学問のすゝめ / 十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・昨日の所信は今日の疑団となり
然りしこうして今この責めに任ずる者は、他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。
書き下し
然りしこうして今この責めに任ずる者は、他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。
現代語訳
そしてこの責めを引き受ける者は、ほかでもない、ただ一種のわが仲間の学者があるだけです。学者は努めねばなりません。思うに、これを考えるのはこれを学ぶに及びません。多くの書を読み、多くの事物に接し、心を虚しくして気を平らかにし、活き活きとした眼を開いて真実のありかを求めれば、信と疑いはたちまち場所を入れ替えて、昨日信じたことが今日の疑いの塊となり、今日疑うことが明日氷解することもあるでしょう。学者は努めねばならないのです。
解説
十五編が締められます。考えるだけでは足りず学べ、という一句が置かれ、方法が示されます。多くを読み、多くに接し、心を空にして見よ、と。そして結果として何が起きるかが描かれる。昨日の確信が今日の疑いになり、今日の疑いが明日解ける。信と疑いが入れ替わり続ける状態こそ学びの姿だという見方で、答えを持つことより問い続けることが勧められています。
この章句が説くこと
学び実地虚心転換継続
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