幽夢影 / 巻下・園亭の妙は丘壑の布置に在り
園亭之妙,在丘壑布置,不在雕繪瑣屑。往往見人家園亭,屋脊墻頭,雕磚鏤瓦,非不窮極工巧,然未久即壞,壞後極難修葺,是何如樸素之爲佳乎。
新字:園亭之妙,在丘壑布置,不在雕絵瑣屑。往往見人家園亭,屋脊墻頭,雕磚鏤瓦,非不窮極工巧,然未久即壊,壊後極難修葺,是何如樸素之為佳乎。
書き下し
園亭の妙は、丘壑の布置に在りて、雕繪の瑣屑に在らず。往往にして人家の園亭を見るに、屋脊墻頭、磚を雕り瓦を鏤め、工巧を窮極せざるに非ず。然れども未だ久しからずして即ち壞れ、壞れて後は極めて修葺し難し。是れ何ぞ樸素の佳たるに如かんや。
現代語訳
庭園の妙味は、築山や谷の配置にあって、彫刻や彩色の細かな飾りにあるのではありません。よく人の家の庭園を見ると、屋根の棟や塀の上に、煉瓦を彫り瓦に透かし彫りを施して、技巧の限りを尽くしていないわけではありません。けれども、ほどなく壊れてしまい、壊れたあとは修理がきわめて難しいのです。これでは、どうして素朴なものの良さに及ぶでしょうか。
解説
庭づくりの要は全体の構成にあり、細工の飾りにはないと説いた一則です。丘壑は築山や谷など、庭の地形をなすものを指します。凝った彫り物や細工は、見た目は見事でも壊れやすく、修繕にも手間と費用がかかります。張潮は、それよりも骨格のしっかりした素朴な作りのほうが長く美しさを保つと言います。友人の江含徴は、名園が荒れ果てて茨に埋もれる姿ほど人を悲しませるものはないと述べ、かつての賢人には別荘を持とうとしない者もいたと評しています。仕組みづくりでも同じで、飾りの工夫より全体の骨組みを先に整えるほうが、長持ちし手入れもしやすくなります。
この章句が説くこと
園亭質朴構成風雅簡素
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