明訓一班抄抄録 / 夷狄を近付べからざる事・情勢の近さを見て備えを決める
今明も靜ならず候へば異國の押は仰付らるゝは尤至極に存られ候と申ければ、利勝申は、公方樣其通り聞召れ候故、異國の押を仰付られたるは、名譽不例の上樣にて、昔を今にくりかへし末をしらしめて思召るゝ上は、誠に明君にて候、今日異國より兵起り來るとも、黑田鍋島先達て戰ひ申さば、關の戶が越へ申間敷、定て此兩人衆油斷成間敷也、自然の事有て、御人數を西海へ遣さる共、此兩人萬事手遣手配等心掛の事なれば、俄に仰付られ遣さる御人數にても、掛引勝負人數立大形合點仕ることに候へば是又御爲也、何としても其役人なれば自餘の衆とは格別なりと申されければ、道春申は、誠に學の前に書成るにて候間、其段は大に違ひ申べしと申ければ、利勝申は、上樣に思召さるゝは、御制禁仰付らるゝ黑船よりも、明を心許なく思召さるゝは、明は日本へ近き國也、故に斯の如し、長崎津內に是ある唐船どもは、懷中の毒蛇と少も油斷は成まじき事と思召るゝ、に依て、石火矢數多御預り指置れしぞ、其上日本中の事はたとへ戰負ても其一家のおくれ也、異國の押の儀能すれば日本の譽なり、惡敷する時は日本の恥辱也、是によりて長崎御番人は勝れて大儀と上樣にも思召候、まことに明よりは日本を望みたる事度々なり、云々、
新字:今明も静ならず候へば異国の押は仰付らるゝは尤至極に存られ候と申ければ、利勝申は、公方様其通り聞召れ候故、異国の押を仰付られたるは、名誉不例の上様にて、昔を今にくりかへし末をしらしめて思召るゝ上は、誠に明君にて候、今日異国より兵起り来るとも、黒田鍋島先達て戦ひ申さば、関の戸が越へ申間敷、定て此両人衆油断成間敷也、自然の事有て、御人数を西海へ遣さる共、此両人万事手遣手配等心掛の事なれば、俄に仰付られ遣さる御人数にても、掛引勝負人数立大形合点仕ることに候へば是又御為也、何としても其役人なれば自余の衆とは格別なりと申されければ、道春申は、誠に学の前に書成るにて候間、其段は大に違ひ申べしと申ければ、利勝申は、上様に思召さるゝは、御制禁仰付らるゝ黒船よりも、明を心許なく思召さるゝは、明は日本へ近き国也、故に斯の如し、長崎津内に是ある唐船どもは、懐中の毒蛇と少も油断は成まじき事と思召るゝ、に依て、石火矢数多御預り指置れしぞ、其上日本中の事はたとへ戦負ても其一家のおくれ也、異国の押の儀能すれば日本の誉なり、悪敷する時は日本の恥辱也、是によりて長崎御番人は勝れて大儀と上様にも思召候、まことに明よりは日本を望みたる事度々なり、云々、
書き下し
今明も靜ならず候へば異國の押は仰付らるゝは尤至極に存られ候と申ければ、利勝申は、公方樣其通り聞召れ候故、異國の押を仰付られたるは、名譽不例の上樣にて、昔を今にくりかへし末をしらしめて思召るゝ上は、誠に明君にて候、今日異國より兵起り來るとも、黑田鍋島先達て戰ひ申さば、關の戶が越へ申間敷、定て此兩人衆油斷成間敷也、自然の事有て、御人數を西海へ遣さる共、此兩人萬事手遣手配等心掛の事なれば、俄に仰付られ遣さる御人數にても、掛引勝負人數立大形合點仕ることに候へば是又御爲也、何としても其役人なれば自餘の衆とは格別なりと申されければ、道春申は、誠に學の前に書成るにて候間、其段は大に違ひ申べしと申ければ、利勝申は、上樣に思召さるゝは、御制禁仰付らるゝ黑船よりも、明を心許なく思召さるゝは、明は日本へ近き國也、故に斯の如し、長崎津內に是ある唐船どもは、懷中の毒蛇と少も油斷は成まじき事と思召るゝ、に依て、石火矢數多御預り指置れしぞ、其上日本中の事はたとへ戰負ても其一家のおくれ也、異國の押の儀能すれば日本の譽なり、惡敷する時は日本の恥辱也、是によりて長崎御番人は勝れて大儀と上樣にも思召候、まことに明よりは日本を望みたる事度々なり、云々、
現代語訳
今、明も静かではないので、異国の押さえを仰せつけられるのはもっともなことと存じます、と申したところ、利勝が申すには、公方様はその通りお聞きになって、異国の押さえを仰せつけられたのは、名誉不例の上様で、昔を今に繰り返し、末を知らしめたいとお思いになっている以上、まことに明君です。今日、異国より兵が起こって来ても、黒田・鍋島が先立って戦えば、関の戸(下関)を越えることはないでしょう。きっとこの両人は油断することはないでしょう。万一のことがあって、御人数を西海へ遣わされても、この両人が万事の手配などを心掛けているので、にわかに仰せつけられて遣わされた御人数にとっても、駆け引き、勝負、人数の立て方を大方合点できるので、これもまた御為です。いずれにしてもその役人であれば、ほかの衆とは格別ですと申したところ、道春が申すには、まことに学問が先に書いたことでありますので、その点は大いに違うでしょうと申しました。利勝が申すには、上様がお思いになるのは、御制禁を仰せつけられた黒船よりも、明を気がかりにお思いになるのは、明は日本に近い国だからです。このため長崎の津内にある唐船どもは、懐中の毒蛇と少しも油断してはならないとお思いになり、石火矢(大砲)を数多くお預けになったのです。そのうえ、日本中のことは、たとえ戦に負けてもその一家の遅れです。異国の押さえのことをよくすれば日本の誉れであり、悪くすれば日本の恥辱です。このため、長崎の番人はすぐれて大儀と上様もお思いになっています。まことに明からは日本を望んだことが度々ありました、云々。
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・裏門の備えを手厚くすべきという斉昭の意見齊昭謹で按ずるに、土地とても異國より日本を窺ふの患あり、故本文のごとく武內大臣を筑紫差置れ、又、三代將軍家御代には異國船の沙汰も今の如くには無之に、大猷公黑田鍋島等へ被命、防禦永續被仰けるは、深遠に御仕置と奉感も、餘り有る事也、扨、又、大猷公上意の趣、明は日本へ近き國なれば黑船よりも御心許なく被思召よし、愼ながら御尤至極なる御事也、然るに明國も其後北狄より攻めとられ、今淸國と改めたれば、其土地は昔も今も日本へ近きは違ることなかれ、長崎の押は今以嚴重に戒め給ふ事當然の事なれ共、蝦夷狄は至て北狄へ近く、且昔と違ひ北狄強大になりて、追ゝ蝦夷地を蠶食すれば、此儘差置れなば末終に大患となるべし、本朝は四面海なれば、何れの浦々津々とても同樣ながら、譬へば長崎は表門にて、蝦夷は裏門の姿なり、長崎には黑田鍋島のみならず、隣國も大名多ければ、自然の事有之ても、御手厚なれども、蝦夷の地は嚴寒麁土地なりとて、町人風の一小島南方に城郭を搆へたるのみなれば、北狄渡來るにおゐては、一戰もなく只渡し遣候樣可相成、昔はカンサツカ迄日本の地の由なりしが、今はラツコ島カラフト島の北邊は皆夷狄に被奪たりと聞、本文の如く東照宮御意にも異國亂るゝと聞ば、九州に能武將を撰び異國を押させよとの御事なり、此御遺圖を續せ給ひ、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・制度の見直しと許容の限度を考える御深意有之儀とは恐察し侍れ共、貳百餘年の御恩澤にて、三家、御普代大名は勿論、外樣迄も異議有之間敷、たとへ萬々一心得違の者有たり共、此方大名の船位を御防ぎ不相成程にては、とても異船千萬艘押來りたるをば、如何にして防禦し給ふべきや、されば公邊は格別、三家共初は本船の分數を以定りて成りとも製造をゆるし給ひ、常ゝは其領主自分船の事故(三家は本船三十艘位其外大名右に順て夫ゝ御濟を可然、小舟之儀は數の定りなくて可然)公邊御船の外、御失費も無是、非常の節は大小名に命じ給はゞ、直に御用に立べき也、其上公邊にも大名にも戰艦なきは、双方有之も同樣にて、萬々一只今にも心得違の人有之浦賀より乘込むとする日に至ては、やはり是迄の船にても乘込べし、大名を御氣遣ひの爲海防迄麁にし、船の製造御免無之、遺憾といふべし、異國船の患薄き時は兎もあれ、近頃の勢にては右船の制度變通し給はずんばあるべからず、くれ〱も堅事は船双方に無之双方有之と同樣にて、大名へ掛念し給ふ所にも當らずして、唯異國船防禦御手薄にのみ當れるは國家の長策にあらず、何分にも明君の明斷を奉仰所也、扨又近頃紅毛本國より便船差こせしより、戰爭の仕組と見へざれば、定て難題申上たるべけれど、一切許容し給はざるにしかざるべし、先年打拂の御止め命令有し時、本異國渡來の患みへきよし乍不及建白せしが、如案日本國武勇衰へたるを見拔て來りし事と見へたり、(打拂止めてより漂流人お前にて受ず又浦賀にて受ず)たとへ此の度も來り種々願出るとも、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・蝦夷地の備えと平時の防備の必要性大猷公以來長崎の方は黑田鍋島へ防禦の事永續被仰付たる上にも、事有候時は其節に臨み能武將を撰び被遣事見へたれども、裏門の蝦夷に於ては實に御手薄き事とて、非常の節良將を被遣迄持こたへ、何も安心守らざる事也、昔は蝦夷の北は無人なりしが、今は昔と違ひ、魯西亞も廣大に成り、且はカンサツカへも能湊出來、ラツコ島まで奪れたれば、昔の御見通しにては大に異なるべし、されば文化の明斷を繼給ひて、蝦夷の地は公邊にて處置し給ひて、蝦夷地中便宜の土地を撰びて本城を御出來、郡村迄も追ゝに御おき、何事も無之內に人數も繁衍すべきやう御仕向け、海岸平路の地へは出城にても所々へ出來、大筒人數共常ゝ夫ゝ備え給ひて、萬々一の時も此方より御人數出し給ふまでもなく、小事は防ぎ留べく、又大事に成候ても御人數着至迄の持こたへ位は成るべき也、北狄の模樣昔と違ひ强大に成りて、且又、蝦夷の離島も追ゝ奪れたる上は、大猷公にて、黑船よりも明は近きに寄て御油斷不相成との尊意を以考ふれば、今は明よりも魯西亞の方はるかに近ければ、長崎よりは蝦夷の方御油斷なりがたき事に思ひ侍るなり、上意に、異國みだると聞ば云々との御諚乍憚御尤至極の御事にて、異國亂るゝよし聞たらば嚴重御備被遊べきは勿論なり、扨又日本は海國故、いつ何時夷狄押寄來らんも難計ければ、常ゝ浦々津々油斷すべからざれども、別て北狄の戰爭無之靜謐の時も防禦の備へ怠るべからず、是昔と今と敵國の模樣替りたる故也、扨近來浦賀等の海岸夫ゝ御手厚に備へ給ひしが、愚考にては未御十分には不奉存を、何れよりの建呈にて二ヶ年も不立內に、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・一度の妥協が続く難題を生むと考える萬一姑息の御沙汰にて、其中一ケ條たりとも許容し給はゞ、其尾に取つき年々歳々難題申上、其中には御許容成がたくしてこれをこばみ給はゞ、是機會に乘じて戰爭を起し、彼が十分の欲をとげんとの企なるべければ、一切當路の有司少しも臆せずして、日本の武勇を示し度事也、兵法にも我領分へ入て不案內なる中に打結ぶ如き奸人あるも測りがたければ、以前のごとく見懸次第無二念打拂べきむね號令し給ふ事、國家の上策にて、たとへ打拂ひて、其節一戰有りとも、其後になり、度々來し上案內をも詳にし、又內通の者等出來て、邪宗門をも自分行れ、彼へ付添奸人多く成たる上にて、戰爭起りなば、天下の大變なるべし、昔は兎も角も○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○皆一つ穴の狐と見通し、無二念打拂ひぬる事、肝要なるべし、只今にて千万歳萬國に孤立して武勇を奮ひたる神妙、德川家の御代に至り、塵芥ばかりも蠻夷へ贈り物等有之樣成行ては、決て不相濟事なれば、篤と心を用ひ給ふべき事なり、凡制度法令のたぐひに、萬世動すべからざるものと、又時勢によりて變通すべきものあり、武勇を尊び夷狄を近付くべからざるは、神代より大道にて、しかも三代將軍御始精々戒め給ふ所にて、萬世の大法なり、荷船の外大船を禁じ給ふたぐひは、時によつて定め給ふ事にて、後世の變通を得處也、然るに今の有司一時の法令をば堅くとりて動さず、萬世の大法をも手易く動して、異船の打拂を止め給ふなど、如何にも齊昭が苦心する所也、何卒本文東照宮大猷公の尊意能く〱御服膺あらまほしき御事也、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・小回りの利く強い備えを実験で確かめる本文東照宮上意にも、萬里の海上一走りに成る間、油斷することなかれ、兼ての覺悟第一ぞとの仰を、兼て事は事なきやう用心し給ふ事にて、事出來てよりは迚も御間には合申間敷、先年齊昭領分にて鯨打の事願ひしにゆるし給ひぬれば、常の船にて度々相試みしに船板迄敗れたりき、(去る子年歸國以來、貫目の上の筒自分にても町打拭入とも度々打を試み、尙また或時湊にて座敷よりの四五十間計り先にて一貫目の筒目辻にして自分打試みたり、跡にて座敷に入り見るに、障子二三寸ぐらひに不殘くだけて、五間計りもあとへ飛なり、又陶物商抔は棚の上へ積置し品多分落くだけしなり、)左候へども存分響き強き物にて手薄の船にては迚も海防の用をなしがたし、(大船は多く有しに不及、本船のみにて中小にて丈夫の船多きのが便利なるべし、如何となれば、大船へは玉中り安く、小船へは中り惡し、此方より打出さんには、小船より打出したる玉とても同樣なれば、小船の丈夫なるを數多く乘出し、蠻狄の大船を取卷て打べし、其中元船にも玉藥入用あれば本船も勿論備べし、又外海を乘掛り候に貳拾間以下の船にては波摧けざる故、永く動きて働も不便利なり、波間は多分七ひろ計りのよしなれば、三七貳十一間以上ならては本船にはなしがたかるべし、)島島といへば人々遠所のやうにおもへども、萬里の波濤をさへ凌ぎ來る奴原なれば、萬一日本廻りの島々奪れし上は、常に容易に往來すべし、荷船の外大船御制禁の譯は外國へ渡り邪宗門へ引入らるゝを患給ふ計りにも無之、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・島々を奪われた場合の悪循環を想像する萬一佐渡隱岐對馬大島八丈松前蝦夷琉球は彼が手に入て津々浦々に寄來りなば、堅牢の船艦有りたりとも六ヶ敷可有之、況船艦なくしては如何にして是を取返し給ふべきや、海上より來れる異船を陸より防禦するさへ不容易に、ましてや彼島々を奪て、彼を陸より手薄く船にて攻入取返さん事甚難からずや、嚴命だにあらば武士の持前故如何樣の船にても出船はすべけれども惜き勇士を莫太死凶せしめむ事、御卓見無之事とて永世議し奉るべきのみならず、其後に至りては國なくては叶はぬ事とて、御船を初、いづれの國々にも出來ぬる勢、今より鏡を掛たるが如くなれば、一日も早く見拔給ん事至願に堪ざる也、其筋の職に廣く議し給ひ、自分〱只今蒙命、彼が奪ひし島々を取かえさん爲に出船するも、實意に考へ、其上にても堅牢の船不宜との事ならば、又右樣の節の良策をも難問し給ひ、衆評其儀尤と申事も候はゞ、右樣の節は箇樣ゝゝと定置給ひて、三家は勿論、大小名迄に其心得を知らせ給ふべし、又何れの道大小の艦船無之て不相成とのことならむには(掛りの御役人出時の舟にて大島なりとも又は我部河湊邊にて成りとも乘掛ておもひやるべし外海は壘の上の了簡とは又相違することなり)公邊にても御手繰次第多く製造し給ひ、海岸の大小名へも製造をゆるし給ふべき也、每度申事なれども、府下の人は諸國の米穀を賴みて命を續く事なる事前文のごとし、島々の中何れか異人出張をかまへ所々の海洋にて運送を妨げ、時々浦賀等へ帆影を見せ大筒にてもならしたらんには、府下の人民鼎沸し、米穀は不足、如何にも手を下しやうあるまじき也、

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