明訓一班抄抄録 / 夷狄を近付べからざる事・制度の見直しと許容の限度を考える
御深意有之儀とは恐察し侍れ共、貳百餘年の御恩澤にて、三家、御普代大名は勿論、外樣迄も異議有之間敷、たとへ萬々一心得違の者有たり共、此方大名の船位を御防ぎ不相成程にては、とても異船千萬艘押來りたるをば、如何にして防禦し給ふべきや、されば公邊は格別、三家共初は本船の分數を以定りて成りとも製造をゆるし給ひ、常ゝは其領主自分船の事故(三家は本船三十艘位其外大名右に順て夫ゝ御濟を可然、小舟之儀は數の定りなくて可然)公邊御船の外、御失費も無是、非常の節は大小名に命じ給はゞ、直に御用に立べき也、其上公邊にも大名にも戰艦なきは、双方有之も同樣にて、萬々一只今にも心得違の人有之浦賀より乘込むとする日に至ては、やはり是迄の船にても乘込べし、大名を御氣遣ひの爲海防迄麁にし、船の製造御免無之、遺憾といふべし、異國船の患薄き時は兎もあれ、近頃の勢にては右船の制度變通し給はずんばあるべからず、くれ〱も堅事は船双方に無之双方有之と同樣にて、大名へ掛念し給ふ所にも當らずして、唯異國船防禦御手薄にのみ當れるは國家の長策にあらず、何分にも明君の明斷を奉仰所也、扨又近頃紅毛本國より便船差こせしより、戰爭の仕組と見へざれば、定て難題申上たるべけれど、一切許容し給はざるにしかざるべし、先年打拂の御止め命令有し時、本異國渡來の患みへきよし乍不及建白せしが、如案日本國武勇衰へたるを見拔て來りし事と見へたり、(打拂止めてより漂流人お前にて受ず又浦賀にて受ず)たとへ此の度も來り種々願出るとも、
新字:御深意有之儀とは恐察し侍れ共、貳百余年の御恩沢にて、三家、御普代大名は勿論、外様迄も異議有之間敷、たとへ万々一心得違の者有たり共、此方大名の船位を御防ぎ不相成程にては、とても異船千万艘押来りたるをば、如何にして防禦し給ふべきや、されば公辺は格別、三家共初は本船の分数を以定りて成りとも製造をゆるし給ひ、常ゝは其領主自分船の事故(三家は本船三十艘位其外大名右に順て夫ゝ御済を可然、小舟之儀は数の定りなくて可然)公辺御船の外、御失費も無是、非常の節は大小名に命じ給はゞ、直に御用に立べき也、其上公辺にも大名にも戦艦なきは、双方有之も同様にて、万々一只今にも心得違の人有之浦賀より乗込むとする日に至ては、やはり是迄の船にても乗込べし、大名を御気遣ひの為海防迄麁にし、船の製造御免無之、遺憾といふべし、異国船の患薄き時は兎もあれ、近頃の勢にては右船の制度変通し給はずんばあるべからず、くれ〱も堅事は船双方に無之双方有之と同様にて、大名へ掛念し給ふ所にも当らずして、唯異国船防禦御手薄にのみ当れるは国家の長策にあらず、何分にも明君の明断を奉仰所也、扨又近頃紅毛本国より便船差こせしより、戦争の仕組と見へざれば、定て難題申上たるべけれど、一切許容し給はざるにしかざるべし、先年打払の御止め命令有し時、本異国渡来の患みへきよし乍不及建白せしが、如案日本国武勇衰へたるを見抜て来りし事と見へたり、(打払止めてより漂流人お前にて受ず又浦賀にて受ず)たとへ此の度も来り種々願出るとも、
書き下し
御深意有之儀とは恐察し侍れ共、貳百餘年の御恩澤にて、三家、御普代大名は勿論、外樣迄も異議有之間敷、たとへ萬々一心得違の者有たり共、此方大名の船位を御防ぎ不相成程にては、とても異船千萬艘押來りたるをば、如何にして防禦し給ふべきや、されば公邊は格別、三家共初は本船の分數を以定りて成りとも製造をゆるし給ひ、常ゝは其領主自分船の事故(三家は本船三十艘位其外大名右に順て夫ゝ御濟を可然、小舟之儀は數の定りなくて可然)公邊御船の外、御失費も無是、非常の節は大小名に命じ給はゞ、直に御用に立べき也、其上公邊にも大名にも戰艦なきは、双方有之も同樣にて、萬々一只今にも心得違の人有之浦賀より乘込むとする日に至ては、やはり是迄の船にても乘込べし、大名を御氣遣ひの爲海防迄麁にし、船の製造御免無之、遺憾といふべし、異國船の患薄き時は兎もあれ、近頃の勢にては右船の制度變通し給はずんばあるべからず、くれ〱も堅事は船双方に無之双方有之と同樣にて、大名へ掛念し給ふ所にも當らずして、唯異國船防禦御手薄にのみ當れるは國家の長策にあらず、何分にも明君の明斷を奉仰所也、扨又近頃紅毛本國より便船差こせしより、戰爭の仕組と見へざれば、定て難題申上たるべけれど、一切許容し給はざるにしかざるべし、先年打拂の御止め命令有し時、本異國渡來の患みへきよし乍不及建白せしが、如案日本國武勇衰へたるを見拔て來りし事と見へたり、(打拂止めてより漂流人お前にて受ず又浦賀にて受ず)たとへ此の度も來り種々願出るとも、
現代語訳
深いご意図があってのことと恐れ察しますが、二百年余りの御恩沢により、三家・譜代大名はもちろん、外様まで異議はないはずです。たとえ万々一、心得違いの者があっても、こちらの大名の船ほどを防げないようでは、とても異船が千万艘押し寄せたものをどうやって防御されるのでしょうか。そうであれば、公辺は格別として、三家はじめ、本船の分数をもって定めたとしても製造を許し、常々はその領主自分の船のことなので(三家は本船三十艘ほど、そのほかの大名はこれに準じてそれぞれ許可することがよく、小舟の数は定めなくてよい)、公辺の御船のほか御失費もなく、非常の節に大小名に命じられれば、すぐ御用に立つでしょう。そのうえ公辺にも大名にも戦艦がないのは、双方にあるのと同様で、万々一、ただ今にも心得違いの人があって浦賀から乗り込もうとする日に至れば、やはりこれまでの船でも乗り込めるでしょう。大名を気遣うあまり海防まで粗略にし、船の製造を許さないのは遺憾というべきです。異国船の患いが薄いときはともかく、近ごろの情勢では船の制度を変通なさらなければなりません。くれぐれも、船が双方にないのは双方にあるのと同様で、大名への懸念にも当たらず、ただ異国船の防御を手薄にするだけでは国家の長策ではありません。何としても明君の明断を仰ぐところです。さて、また近ごろ紅毛(オランダ)本国から便船を差し越したのは、戦争の仕組みと見えないので、きっと難題を申し上げたのでしょうが、一切許容なさらないのがよいでしょう。先年、打ち払いの御止め命令があったとき、もとより異国渡来の患いが見えるであろうと、及ばずながら建白しましたが、案の定、日本国の武勇が衰えたのを見抜いて来たことと見えます。(打ち払いを止めてから漂流人をお前で受けず、また浦賀でも受けない。)たとえこのたびも来て、いろいろ願い出ても、
解説
この章句が説くこと
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「子は三年の喪を以て非と為す。子の三日の喪も亦た非なり」と。子墨子曰く、「子は三年の喪を以て三日の喪を非とす。是れ猶お倮なる者の蹶く者を恭しからずと謂うがごときなり。
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『墨子』節葬下故に古の聖王、制して葬埋の法を為りて曰く、「棺は三寸、以て體を朽ちしむるに足る。衣衾は三領、以て惡を覆うに足る。其の葬るに及びてや、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる無く、壟は參耕の畝の若くんば、則ち止むのみ」と。死者、既に以て葬れば、生者、必ず久しく哭する無くして、疾やかにして事に從い、人、其の能くする所を為して、以て交ごも相い利す。此れ聖王の法なり。
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『墨子』非命中子墨子言いて曰く、凡そ言談を出だし、文章に由りて之れ道を為すや、則ち先ず儀法を立てずんばある可からず。若し言いて儀無くんば、譬えば猶お朝夕を運鈞の上に立つるがごときなり。則ち巧工有りと雖も、必ず正を得る能わず。然れども今、天下の情偽、未だ得て識る可からざるなり。故に言をして三法有らしむ。三法とは何ぞや。之に本づくる者有り、之を原ぬる者有り、之を用うる者有り。其の之に本づくるや、之を天鬼の志、聖王の事に考う。其の之を原ぬるや、徵するに先王の書を以てす。之を用うるは奈何。發して刑と為す。此れ言の三法を言うなり。
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『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・詰まるところは飼犬に手を噛まるるものあるいはまれに正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。

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