囲炉夜話 / 第三十四則・子孫の元氣を培ふ
打算精明,自謂得計,然敗祖父之家聲者,必此人也。 樸實渾厚,初無甚奇,然培子孫之元氣者,必此人也。
新字:打算精明,自謂得計,然敗祖父之家声者,必此人也。 樸実渾厚,初無甚奇,然培子孫之元気者,必此人也。
書き下し
打算精明にして、自ら計を得たりと謂ふも、然れども祖父の家聲を敗る者は、必ず此の人なり。 樸實渾厚にして、初め甚だしき奇無きも、然れども子孫の元氣を培ふ者は、必ず此の人なり。
現代語訳
損得の勘定に抜け目なく、自分ではうまくやったと思っていても、先祖の家名を損なうのは、必ずこういう人です。素朴で誠実、おおらかで、はじめはさほど目立ったところがなくても、子孫の活力を育てるのは、必ずこういう人です。
解説
抜け目のない人と、素朴で厚みのある人を対比した対句です。打算精明は、損得勘定に鋭く計算高いことです。一時は得をしても人の信頼を削っていくので、結局は先祖から受け継いだ家の名声を損なうと言います。樸実渾厚は、飾り気がなく誠実で、人柄にどっしりした厚みがあることです。最初は平凡に見えても、その人が子孫の元気、すなわち家の根本の活力を育てるとします。短期の得と長期の信用の違いを、家という長い時間の単位で見ているのが特徴です。目先の数字に強い人より、誠実さを積み重ねる人が組織を長く支えるのは、今も同じです。
この章句が説くこと
質朴誠実打算家訓信用
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