明君家訓 / 第6条
家中の士別て禮讓謙退を本とすべく候、むかし文王は鰥寡をもあなどらずとて、いやしき賤の男賤の女をも侮り給はず候、其頃天下を三分が二有ち給ひて、聖人にておはしませども如斯に候、まして夫より以下のもの、いかやうのいやしき者をもあなどる心有べく候、殊に士はいづれもかはることは無之候、時の仕合にて貴賤のわかちあれば、其差別もとより有べき事に候へども、しかればとてをのれが貴に奢候て、ことをかるしめ人を侮申躰は、あさはかに見ぐるしき儀に候、たとへば、參會の節人を上座へすゝめ、をのれは下座へこゞりくだり可申候、何程位剋ちがひ候共、式代もなく上座へあがり申事可有用捨候、一往も二往も辭退に及び候て、其迄は兎も角もに候、路次を通り候節も、此方は人をよけ、人は此方をよけ候てこそ、本意にて候、おのれが供まはり多きにまかせ、勢さかんにふるまひ候て、小身なるものに無禮仕事有べからず候、さやうの節は大身成ものより諸事引さげ候てこそ、おとなしくも見へ尤とも聞え候、此段は別而家老頭分のもの、其外家中の歷々心得有べき儀に候、
新字:家中の士別て礼譲謙退を本とすべく候、むかし文王は鰥寡をもあなどらずとて、いやしき賤の男賤の女をも侮り給はず候、其頃天下を三分が二有ち給ひて、聖人にておはしませども如斯に候、まして夫より以下のもの、いかやうのいやしき者をもあなどる心有べく候、殊に士はいづれもかはることは無之候、時の仕合にて貴賤のわかちあれば、其差別もとより有べき事に候へども、しかればとてをのれが貴に奢候て、ことをかるしめ人を侮申体は、あさはかに見ぐるしき儀に候、たとへば、参会の節人を上座へすゝめ、をのれは下座へこゞりくだり可申候、何程位剋ちがひ候共、式代もなく上座へあがり申事可有用捨候、一往も二往も辞退に及び候て、其迄は兎も角もに候、路次を通り候節も、此方は人をよけ、人は此方をよけ候てこそ、本意にて候、おのれが供まはり多きにまかせ、勢さかんにふるまひ候て、小身なるものに無礼仕事有べからず候、さやうの節は大身成ものより諸事引さげ候てこそ、おとなしくも見へ尤とも聞え候、此段は別而家老頭分のもの、其外家中の歴々心得有べき儀に候、
書き下し
家中の士別て禮讓謙退を本とすべく候、むかし文王は鰥寡をもあなどらずとて、いやしき賤の男賤の女をも侮り給はず候、其頃天下を三分が二有ち給ひて、聖人にておはしませども如斯に候、まして夫より以下のもの、いかやうのいやしき者をもあなどる心有べく候、殊に士はいづれもかはることは無之候、時の仕合にて貴賤のわかちあれば、其差別もとより有べき事に候へども、しかればとてをのれが貴に奢候て、ことをかるしめ人を侮申躰は、あさはかに見ぐるしき儀に候、たとへば、參會の節人を上座へすゝめ、をのれは下座へこゞりくだり可申候、何程位剋ちがひ候共、式代もなく上座へあがり申事可有用捨候、一往も二往も辭退に及び候て、其迄は兎も角もに候、路次を通り候節も、此方は人をよけ、人は此方をよけ候てこそ、本意にて候、おのれが供まはり多きにまかせ、勢さかんにふるまひ候て、小身なるものに無禮仕事有べからず候、さやうの節は大身成ものより諸事引さげ候てこそ、おとなしくも見へ尤とも聞え候、此段は別而家老頭分のもの、其外家中の歷々心得有べき儀に候、
現代語訳
家中の士は特に礼譲謙退を本とすべきである。昔、文王は鰥寡をも侮らなかったといい、身分の低い男女をも侮られなかった。そのころ天下の三分の二を有し、聖人でいらっしゃったが、このようであった。まして、それより下の者は、どのような卑しい者をも侮る心があるだろう。ことに士はみな変わることはない。時の巡り合わせで貴賤の別があれば、その差別はもとよりあるべきことだが、だからといって自分の貴さに奢って、ものを軽んじ人を侮る様子は、浅はかで見苦しいことである。たとえば、参会のときには人を上座に勧め、自分は下座にへりくだるのがよい。どれほど位が違っても、式の定めもないのに上座に上がることは控えるべきで、一度も二度も辞退して、そのうえでならともかくである。道を通るときも、こちらは人を避け、人はこちらを避けるのが本意である。自分の供回りが多いのにまかせ、勢いよく振る舞って、小身の者に無礼をしてはならない。そういうときは、大身の者から万事引き下がってこそ、おとなしくも見え、もっともとも思われる。この点は、特に家老・頭分の者、そのほか家中の歴々が心得るべきことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『明君家訓』第7条當代士の風俗、質直朴素の氣味すくなく、外見をかざり身をゆたかに持なし候、我同列又は下輩のものに對し候ては、一入高位にとりつくろひ、偏にかざりたる木人形のごとく見へ候由及承候、加樣にむつかしくとりなし候は、よほど苦勞なる儀にて候、それも士の作法にかなひたる事に候はゞ尤に候、士は分際より身を引さげ候て、諸事の仕方無造作に、形をつくろひ身をかざる心なく候こそ本意にて候、傳聞周公は、いやしき士にても、來るといへば必對面し給ふ、髪あらひ玉ふとき來れば、髪を半あらひて手にて握りて出たまひ、食し給ふとき來れば、口に有食を吐て出玉ふとなり、時の天子成王の叔父にて、天下の攝政にておはしませども、勢ひをわすれて形にかゝはらず、かくのごとく無造作なる振舞なりしぞかし、いはんや少の所帶をもつて高位の躰をいたすは、偏に井の中の蛙にて候、むかしより和漢ともに、世間をひろく見、人情をよく存候ものに、いつかゝやうにむつかしくとりなしたる振舞候や、某が家臣たるものは、諸事無造作に、つくろひなきやうにいたさるべく候。
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『明君家訓』第9条當代士の寄會を聞及候に、おほくは賓主ともに禮儀正しからず、わけもなき事どもにまかせ、聲高にわらひのゝしり、又は人の嗜好色ばなし、或醉狂をし、或小歌三味線坐上にとりはやすやからも有之由、是等は一として士の作法にて無之候、偏に下臈の寄會にて候、士のまじはりは、禮法正しく、一言申出し候も、跡先をふまへ、おほくは古書の穿鑿、義理の物語などを好み、假初にもそゝけたる體をいたさゞるこそ本意にて候、しかればとて別而心安き友とは、たがひにくつろぎ打解て語儀は各別にて候、其内にも無行儀なると、作法よきとは差別有べき事に候、家中の士ども寄會候節は右の心得有べく候、
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六韜・大礼文王太公に問ひて曰く、「君臣の礼は如何」と。太公曰く、「上たるは唯だ臨むのみ、下たるは唯だ沈(しづ)むのみ。臨みて遠ざかること無く、沈みて隠るること無し。上たるは唯だ周(あまね)きのみ、下たるは唯だ定まるのみ。周きは則ち天なり、定まるは則ち地なり。或いは天とし或いは地とすれば、大礼乃ち成る」と。文王曰く、「主の位は如何」と。太公曰く、「安徐にして静かに、柔節先づ定まり、善く与へて争はず。心を虚しくし志を平らかにし、物を待つに正を以てす」と。文王曰く、「主の聴くは如何」と。太公曰く、「妄りにして許す勿かれ、逆らひて拒む勿かれ。之を許せば則ち守を失ひ、之を拒めば則ち閉塞す。高山の之を仰ぐ、極むべからざるがごとく、深淵の之を度(はか)る、測るべからざるがごとし。神明の徳は、正静を其の極みと為す」と。文王曰く、「主の明は如何」と。太公曰く、「目は明を貴び、耳は聡を貴び、心は智を貴ぶ。天下の目を以て視れば、則ち見えざる無きなり。天下の耳を以て聴けば、則ち聞こえざる無きなり。天下の心を以て慮(おもんぱか)れば、則ち知らざる無きなり。輻(や)の湊(あつ)まりて並び進むがごとくなれば、則ち明は蔽はれず」と。
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『明君家訓』第3条各々父母には孝順をつくし、兄弟には友愛を專とし、親族は遠類たりといふとも、筋目をちがへず念頃に申通じ、傍輩にはたがひに、信を本として心底に僞を不挾、家來には憐愍を可被加候、是等は肝要の儀に候間、常々こゝろがけ尤候、右申通學問いたされ候へば、聖賢の書は皆是等の免議にて候、某が口舌をつゐやし候に不及事にて候、
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『明君家訓』第5条士は右申通、節義をたしなみ、人がら貞信にさへ候得者、世話のごとく立居振舞不調法にして、物言あしく候ても、士の瑕にて無之候、少しもくるしからざる儀に候、當代士多くは貞心に無之、憖に指當さかしく、世話賢く、立居振舞見ぐるしからず候故、をのれが才智に、あくまで自慢いたし、貞信なるものをば、かへつて初心なりと見下し、其有樣輕薄なる輩有之、其内剩老功にて樣子しづかにとりつくろひ、能人がらに化したるも有之、又不功にてうは氣に見ゆるも有之、其品色々かはり候へども、皆同類の人にて候、加樣の人才智有のみならず、血氣にてこそ候へ、似合に勇力もあるゆへに、或は己が役儀、或は傍輩の事につき、少々苦勞なる儀をも、をのれが名利の頼有之内は、身にひきうけて精を出すものにて候、其故たのもしき人がらの樣にも見え候へども、元來佞人にて一筋に義理を守るこゝろなく候故、大事にのぞみては、かならず時々摸樣を見合、眞實の志なきものに候、一命を捨候て、專度の用に立申儀などは存もよらず、某が家臣にもかくのごときの人有之候や、大に政敎の妨に候、周公の才、孟賁が勇候とも、少しも珍重に存ぜず候、又は世に結構人と稱へ申内に、生質柔弱にして才智もなく、禮法も不存、言行につき正しき事をば嫌ひて、酒宴遊興に日を送る輩有之候、是はさながらあしき人がらと顯れ候へば、前の佞人よりは憎からず候へども、某が政敎を破り申所は同事に候、此兩樣の人行に似候はぬ樣可被相嗜候、
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礼記・坊記子云う、「觴酒(しょうしゅ)豆肉、譲りて悪しきを受くるも、民猶お歯を犯す。衽席(じんせき)の上、譲りて下に坐するも、民猶お貴きを犯す。朝廷の位、譲りて賤しきに就くも、民猶お君を犯す。《詩》に云う、『民の良無き、一方を相怨む。爵を受けて譲らず、己に至りて斯に亡ぶ』と」。 子云う、「君子は人を貴びて己を賤しみ、人を先にして己を後にすれば、則ち民譲を作(おこ)す。故に人の君を称して君と曰い、自ら其の君を称して寡君と曰う」と。
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