名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 分別の肝要は仁愛
○隆景曰く、孝高の智は甚だ敏にして、是非を決するに造作もなきこと利刀にて竹を二ッに割るが如し、天下に及ぶ者なし。然るに只才覺武略の譽はありて、思慮の譽はなし。我孝高の才智には遙に劣れり、孝高の思慮せずして即時に決斷することを、我は返す〱思案して漸く孝高の即時の智に及ぶ。然れども世上の人我を却て思案ありと言ふは、才鈍きにより即時に決斷することならずして、思案を好む故なるべしと。 ○黑田長政、隆景に向ひ、分別は如何したるが能く候やと問ふ。隆景、別の仔細なし。只久く思案して遲く決斷するが能く候と答ふ。長政、又同分別にも肝要ありやと問ふ。隆景、之あり、分別の肝要は仁愛なり、萬事を決斷するに、仁愛を本として分別すれば、萬一其思慮理に當らざることありとも遠からず、仁愛なき分別は才智巧みなりとも、皆僻事なりと知り給ふべしと答へけり。 ○隆景、平生人の善言を取り用ふ。士は申に及ばず、下部にも其者の知るべきことをば尋ね問て、其者の申所然るべきことあれば取用て行ひける。其上是は何の某と曰ふ者が申たるにより、箇樣にするなりと言はれけり。故に人々進みて言を獻ぜしとぞ。 ○隆景、初め堪忍の二字を書きて壁に掛けしが、後には思案の二字に書替られたりとぞ。 ○隆景、或時急速のことありて、右筆に物を書かするに、急用のことなり、靜に書すべしと言はれしとぞ。 ○隆景、資性廉直、信義を重んじ、苟も戲言なし。若し一たび出言すれば、聊も變改せしことなしとぞ。
新字:○隆景曰く、孝高の智は甚だ敏にして、是非を決するに造作もなきこと利刀にて竹を二ッに割るが如し、天下に及ぶ者なし。然るに只才覚武略の誉はありて、思慮の誉はなし。我孝高の才智には遥に劣れり、孝高の思慮せずして即時に決断することを、我は返す〱思案して漸く孝高の即時の智に及ぶ。然れども世上の人我を却て思案ありと言ふは、才鈍きにより即時に決断することならずして、思案を好む故なるべしと。 ○黒田長政、隆景に向ひ、分別は如何したるが能く候やと問ふ。隆景、別の仔細なし。只久く思案して遅く決断するが能く候と答ふ。長政、又同分別にも肝要ありやと問ふ。隆景、之あり、分別の肝要は仁愛なり、万事を決断するに、仁愛を本として分別すれば、万一其思慮理に当らざることありとも遠からず、仁愛なき分別は才智巧みなりとも、皆僻事なりと知り給ふべしと答へけり。 ○隆景、平生人の善言を取り用ふ。士は申に及ばず、下部にも其者の知るべきことをば尋ね問て、其者の申所然るべきことあれば取用て行ひける。其上是は何の某と曰ふ者が申たるにより、箇様にするなりと言はれけり。故に人々進みて言を献ぜしとぞ。 ○隆景、初め堪忍の二字を書きて壁に掛けしが、後には思案の二字に書替られたりとぞ。 ○隆景、或時急速のことありて、右筆に物を書かするに、急用のことなり、静に書すべしと言はれしとぞ。 ○隆景、資性廉直、信義を重んじ、苟も戯言なし。若し一たび出言すれば、聊も変改せしことなしとぞ。
書き下し
○隆景曰く、孝高の智は甚だ敏にして、是非を決するに造作もなきこと利刀にて竹を二ッに割るが如し、天下に及ぶ者なし。然るに只才覺武略の譽はありて、思慮の譽はなし。我孝高の才智には遙に劣れり、孝高の思慮せずして即時に決斷することを、我は返す〱思案して漸く孝高の即時の智に及ぶ。然れども世上の人我を却て思案ありと言ふは、才鈍きにより即時に決斷することならずして、思案を好む故なるべしと。 ○黑田長政、隆景に向ひ、分別は如何したるが能く候やと問ふ。隆景、別の仔細なし。只久く思案して遲く決斷するが能く候と答ふ。長政、又同分別にも肝要ありやと問ふ。隆景、之あり、分別の肝要は仁愛なり、萬事を決斷するに、仁愛を本として分別すれば、萬一其思慮理に當らざることありとも遠からず、仁愛なき分別は才智巧みなりとも、皆僻事なりと知り給ふべしと答へけり。 ○隆景、平生人の善言を取り用ふ。士は申に及ばず、下部にも其者の知るべきことをば尋ね問て、其者の申所然るべきことあれば取用て行ひける。其上是は何の某と曰ふ者が申たるにより、箇樣にするなりと言はれけり。故に人々進みて言を獻ぜしとぞ。 ○隆景、初め堪忍の二字を書きて壁に掛けしが、後には思案の二字に書替られたりとぞ。 ○隆景、或時急速のことありて、右筆に物を書かするに、急用のことなり、靜に書すべしと言はれしとぞ。 ○隆景、資性廉直、信義を重んじ、苟も戲言なし。若し一たび出言すれば、聊も變改せしことなしとぞ。
現代語訳
隆景は言いました。孝高の智はたいへん鋭く、是非を決することに造作もないのは、鋭い刀で竹を二つに割るようで、天下に及ぶ者はない。しかし、才覚武略の誉れはあっても、思慮の誉れはない。私は孝高の才智にははるかに劣っている。孝高が思慮せずに即座に決断することを、私は繰り返し思案して、ようやく孝高の即座の智に及ぶ。しかし世間の人はかえって私に思案があると言うのは、才が鈍いために即座に決断することができず、思案を好むからであろう、と。 黒田長政が隆景に向かって、分別はどのようにするのがよいでしょうかと尋ねました。隆景は、特別な仔細はありません、ただ長く思案して遅く決断するのがよいのです、と答えました。長政はまた、同じ分別でも肝要はありますかと尋ねました。隆景は、あります、分別の肝要は仁愛です、万事を決断するのに、仁愛を本として分別すれば、万一その思慮が理に当たらないことがあっても遠くは外れません、仁愛のない分別は、才智が巧みであっても、皆誤りだとお知りなさい、と答えました。 隆景は平生、人の善い言葉を取り用いました。武士はもちろん、下働きの者にも、その者が知るはずのことは尋ねて、その者の言うことに道理があれば取り用いて行いました。そのうえ、これは何某という者が申したので、このようにするのだと言われました。だから人々は進んで意見を差し出したということです。 隆景は、初め堪忍の二字を書いて壁に掛けていましたが、後には思案の二字に書き替えられたということです。 隆景は、ある時急ぎのことがあって、右筆に物を書かせる際に、急ぎの用だから静かに書くようにと言われたということです。 隆景は、生まれつき清廉で正直、信義を重んじ、かりそめにも冗談がなかったということです。ひとたび口にしたことは、少しも変え改めたことがなかったということです。
解説

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