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明訓一班抄抄録 / 夷狄を近付べからざる事・主の立場が広がるほど用心の範囲も広がる

同上意に、人は大小上下共に用心をなすこと第一也、仔細は、予岡崎一城の主たりし時は近所に用心せしぞ、三州の主たる時は近國に用心せしぞ、關八州の主たる時は東海東山北陸三道の治亂を考へしぞ、今更日本の主と成ては諸異國の治亂を聞するぞ、仔細は、異國亂るゝに日本治りたりとて油斷するは、東山義政の茶の湯、大內義隆が學問、今川氏眞の歌道ぞとは、諸異國も治平なれば日本の政道迄なり、若し異國亂とも聞ば、其時に當て能武將を撰び九州に置、異國を押へさすべし、旣に上古神功皇后異國を退治の後、九州に中國との筑後の國に武內大臣を差置れ異國を押へさせ給ふ、是異國の王孫權(齊昭案ずるに、孫權の神明を改んとせし事、後日も林道春の物語あれば、東照宮は道春より聞給ひしなるべけれども、何の書にはへたる事かや、いまだ其書を見ずとなん、上意一に的當の御事故舊記の儘に記すなり)日本を攻むとて數萬人をわたす、しかれども神功皇后三韓退治の後武內大臣九州に居り政道明白高大成る事を聞し、日本の兵と戰ふとも勝利なからんと軍勢竊にかたりしとぞ、異國の兵船半より歸帆す、偏に武內筑紫に有故也、此大臣人皇十二代景行天皇より十七代仁德天皇迄六代の政務二百四十四年棟梁の臣なり、誠に目出度大臣、片時も大內を離れべき大臣ならざれども如此也、尤日本大臣の始にて、歲三百六十にして死なれたり、筑後國高良大明神是也

新字:同上意に、人は大小上下共に用心をなすこと第一也、仔細は、予岡崎一城の主たりし時は近所に用心せしぞ、三州の主たる時は近国に用心せしぞ、関八州の主たる時は東海東山北陸三道の治乱を考へしぞ、今更日本の主と成ては諸異国の治乱を聞するぞ、仔細は、異国乱るゝに日本治りたりとて油断するは、東山義政の茶の湯、大内義隆が学問、今川氏真の歌道ぞとは、諸異国も治平なれば日本の政道迄なり、若し異国乱とも聞ば、其時に当て能武将を撰び九州に置、異国を押へさすべし、既に上古神功皇后異国を退治の後、九州に中国との筑後の国に武内大臣を差置れ異国を押へさせ給ふ、是異国の王孫権(斉昭案ずるに、孫権の神明を改んとせし事、後日も林道春の物語あれば、東照宮は道春より聞給ひしなるべけれども、何の書にはへたる事かや、いまだ其書を見ずとなん、上意一に的当の御事故旧記の儘に記すなり)日本を攻むとて数万人をわたす、しかれども神功皇后三韓退治の後武内大臣九州に居り政道明白高大成る事を聞し、日本の兵と戦ふとも勝利なからんと軍勢窃にかたりしとぞ、異国の兵船半より帰帆す、偏に武内筑紫に有故也、此大臣人皇十二代景行天皇より十七代仁徳天皇迄六代の政務二百四十四年棟梁の臣なり、誠に目出度大臣、片時も大内を離れべき大臣ならざれども如此也、尤日本大臣の始にて、歳三百六十にして死なれたり、筑後国高良大明神是也

書き下し

同上意に、人は大小上下共に用心をなすこと第一也、仔細は、予岡崎一城の主たりし時は近所に用心せしぞ、三州の主たる時は近國に用心せしぞ、關八州の主たる時は東海東山北陸三道の治亂を考へしぞ、今更日本の主と成ては諸異國の治亂を聞するぞ、仔細は、異國亂るゝに日本治りたりとて油斷するは、東山義政の茶の湯、大內義隆が學問、今川氏眞の歌道ぞとは、諸異國も治平なれば日本の政道迄なり、若し異國亂とも聞ば、其時に當て能武將を撰び九州に置、異國を押へさすべし、旣に上古神功皇后異國を退治の後、九州に中國との筑後の國に武內大臣を差置れ異國を押へさせ給ふ、是異國の王孫權(齊昭案ずるに、孫權の神明を改んとせし事、後日も林道春の物語あれば、東照宮は道春より聞給ひしなるべけれども、何の書にはへたる事かや、いまだ其書を見ずとなん、上意一に的當の御事故舊記の儘に記すなり)日本を攻むとて數萬人をわたす、しかれども神功皇后三韓退治の後武內大臣九州に居り政道明白高大成る事を聞し、日本の兵と戰ふとも勝利なからんと軍勢竊にかたりしとぞ、異國の兵船半より歸帆す、偏に武內筑紫に有故也、此大臣人皇十二代景行天皇より十七代仁德天皇迄六代の政務二百四十四年棟梁の臣なり、誠に目出度大臣、片時も大內を離れべき大臣ならざれども如此也、尤日本大臣の始にて、歲三百六十にして死なれたり、筑後國高良大明神是也

現代語訳

同じ上意に、人は大小上下ともに用心をすることが第一である。その理由は、私が岡崎一城の主であったときは近所に用心した。三河の主であったときは近国に用心した。関八州の主となったときは東海・東山・北陸の三道の治乱を考えた。今さら日本の主となっては、諸異国の治乱を聞くのである。その理由は、異国が乱れているのに日本が治まっているからといって油断するのは、東山義政の茶の湯、大内義隆の学問、今川氏真の歌道のようなものだ。諸異国も治平であれば日本の政道までである。もし異国が乱れると聞いたら、そのときに当たってよい武将を選び九州に置き、異国を押さえさせよ。すでに上古、神功皇后が異国を退治された後、九州の中国との間の筑後国に武内大臣を置かれて異国を押さえさせた。このとき異国の王の孫権(斉昭が考えるに、孫権が神明を改めようとしたことは、後日も林道春(羅山)の物語があるので、東照宮は道春から聞かれたのであろうが、どの書にあることかは分からない。まだその書を見ない。上意はきわめて的確なことなので、古い記録のままに記す)が日本を攻めるといって数万人を渡した。しかし、神功皇后の三韓退治の後、武内大臣が九州におり、政道が明白で高大であると聞き、日本の兵と戦っても勝利はないだろうと、軍勢がひそかに語り、異国の兵船は半ばから帰帆した。それはひとえに武内が筑紫にいたためである。この大臣は、人皇十二代景行天皇から十七代仁徳天皇まで六代の政務を二百四十四年にわたって務めた棟梁の臣である。誠にめでたい大臣で、片時も大内(宮中)を離れてはならない大臣ではないのに、このようであった。もっとも日本の大臣の始めで、歳三百六十で亡くなられた。筑後国の高良大明神がこれである。

解説

立場が上がるほど見るべき範囲が広がる、という家康の言葉が印象的です。岡崎の主であれば近所、日本の主であれば異国の治乱まで、という具合に、責任の範囲に応じて目配りを広げています。管理職も、課長なら自部署、部長なら他部門や取引先、役員なら業界や海外の動きと、見るべき範囲が広がります。自社の好調に安心して外の変化を見落とすことが、油断の代表例です。定期的に外部の情報を集め、自社への影響を考える習慣が必要です。

この章句が説くこと

明訓一班抄徳川斉昭用心武内大臣油断視野

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