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明君家訓 / 第2条二

しかれば朝夕衣食よりも急用なる儀と可心得扱、其修行の法は、心身の工夫とて、こゝろの邪正、身に行ふところの善惡、此等の吟味をいたし、心をたゞしうして身を治めて、古の賢人君子にも及び、又は其人の心懸次第に、聖人にもいたる道にて候、先學問はかくのごとくのわけにて、此外に學問といふもの無之候と心得申事、肝要に候、しかれば、書をよみ候も、古の聖賢の御言葉を種として、心身の工夫をせんためなれば、小學、四書、近思錄のたぐひを、熟讀いたし、餘力あらば、五經などにも及び、其義理を尋ね、一字一句も今日の上にひきうけて、可悉修行の爲にいたし候こそ、眞の學問と申べく候、右の外書籍あまり不入事に候、殊に四十以上の人は、精力もすくなく候へば、小學、四書、近思錄ばかりにて能候、乍然其段は氣根次第に候、六十より八九十の人はおほかた老衰いたすものに候へば、大學、論語までにても、又は一部にても自分熟讀いたし、其外は人の物語にて聞候ても同事にて候、學問はかならずしも文字の上に有事にては無之候、一日なりとも命の内に、此道をさとり候て相果候はゞ、生たる甲斐有之候、百年存命候とも、無學にて人たる道も不存候はゞ、何の益なき事にて候、されば志ある人は、勤學油斷仕まじき儀にて候、

新字:しかれば朝夕衣食よりも急用なる儀と可心得扱、其修行の法は、心身の工夫とて、こゝろの邪正、身に行ふところの善悪、此等の吟味をいたし、心をたゞしうして身を治めて、古の賢人君子にも及び、又は其人の心懸次第に、聖人にもいたる道にて候、先学問はかくのごとくのわけにて、此外に学問といふもの無之候と心得申事、肝要に候、しかれば、書をよみ候も、古の聖賢の御言葉を種として、心身の工夫をせんためなれば、小学、四書、近思録のたぐひを、熟読いたし、余力あらば、五経などにも及び、其義理を尋ね、一字一句も今日の上にひきうけて、可悉修行の為にいたし候こそ、真の学問と申べく候、右の外書籍あまり不入事に候、殊に四十以上の人は、精力もすくなく候へば、小学、四書、近思録ばかりにて能候、乍然其段は気根次第に候、六十より八九十の人はおほかた老衰いたすものに候へば、大学、論語までにても、又は一部にても自分熟読いたし、其外は人の物語にて聞候ても同事にて候、学問はかならずしも文字の上に有事にては無之候、一日なりとも命の内に、此道をさとり候て相果候はゞ、生たる甲斐有之候、百年存命候とも、無学にて人たる道も不存候はゞ、何の益なき事にて候、されば志ある人は、勤学油断仕まじき儀にて候、

書き下し

しかれば朝夕衣食よりも急用なる儀と可心得扱、其修行の法は、心身の工夫とて、こゝろの邪正、身に行ふところの善惡、此等の吟味をいたし、心をたゞしうして身を治めて、古の賢人君子にも及び、又は其人の心懸次第に、聖人にもいたる道にて候、先學問はかくのごとくのわけにて、此外に學問といふもの無之候と心得申事、肝要に候、しかれば、書をよみ候も、古の聖賢の御言葉を種として、心身の工夫をせんためなれば、小學、四書、近思錄のたぐひを、熟讀いたし、餘力あらば、五經などにも及び、其義理を尋ね、一字一句も今日の上にひきうけて、可悉修行の爲にいたし候こそ、眞の學問と申べく候、右の外書籍あまり不入事に候、殊に四十以上の人は、精力もすくなく候へば、小學、四書、近思錄ばかりにて能候、乍然其段は氣根次第に候、六十より八九十の人はおほかた老衰いたすものに候へば、大學、論語までにても、又は一部にても自分熟讀いたし、其外は人の物語にて聞候ても同事にて候、學問はかならずしも文字の上に有事にては無之候、一日なりとも命の内に、此道をさとり候て相果候はゞ、生たる甲斐有之候、百年存命候とも、無學にて人たる道も不存候はゞ、何の益なき事にて候、されば志ある人は、勤學油斷仕まじき儀にて候、

現代語訳

したがって、朝夕の衣食よりも急ぐべきことと心得て取り組め。その修行の法は、心身の工夫といって、心の邪正、身に行う善悪、これらを吟味し、心を正しくして身を治め、昔の賢人君子にも及び、またその人の心がけ次第で、聖人にも至る道である。まず学問はこのような意味のもので、このほかに学問というものはないと心得ることが肝要である。したがって書を読むのも、昔の聖賢のお言葉を種として心身の工夫をするためであるから、小学、四書、近思録の類を熟読し、余力があれば五経にも及び、その義理を尋ね、一字一句も今日のわが身に引き受けて、ことごとく修行のためにしてこそ、真の学問というべきである。このほかの書籍はあまりいらない。ことに四十以上の人は精力も少ないので、小学、四書、近思録だけでよい。ただしそれは気根次第である。六十から八九十の人はたいてい老衰するものなので、大学、論語まででも、あるいは一部だけでも自分で熟読し、そのほかは人の話で聞いても同じことである。学問は必ずしも文字の上にあるものではない。一日でも命のうちにこの道を悟って死ねば、生きた甲斐がある。百年生きても、無学で人たる道も知らないのなら、何の益もない。だから志ある人は、勉学を怠ってはならない。

解説

前段を受けて名君は、学問を朝夕の衣食より急ぐことだと位置づけ、その中身は心の邪正と行いの善悪を吟味して心身を治める工夫だと説きます。読む書は小学、四書、近思録を熟読し、余力があれば五経に及ぶ程度でよく、四十以上の人は小学・四書・近思録だけ、六十以上なら大学・論語や一部だけでも足りるとして、読書量より身に引き受ける深さを重んじます。学問は文字の上だけにあるものではありません。一日でも命のうちに道を悟れば生きた甲斐があるという言葉が、この段の核心です。現代の学び直しでも、本の数を競うより一つの学びを日々の仕事に引き受けることが肝心だと、この段は示しています。

この章句が説くこと

心身の工夫熟読小学四書修行明君家訓

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