論語 / 雍也篇
子曰:賢哉回也!一簞食,一瓢飲,在陋巷,人不堪其憂,回也不改其樂。賢哉回也。
新字:子曰:賢哉回也!一簞食,一瓢飲,在陋巷,人不堪其憂,回也不改其楽。賢哉回也。
書き下し
子曰わく、賢なるかな回や!一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂えに堪えずといえども、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。
現代語訳
清貧の中でも学ぶ喜びを失わない顔回を賢者の手本とする。
解説
孔子は「なんと賢いことか、顔回は」と二度も繰り返して顔回を称えました。わずかな食事とわずかな飲み物だけで、狭く粗末な路地に暮らしていても、普通の人ならとても耐えられないような境遇の中で、顔回は学ぶ喜びを少しも変えなかったからです。ここで語られているのは、貧しさに耐える我慢強さというより、何によって心が満たされるかという問題です。給料や肩書き、周りからの評価といった外から与えられるものだけを頼りにしていると、それが得られない時に心が折れてしまいます。しかし、学ぶこと自体、知ることや工夫すること自体に喜びを見出せる人は、暮らし向きがどうであれ揺らぎません。これは子育てや趣味にも通じます。結果や見返りがなくても、そのこと自体が楽しいと思えるものを持っている人は、辛い時期も案外明るく過ごせるものです。顔回の姿は、外側の豊かさより内側の喜びを大切にすることの強さを教えてくれます。
この章句が説くこと
学びモチベーションエンゲージメント企業文化動機付け
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