名将言行録 / 『名将言行録』北條氏規 志を嘉みされた降将
城中には又氏房が申旨に就て、氏政父子内に違亂の事出來、氏直父の命に從はず、降を乞ひて同六日城を出で、信雄の陣に至りしかば、氏規が謀空くなりて、氏直は死を宥められ、氏政及び舍弟陸奧守氏照をば誅せらるべきに定まりて、同十日秀吉の使氏政の許に行向て自害の事を勸む。氏規力及ばず、氏政の介錯して返す刀にて自害せんとする所を警固の者刀を奪ひ取りしかば死することを得ず。秀吉も氏規が去年使者として上京ありしより知られし者にて、今度韮山の城をも固く守り、東西和睦の事を計り、氏政と死を共にせんとの志の程を感じ、色々宥めらるゝ旨ありて、同十二日氏直の供して高野山に登る。初め氏房和議を唱へし時、諸將皆承引す。氏規之を聞き、是秀吉の謀ならん、今成ぎを行はんには、初めより戰はずして降るに若かず、敵を引請く程ならば此地を以て葬地と爲すべし、面々言甲斐なく、擒と成て見苦敷死をせんと言ひしが、果して然り。後秀吉、氏規が志を嘉みし氏直卒後、狹山萬石に封じ、北條氏の祀を存せり。
新字:城中には又氏房が申旨に就て、氏政父子内に違乱の事出来、氏直父の命に従はず、降を乞ひて同六日城を出で、信雄の陣に至りしかば、氏規が謀空くなりて、氏直は死を宥められ、氏政及び舎弟陸奥守氏照をば誅せらるべきに定まりて、同十日秀吉の使氏政の許に行向て自害の事を勧む。氏規力及ばず、氏政の介錯して返す刀にて自害せんとする所を警固の者刀を奪ひ取りしかば死することを得ず。秀吉も氏規が去年使者として上京ありしより知られし者にて、今度韮山の城をも固く守り、東西和睦の事を計り、氏政と死を共にせんとの志の程を感じ、色々宥めらるゝ旨ありて、同十二日氏直の供して高野山に登る。初め氏房和議を唱へし時、諸将皆承引す。氏規之を聞き、是秀吉の謀ならん、今成ぎを行はんには、初めより戦はずして降るに若かず、敵を引請く程ならば此地を以て葬地と為すべし、面々言甲斐なく、擒と成て見苦敷死をせんと言ひしが、果して然り。後秀吉、氏規が志を嘉みし氏直卒後、狭山万石に封じ、北条氏の祀を存せり。
書き下し
城中には又氏房が申旨に就て、氏政父子内に違亂の事出來、氏直父の命に從はず、降を乞ひて同六日城を出で、信雄の陣に至りしかば、氏規が謀空くなりて、氏直は死を宥められ、氏政及び舍弟陸奧守氏照をば誅せらるべきに定まりて、同十日秀吉の使氏政の許に行向て自害の事を勸む。氏規力及ばず、氏政の介錯して返す刀にて自害せんとする所を警固の者刀を奪ひ取りしかば死することを得ず。秀吉も氏規が去年使者として上京ありしより知られし者にて、今度韮山の城をも固く守り、東西和睦の事を計り、氏政と死を共にせんとの志の程を感じ、色々宥めらるゝ旨ありて、同十二日氏直の供して高野山に登る。初め氏房和議を唱へし時、諸將皆承引す。氏規之を聞き、是秀吉の謀ならん、今成ぎを行はんには、初めより戰はずして降るに若かず、敵を引請く程ならば此地を以て葬地と爲すべし、面々言甲斐なく、擒と成て見苦敷死をせんと言ひしが、果して然り。後秀吉、氏規が志を嘉みし氏直卒後、狹山萬石に封じ、北條氏の祀を存せり。
現代語訳
城中ではまた、氏房の申し出をめぐって、氏政父子の内に争いが起こり、氏直は父の命に従わず、降伏を乞うて同六日に城を出て、信雄の陣に行きました。こうして氏規の謀は空しくなり、氏直は死を許され、氏政および弟の陸奥守氏照は誅せられることに定まって、同十日、秀吉の使いが氏政のもとへ行き、自害を勧めました。氏規は力が及ばず、氏政の介錯をして、返す刀で自害しようとしたところを、警固の者が刀を奪い取ったので、死ぬことができませんでした。秀吉も、氏規が去年使者として上京してから知っていた人でした。今度も韮山の城を固く守り、東西和睦のことをはかり、氏政と死をともにしようとする志の程を感じ、いろいろ宥められる旨があって、同十二日、氏直の供をして高野山に登りました。初め氏房が和議を唱えたとき、諸将はみな承知しました。氏規はこれを聞いて、「これは秀吉の謀だろう。今になって和議を行うくらいなら、初めから戦わずに降るのに及ばない。敵を引き受けるほどなら、この地を葬る地とするがよい。皆が不甲斐なく、とりことなって見苦しく死ぬだろう」と言いましたが、はたしてそのとおりになりました。のち秀吉は氏規の志をよみして、氏直の死後、狭山一万石に封じ、北條氏の祭祀を存続させました。
解説

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