明君家訓 / 第7条
當代士の風俗、質直朴素の氣味すくなく、外見をかざり身をゆたかに持なし候、我同列又は下輩のものに對し候ては、一入高位にとりつくろひ、偏にかざりたる木人形のごとく見へ候由及承候、加樣にむつかしくとりなし候は、よほど苦勞なる儀にて候、それも士の作法にかなひたる事に候はゞ尤に候、士は分際より身を引さげ候て、諸事の仕方無造作に、形をつくろひ身をかざる心なく候こそ本意にて候、傳聞周公は、いやしき士にても、來るといへば必對面し給ふ、髪あらひ玉ふとき來れば、髪を半あらひて手にて握りて出たまひ、食し給ふとき來れば、口に有食を吐て出玉ふとなり、時の天子成王の叔父にて、天下の攝政にておはしませども、勢ひをわすれて形にかゝはらず、かくのごとく無造作なる振舞なりしぞかし、いはんや少の所帶をもつて高位の躰をいたすは、偏に井の中の蛙にて候、むかしより和漢ともに、世間をひろく見、人情をよく存候ものに、いつかゝやうにむつかしくとりなしたる振舞候や、某が家臣たるものは、諸事無造作に、つくろひなきやうにいたさるべく候。
新字:当代士の風俗、質直朴素の気味すくなく、外見をかざり身をゆたかに持なし候、我同列又は下輩のものに対し候ては、一入高位にとりつくろひ、偏にかざりたる木人形のごとく見へ候由及承候、加様にむつかしくとりなし候は、よほど苦労なる儀にて候、それも士の作法にかなひたる事に候はゞ尤に候、士は分際より身を引さげ候て、諸事の仕方無造作に、形をつくろひ身をかざる心なく候こそ本意にて候、伝聞周公は、いやしき士にても、来るといへば必対面し給ふ、髪あらひ玉ふとき来れば、髪を半あらひて手にて握りて出たまひ、食し給ふとき来れば、口に有食を吐て出玉ふとなり、時の天子成王の叔父にて、天下の摂政にておはしませども、勢ひをわすれて形にかゝはらず、かくのごとく無造作なる振舞なりしぞかし、いはんや少の所帯をもつて高位の体をいたすは、偏に井の中の蛙にて候、むかしより和漢ともに、世間をひろく見、人情をよく存候ものに、いつかゝやうにむつかしくとりなしたる振舞候や、某が家臣たるものは、諸事無造作に、つくろひなきやうにいたさるべく候。
書き下し
當代士の風俗、質直朴素の氣味すくなく、外見をかざり身をゆたかに持なし候、我同列又は下輩のものに對し候ては、一入高位にとりつくろひ、偏にかざりたる木人形のごとく見へ候由及承候、加樣にむつかしくとりなし候は、よほど苦勞なる儀にて候、それも士の作法にかなひたる事に候はゞ尤に候、士は分際より身を引さげ候て、諸事の仕方無造作に、形をつくろひ身をかざる心なく候こそ本意にて候、傳聞周公は、いやしき士にても、來るといへば必對面し給ふ、髪あらひ玉ふとき來れば、髪を半あらひて手にて握りて出たまひ、食し給ふとき來れば、口に有食を吐て出玉ふとなり、時の天子成王の叔父にて、天下の攝政にておはしませども、勢ひをわすれて形にかゝはらず、かくのごとく無造作なる振舞なりしぞかし、いはんや少の所帶をもつて高位の躰をいたすは、偏に井の中の蛙にて候、むかしより和漢ともに、世間をひろく見、人情をよく存候ものに、いつかゝやうにむつかしくとりなしたる振舞候や、某が家臣たるものは、諸事無造作に、つくろひなきやうにいたさるべく候。
現代語訳
今の世の士の風俗は、質直朴素の気味が少なく、外見を飾り、身を豊かに見せている。同列の者や目下の者に対しては、ひとしお高位らしく取り繕い、ひたすら飾った木人形のように見えると聞いている。このように難しく取りなすのは、よほど苦労なことである。それも士の作法にかなうことならばもっともだが、士は分際より身を引き下げて、万事の仕方は無造作に、形を繕い身を飾る心がないのが本意である。伝え聞くところでは、周公は、卑しい士でも、来たと言えば必ず対面され、髪を洗っているときに来れば、髪を半ば洗ったまま手に握って出られ、食事をしているときに来れば、口の中の食べ物を吐き出して出られたという。当時の天子成王の叔父で、天下の摂政でいらっしゃったが、勢いを忘れて形にこだわらず、このように無造作な振る舞いであった。まして、わずかな所帯で高位の体を装うのは、ひとえに井の中の蛙である。昔から和漢ともに、世間を広く見て人情をよく知る者に、いつこのように難しく取りなした振る舞いがあっただろうか。私の家臣たる者は、万事無造作に、繕いのないようにされよ。
解説
この章句が説くこと
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『幽夢影』巻下・園亭の妙は丘壑の布置に在り園亭の妙は、丘壑の布置に在りて、雕繪の瑣屑に在らず。往往にして人家の園亭を見るに、屋脊墻頭、磚を雕り瓦を鏤め、工巧を窮極せざるに非ず。然れども未だ久しからずして即ち壞れ、壞れて後は極めて修葺し難し。是れ何ぞ樸素の佳たるに如かんや。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一上代よりこのかた、誠は日々におとろへ、飾は日々にさかんなり。奢は弥まさり、倹約は弥すたる。質朴をばいやしみ、華美をば誉む。今の世に道を行はば、虚り飾をやめて、古風に立ちかへり、すなほにして真実なるをたつとびつとむべし。真実なれば、人も感じてしたがひやすし、時俗にうつり行くべからず。
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孔子家語・好生孔子常に自ら其の卦を筮うるに、賁を得たり、愀然として不平の状有り。子張進みて曰わく、「師聞く、卜する者賁卦を得れば、吉なりと。而るに夫子の色不平有るは、何ぞや。」孔子対えて曰わく、「其の離なるを以てか。周易に在りて、山下に火有る、之を賁と謂う、正色の卦に非ざるなり。夫れ質や黒白宜しく正しかるべし、今賁を得たるは、吾が兆に非ざるなり。吾聞く、丹漆は文らず、白玉は雕らずと、何ぞや。質余り有れば飾を受けざる故なり。」
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