学問のすゝめ / 十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・詰まるところは飼犬に手を噛まるるもの
あるいはまれに正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。
書き下し
あるいはまれに正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。
現代語訳
あるいはまれに正直な役人がいて賄賂の噂も聞こえなければ、前代未聞の名臣だと藩中の評判になりますが、その実はわずかに銭を盗まないだけです。人に盗む心がないからといって、それほど褒めることではありません。ただ偽君子が群れ集まるその中に人並みの人が混じるので、格別に目立つだけのことです。結局この偽君子の多さも、その根本を尋ねれば古人の妄想であって、世の人民をみな結構な人で御しやすいものと思い込み、その弊害がついに専制と抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まれるものです。返す返すも世の中で頼りにならないものは名分です。毒を流すことの大きなものは専制と抑圧です。恐るべきではありませんか。
解説

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