名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 税を軽くし訴えを聴く
是を聞傳へて、五里、十里四方の者皆悉く來て、是は某庄某所の侍、是は在所の肚煎抔と名乘り出れば、長氏前規の如く、所務相違あるべからずと云ふ印判を出せり。長氏、伊豆に入りて、七日は病者の爲めに滯留し、都て三十日計りに、佐藤四郎兵衞ノ尉を始めとして、國中の諸豪大半味方に降附せり。 ○長氏既に伊豆を平け、堀越の知行附計りを臺所領に加へ、其他は本の地頭を改めず。爰に於て長氏、父老豪傑を集め諭して曰く、國主の爲めには、民は子なり、國主は親なり、是れ私にあらず、古より定まれる道なり、世の澆季なるに及び、武家欲深くして、百姓年中の耕作を檢地し、四つもなき所をば五つありと言掛けて取り、其外夫錢、棟別、野山の役抔あらゆる程のものを押して取れり。吾甚だ之を憫む。吾覊旅の身にして、此國に來り司牧となれば、吾は汝等が爲めには君たり。汝等は吾が爲めには民たり。生れて君となり、民となるは、是豈偶然ならんや。吾汝等の富足を願ふなり、今より租稅五分の一を減じ、諸の雜課を除かんと。又諸將吏の令に違ひ、民を虐する者あらば、其民の來り訴ふるを聽せり。之に由て、衆皆悅服し、爭ひ勵みて之が用たることを欲せり。
新字:是を聞伝へて、五里、十里四方の者皆悉く来て、是は某庄某所の侍、是は在所の肚煎抔と名乗り出れば、長氏前規の如く、所務相違あるべからずと云ふ印判を出せり。長氏、伊豆に入りて、七日は病者の為めに滞留し、都て三十日計りに、佐藤四郎兵衛ノ尉を始めとして、国中の諸豪大半味方に降附せり。 ○長氏既に伊豆を平け、堀越の知行附計りを台所領に加へ、其他は本の地頭を改めず。爰に於て長氏、父老豪傑を集め諭して曰く、国主の為めには、民は子なり、国主は親なり、是れ私にあらず、古より定まれる道なり、世の澆季なるに及び、武家欲深くして、百姓年中の耕作を検地し、四つもなき所をば五つありと言掛けて取り、其外夫銭、棟別、野山の役抔あらゆる程のものを押して取れり。吾甚だ之を憫む。吾覊旅の身にして、此国に来り司牧となれば、吾は汝等が為めには君たり。汝等は吾が為めには民たり。生れて君となり、民となるは、是豈偶然ならんや。吾汝等の富足を願ふなり、今より租税五分の一を減じ、諸の雑課を除かんと。又諸将吏の令に違ひ、民を虐する者あらば、其民の来り訴ふるを聴せり。之に由て、衆皆悦服し、争ひ励みて之が用たることを欲せり。
書き下し
是を聞傳へて、五里、十里四方の者皆悉く來て、是は某庄某所の侍、是は在所の肚煎抔と名乘り出れば、長氏前規の如く、所務相違あるべからずと云ふ印判を出せり。長氏、伊豆に入りて、七日は病者の爲めに滯留し、都て三十日計りに、佐藤四郎兵衞ノ尉を始めとして、國中の諸豪大半味方に降附せり。 ○長氏既に伊豆を平け、堀越の知行附計りを臺所領に加へ、其他は本の地頭を改めず。爰に於て長氏、父老豪傑を集め諭して曰く、國主の爲めには、民は子なり、國主は親なり、是れ私にあらず、古より定まれる道なり、世の澆季なるに及び、武家欲深くして、百姓年中の耕作を檢地し、四つもなき所をば五つありと言掛けて取り、其外夫錢、棟別、野山の役抔あらゆる程のものを押して取れり。吾甚だ之を憫む。吾覊旅の身にして、此國に來り司牧となれば、吾は汝等が爲めには君たり。汝等は吾が爲めには民たり。生れて君となり、民となるは、是豈偶然ならんや。吾汝等の富足を願ふなり、今より租稅五分の一を減じ、諸の雜課を除かんと。又諸將吏の令に違ひ、民を虐する者あらば、其民の來り訴ふるを聽せり。之に由て、衆皆悅服し、爭ひ勵みて之が用たることを欲せり。
現代語訳
これを聞き伝えて、五里、十里四方の者がみな来て、私は某庄某所の侍です、私は在所の肝煎ですなどと名乗り出ると、長氏は従来どおり、所務に相違はないという印判を出しました。長氏は伊豆に入って、七日は病人のために滞在し、全部で三十日ほどのうちに、佐藤四郎兵衛尉をはじめとして、国中の諸豪の大半が味方に降りました。 長氏はすでに伊豆を平定し、堀越の知行分だけを台所領に加え、そのほかは元の地頭を改めませんでした。ここで長氏は、父老や豪傑を集めて諭しました。「国主にとって民は子であり、国主は親である。これは私事ではなく、古くから定まった道である。世が末になるにつれ、武家は欲が深くなり、百姓の年中の耕作を検地して、四割にもならない所を五割あるとこじつけて取り、そのほか夫銭、棟別、野山の役など、ありとあらゆるものを押し取っている。私はこれを大いに憐れむ。私は旅の身でこの国に来て、治める者となった。私はそなたたちにとって君であり、そなたたちは私にとって民である。生まれて君となり民となるのは、どうして偶然であろうか。私はそなたたちの豊かさを願う。今から租税を五分の一減らし、もろもろの雑税を除こう」と。また「もろもろの将や役人が命令に背き、民を虐げる者がいれば、その民が来て訴えるのを聞き入れよう」と言いました。これによって人々はみな喜んで従い、争い励んで役に立とうと願いました。
解説

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