く陣する者は戦わず、善く戦う者は死せず」と。
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名将言行録・『名将言行録』武田晴信 人を使わず業を使う○晴信、板垣彌次郎を殺す。其組下曲淵庄左衞門、組頭の仇を打んとて、晴信を狙ふ。晴信之を聞き、曲淵を呼出し、甲斐の國の者は皆晴信が譜代なり、我を差置き板垣の爲めを存ずべきか、此段を合點致し、以來我爲めを存候へとて、十貫の加増を興て、少しも怒らず。德川家康之を聞き、猫は座敷を汚せども、鼠を取らすべき爲め之を飼置くなりと言て、晴信の人の使樣を感歎せり。 ○晴信曰く、我が人を使ふは、人をば使はず、其業を使ふなり、又政事にも業を致せり、惡き業のなき如くに、人を使へばこそ心地はよけれと。 ○晴信終に臨み、遺言して曰く、吾死するの後、妄りに兵を動すこと勿れ、唯國政を脩め、寇來らば之を禦ぎ寇去らば之を守れ。賞罰の行はるゝこと三年ならば、即ち四鄰戰はずして自屈せん、且つ上杉謙信は義人なり、天下未だ其比を見ず、一旦國を以て之に託する時は、泰山よりも安し。汝我言を用ひば、吾復た何をか息へんと言て卒す。勝頼其言に從はず、竟に其國を亡せり。