名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 幼き日の学び
陸奥守信虎の長子、大膳大夫に任じ、後髪を削り法性院信玄と號す。東海、東山、北陸にて十州を平げ甲府に住す。天正元年四月十二日卒、年五十三。 ○晴信幼名勝千代と曰ふ。八歳より長禪寺に往て手習學問す。勝千代資性敏捷、一字を學びて十字を知れり。一日師僧一卷の書を出し、是は玄惠法師が庭訓往來なり、讀み習ひ給ふべしとありければ、勝千代、二三日の間に、早や其理に通達し、是は左のみ武將たる者の必ず讀むべきものとも覺えず、外に何にても軍術に達すべき書を敎導し給へと言ふ。師僧之を聞き、大に感じ、去らばとて、七書を出して讀ましめければ、勝千代大に喜び、是こそ我望む所なれと言て、夜を日に繼ぎて勉學し、竟に其理に徹底せり。 ○晴信十二歳の秋の暮、手水の爲めに廣縁に立出でしに、日比立置く木馬のありけるが、忽ち身震して勝千代と名を呼ぶ。聞かぬ體にもてなしけれど、餘り不思議さに、其所に佇みければ、又彼木馬、如何に勝千代、軍術と劔術と何れが是なりと問ふ。晴信、軍術劔術ともに是なり、是れ劔術の妙なりと言ふや否、只一打に切拂へば、手答して縁より下へ百と落つ。依て小性の今井市郎を呼びて、廣縁の下に何事かある、見て參れと言ふ。頓て火を持ちて行き見れば、大なる狸の血に染みて死居たり。
新字:陸奥守信虎の長子、大膳大夫に任じ、後髪を削り法性院信玄と号す。東海、東山、北陸にて十州を平げ甲府に住す。天正元年四月十二日卒、年五十三。 ○晴信幼名勝千代と曰ふ。八歳より長禅寺に往て手習学問す。勝千代資性敏捷、一字を学びて十字を知れり。一日師僧一巻の書を出し、是は玄恵法師が庭訓往来なり、読み習ひ給ふべしとありければ、勝千代、二三日の間に、早や其理に通達し、是は左のみ武将たる者の必ず読むべきものとも覚えず、外に何にても軍術に達すべき書を教導し給へと言ふ。師僧之を聞き、大に感じ、去らばとて、七書を出して読ましめければ、勝千代大に喜び、是こそ我望む所なれと言て、夜を日に継ぎて勉学し、竟に其理に徹底せり。 ○晴信十二歳の秋の暮、手水の為めに広縁に立出でしに、日比立置く木馬のありけるが、忽ち身震して勝千代と名を呼ぶ。聞かぬ体にもてなしけれど、余り不思議さに、其所に佇みければ、又彼木馬、如何に勝千代、軍術と剣術と何れが是なりと問ふ。晴信、軍術剣術ともに是なり、是れ剣術の妙なりと言ふや否、只一打に切払へば、手答して縁より下へ百と落つ。依て小性の今井市郎を呼びて、広縁の下に何事かある、見て参れと言ふ。頓て火を持ちて行き見れば、大なる狸の血に染みて死居たり。
書き下し
陸奥守信虎の長子、大膳大夫に任じ、後髪を削り法性院信玄と號す。東海、東山、北陸にて十州を平げ甲府に住す。天正元年四月十二日卒、年五十三。 ○晴信幼名勝千代と曰ふ。八歳より長禪寺に往て手習學問す。勝千代資性敏捷、一字を學びて十字を知れり。一日師僧一卷の書を出し、是は玄惠法師が庭訓往來なり、讀み習ひ給ふべしとありければ、勝千代、二三日の間に、早や其理に通達し、是は左のみ武將たる者の必ず讀むべきものとも覺えず、外に何にても軍術に達すべき書を敎導し給へと言ふ。師僧之を聞き、大に感じ、去らばとて、七書を出して讀ましめければ、勝千代大に喜び、是こそ我望む所なれと言て、夜を日に繼ぎて勉學し、竟に其理に徹底せり。 ○晴信十二歳の秋の暮、手水の爲めに廣縁に立出でしに、日比立置く木馬のありけるが、忽ち身震して勝千代と名を呼ぶ。聞かぬ體にもてなしけれど、餘り不思議さに、其所に佇みければ、又彼木馬、如何に勝千代、軍術と劔術と何れが是なりと問ふ。晴信、軍術劔術ともに是なり、是れ劔術の妙なりと言ふや否、只一打に切拂へば、手答して縁より下へ百と落つ。依て小性の今井市郎を呼びて、廣縁の下に何事かある、見て參れと言ふ。頓て火を持ちて行き見れば、大なる狸の血に染みて死居たり。
現代語訳
陸奥守信虎の長子で、大膳大夫に任ぜられ、後に髪を剃って法性院信玄と号した。東海、東山、北陸にわたって十州を平らげ、甲府に住んだ。天正元年四月十二日に亡くなった。年は五十三。 晴信は幼名を勝千代といいました。八歳から長禅寺に行って手習いと学問をしました。勝千代は生まれつき敏捷で、一字を学んで十字を知りました。ある日、師の僧が一巻の書を出し、これは玄恵法師の庭訓往来です、読み習いなさいと言うと、勝千代は二、三日のうちに早くもその理に通じ、これは武将たる者が必ず読むべきものとも思えません、ほかに何でも軍術に通じられる書を教えてください、と言いました。師の僧はこれを聞いて大いに感心し、それならばと、七書を出して読ませたところ、勝千代は大いに喜び、これこそ私が望むところですと言って、夜を日に継いで勉学し、ついにその理に徹底しました。 晴信は十二歳の秋の暮れ、手水のために広縁に出たところ、日頃立てて置いた木馬があって、突然身震いして勝千代と名を呼びました。聞こえないふりをしましたが、あまりの不思議さに、そこにたたずんでいると、またその木馬が、いかに勝千代、軍術と剣術とはどちらが優れているかと尋ねました。晴信は、軍術も剣術もともに優れています、これは剣術の妙ですと言うやいなや、ただ一打ちに斬り払うと、手応えがあって縁から下へどさりと落ちました。そこで小姓の今井市郎を呼んで、広縁の下に何かある、見てこいと言いました。やがて火を持って行って見ると、大きな狸が血に染まって死んでいました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十八年 学は殖なり六月、鄅人稻を藉(し)く。邾人鄅を襲ふ。鄅人將に門を閉ぢんとす。邾人羊羅、其の首を攝(と)る。遂に之に入り、盡く俘にして以て歸る。鄅子曰く、「余歸る無し」と。帑に從ひて邾に於いてす。邾の莊公鄅の夫人を反し、而して其の女を舍(とど)む。秋、曹の平公を葬る。往く者周の原伯魯に見え、之と語る。學を說ばず。歸りて以て閔子馬に語る。閔子馬曰く、「周其れ亂れんか。夫れ必ず多く是の說有りて、而る後に其の大人に及ぶ。大人失ふを患へて惑ひ、又曰く、『以て學ぶこと無かる可し。學ぶこと無きも害あらず』と。害あらずとして學ばざれば、則ち苟くも可なりとす。是に於いてか下陵ぎ上替(すた)る。能く亂るること無からんや。夫れ學は殖なり。學ばざれば將に落ちんとす。原氏其れ亡びんか」と。
-
論語・季氏篇孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。』吾其の人を見たり、吾其の語を聞けり。『隠居して以て其の志を成し、義を行いて以て其の道を達す。』吾其の語を聞けり、未だ其の人を見ざるなり。」
-
『学問のすゝめ』十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・昨日の所信は今日の疑団となり然りしこうして今この責めに任ずる者は、他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。
-
論語・雍也篇子、子夏に謂いて曰く、女(なんじ)は君子の儒たれ、小人の儒たるなかれ。
-
論語・里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
-
論語・雍也篇子曰わく、賢なるかな回や!一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂えに堪えずといえども、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。