名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 天道に叶う戦略と夢判断
○長氏、既に伊豆を平け、北條氏を冒し、以て其宿志を成さんことを計り、一日老臣に語て曰く、昔は源平相並び、朝家の御守として、世を治め國を治む。保元、平治の頃より源氏衰へ、平氏世を保つて繁昌せり。治承、養和の頃より源氏起て、壽永、元曆に至て平氏悉く亡び、源氏又世を保つ。頼朝父子三代の後、北條平氏にして、又世を治め、九代にして亡びぬ。足利源氏にして世を保ち、京、鎌倉の公方たりしが、持氏も亡び、政知も亡びぬ。源氏の滅すべき時節到來す、陰盡きて陽來ること道理に於て珍しからず。今の管領兩上杉は、源氏の家臣として公方成氏と戰て、下として上を犯す科あり。天豈是を惡まざらんや。非道の者を討ち亡し、國を治め民を安んぜんと思ふは如何に、とありければ、老臣何れも然るべしとぞ同じける。後三島の神祠に祈る、夢に廣き原に大杉二株ありしが、一鼠來り、根より漸く齧みて之を仆す、其後、彼の鼠は化して虎と爲る、と見て夢は卽ち覺めにける。長氏自ら判じて以爲く、二本の杉は是兩上杉、吾は子の歳にて、是兩上杉に克つの兆なり、とて心に自負し、彌〻上杉退治の謀をぞ廻しける。
新字:○長氏、既に伊豆を平け、北条氏を冒し、以て其宿志を成さんことを計り、一日老臣に語て曰く、昔は源平相並び、朝家の御守として、世を治め国を治む。保元、平治の頃より源氏衰へ、平氏世を保つて繁昌せり。治承、養和の頃より源氏起て、寿永、元暦に至て平氏悉く亡び、源氏又世を保つ。頼朝父子三代の後、北条平氏にして、又世を治め、九代にして亡びぬ。足利源氏にして世を保ち、京、鎌倉の公方たりしが、持氏も亡び、政知も亡びぬ。源氏の滅すべき時節到来す、陰尽きて陽来ること道理に於て珍しからず。今の管領両上杉は、源氏の家臣として公方成氏と戦て、下として上を犯す科あり。天豈是を悪まざらんや。非道の者を討ち亡し、国を治め民を安んぜんと思ふは如何に、とありければ、老臣何れも然るべしとぞ同じける。後三島の神祠に祈る、夢に広き原に大杉二株ありしが、一鼠来り、根より漸く齧みて之を仆す、其後、彼の鼠は化して虎と為る、と見て夢は即ち覚めにける。長氏自ら判じて以為く、二本の杉は是両上杉、吾は子の歳にて、是両上杉に克つの兆なり、とて心に自負し、弥〻上杉退治の謀をぞ廻しける。
書き下し
○長氏、既に伊豆を平け、北條氏を冒し、以て其宿志を成さんことを計り、一日老臣に語て曰く、昔は源平相並び、朝家の御守として、世を治め國を治む。保元、平治の頃より源氏衰へ、平氏世を保つて繁昌せり。治承、養和の頃より源氏起て、壽永、元曆に至て平氏悉く亡び、源氏又世を保つ。頼朝父子三代の後、北條平氏にして、又世を治め、九代にして亡びぬ。足利源氏にして世を保ち、京、鎌倉の公方たりしが、持氏も亡び、政知も亡びぬ。源氏の滅すべき時節到來す、陰盡きて陽來ること道理に於て珍しからず。今の管領兩上杉は、源氏の家臣として公方成氏と戰て、下として上を犯す科あり。天豈是を惡まざらんや。非道の者を討ち亡し、國を治め民を安んぜんと思ふは如何に、とありければ、老臣何れも然るべしとぞ同じける。後三島の神祠に祈る、夢に廣き原に大杉二株ありしが、一鼠來り、根より漸く齧みて之を仆す、其後、彼の鼠は化して虎と爲る、と見て夢は卽ち覺めにける。長氏自ら判じて以爲く、二本の杉は是兩上杉、吾は子の歳にて、是兩上杉に克つの兆なり、とて心に自負し、彌〻上杉退治の謀をぞ廻しける。
現代語訳
長氏は伊豆を平定し、北條氏を名乗って宿願を成し遂げようと考え、ある日、老臣たちに語りました。「昔は源氏と平氏が並び立ち、朝廷の守りとして世を治め国を治めた。保元、平治のころから源氏が衰え、平氏が世を保って栄えた。治承、養和のころから源氏が起こり、寿永、元暦に至って平氏はことごとく滅び、源氏がまた世を保った。頼朝父子三代の後は、北條が平氏として世を治め、九代で滅んだ。足利は源氏で世を保ち、京と鎌倉の公方となったが、持氏も滅び、政知も滅んだ。源氏が滅ぶべき時節が来た。陰が尽きて陽が来るのは、道理において珍しいことではない。今の管領の両上杉は、源氏の家臣として公方成氏と戦い、下として上を犯す罪がある。天がどうしてこれを憎まないことがあろうか。非道の者を討ち滅ぼし、国を治め民を安んじようと思うが、どうか」と。老臣たちはみな、もっともだと同意しました。のちに三島の神社に祈ると、夢に広い原に大きな杉が二本あり、一匹の鼠が来て、根からだんだんとかじってこれを倒し、その後、その鼠は化けて虎になった、と見て夢は覚めました。長氏は自分で判じて言いました。「二本の杉は両上杉、私は子の年であるから、両上杉に勝つ兆しである」と。心にひそかに自負し、いよいよ上杉退治の策をめぐらしました。
解説

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『春秋左氏伝』定公八年 衛、晋に叛く王孫賈、趨り進みて曰く、「盟は以て禮を信にするなり。衛君の如き有り、其れ敢へて唯だ禮を是れ事とせずして、此の盟を受けんや」と。衛侯、晉に叛かんと欲して、諸大夫を患ふ。王孫賈、郊に次らしむ。大夫、故を問ふ。公、晉の詬を以て之に語り、且つ曰く、「寡人、社稷を辱めたり。其れ改めて嗣を卜せよ。寡人、焉に從はん」と。大夫曰く、「是れ衛の禍なり。豈に君の過ちならんや」と。公曰く、「又患有り。寡人に謂ふ、必ず而の子と大夫の子とを以て質と為せ、と」。大夫曰く、「苟も益有らば、公子則ち往かん。群臣の子、敢へて皆羈絏を負ひて以て從はざらんや」と。將に行かんとす。王孫賈曰く、「苟も衛國に難有らば、工商未だ嘗て患を為さずんばあらず。皆をして行かしめて而る後に可なり」と。公、以て大夫に告ぐ。乃ち皆將に之を行かしめんとす。行くに日有り。公、國人を朝せしめ、賈をして問はしめて曰く、「若し衛、晉に叛かば、晉五たび我を伐たん。病むこと何如ぞや」と。皆曰く、「五たび我を伐つも、猶ほ以て能く戰ふべし」と。賈曰く、「然らば則ち之に叛くに如かず。病みて而る後に質とせん、何の遲きことか之有らん」と。乃ち晉に叛く。晉人、盟を改めんことを請ふ。許さず。
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史記 三王世家輿械の費、民に賦さず。御府の蔵を虚しくして以て元戎を賞し、禁倉を開きて以て貧窮を振ひ、戍卒の半ばを減ず。百蛮の君、風に郷ひ、流れを承けて意に称はざるは靡し。遠方殊俗、訳を重ねて朝し、沢方外に及ぶ。故に珍獣至り、嘉穀興り、天の応甚だ彰らかなり。今諸侯の支子封ぜられて諸侯王に至るに、而して皇子を家して列侯と為す、臣青翟・臣湯等竊かに伏して孰々之を計るに、皆以為へらく尊卑序を失ひ、天下をして望みを失はしむ、不可なりと。臣請ふ臣閎・臣旦・臣胥を立てて諸侯王と為さん」と。四月癸未、未央宮に奏す、中に留めて下さず。「丞相臣青翟・太僕臣賀・行御史大夫事太常臣充・太子少傅臣安行宗正事昧死して言ふ。臣青翟等前に大司馬臣去病の上疏して皇子未だ号位有らずと言ふを奏す、臣謹んで御史大夫臣湯・中二千石・二千石・諫大夫・博士臣慶等と昧死して皇子臣閎等を立てて諸侯王と為さんことを請ふ。陛下文武を譲り、躬ら自ら切にし、皇子の未だ教へられざるに及ぶ。群臣の議、儒者は其の術を称し、或いは其の心に誖る。陛下固辞して許さず、皇子を家して列侯と為す。臣青翟等竊かに列侯臣寿成等二十七人と議す、皆曰く以為へらく尊卑序を失ふと。高皇帝天下を建て、漢の太祖と為り、子孫を王とし、支輔を広む。先帝の法則改めざるは、至尊を宣ぶる所以なり。臣請ふ史官をして吉日を択ばしめ、礼儀を具へて上り、御史輿地図を奏し、他は皆前の故事の如くせん」と。制して曰く、「可なり」と。四月丙申、未央宮に奏す。「太僕臣賀行御史大夫事昧死して言ふ。太常臣充言ふ、卜して四月二十八日乙巳に入る、諸侯王を立つべしと。臣昧死して輿地図を奏し、立つる所の国名を請ふ。礼儀は別に奏す。臣昧死して請ふ」と。
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『春秋左氏伝』襄公十年 衆怒は犯し難し乃ち歸りて甲を授く。臣妾多く逃れ、器用多く喪ふ。子產、盜を聞き、門者を為(をさ)め、群司を庀め、府庫を閉ぢ、閉藏を慎み、守備を完うし、列を成して而る後に出づ。兵車十七乘。尸して盜を北宮に攻む。子蟜、國人を帥ゐて之を助け、尉止・子師僕を殺す。盜眾盡く死す。侯晉は晉に奔り、堵女父・司臣・尉翩・司齊は宋に奔る。子孔國に當り、載書を為りて、位序を以て政辟を聽かしむ。大夫・諸司・門子順はず。將に之を誅せんとす。子產之を止め、請ひて之が為に書を焚かしめんとす。子孔可かずして曰く、「書を為るは以て國を定めんとなり。眾怒りて之を焚かば、是れ眾政を為すなり。國亦た難からずや」と。子產曰く、「眾怒は犯し難く、專欲は成り難し。二難を合せて以て國を安んぜんとするは、危ふきの道なり。書を焚きて以て眾を安んずるに如かず。子は欲する所を得、眾も亦た安きを得ん。亦た可ならずや。專欲は成る無く、眾を犯せば禍を興す。子必ず之に從へ」と。乃ち書を倉門の外に焚き、眾而る後に定まる。