明訓一班抄抄録 / 仁心を本とすべき事・斉昭の按語 恵みは一体に及ぼす
齊昭謹案に、慈悲は佛語より出來たる事にて、經語にていはゞ、惻隱又惠の字など當るべし、惠は仁の一端なれども平場に成樣有べし、たとへば自分聞見する所をのみ急は惡し、將軍は天下の人を惠み、國主領主は領民を一體に惠む樣にすべき事なり、一體に惠む時節仁也、人の悅ぶ處によりて惠む時は鼻先の事のみにて一體にあらず、惠みて却て害になる事也、又惠を受る人も自分聊の惠にても天下に及ぬるを以て御仁政と仰ぎ奉べき事也そも〱、東照宮にては慈悲々々との給ふは、通俗にさとし安き爲に佛語を用ひ給ふといへども、其御言葉を味ふるに、慈悲は則仁德也、御言行共に仁を本とし給ふ故、天下の人民喜服して從えり、台德公大猷公皆質素儉約を施し給ひ、文武を御勵し、御言行共に仁を以て本と遊されし故、今の御世迄も明君とは奉稱也、將軍家右大將公は勿論、凡民の父母たるものは、三代將軍有德公の御言行をしたひ奉り、仁德を本とし、文武を勵し、質素を守り、明將明君と仰がるゝ樣に有たき事也、三代將軍有德公の如く、仁德を本とし、賢能の士を擧、質素儉約、文武を勵し給ふ時は、永世までも明君と奉稱、寶永御代の如く、奸吏奸僧婦女子の言語を信じ給へば、永世寶永の御政をそしり奉る、恐れざるべけんや、戒めざるべけんや、道二つ、仁と不仁とのみ、仁を行はざれば必ず不仁に陷るべし、本文上意を熟讀玩味せずんばあるべからず、
新字:斉昭謹案に、慈悲は仏語より出来たる事にて、経語にていはゞ、惻隠又恵の字など当るべし、恵は仁の一端なれども平場に成様有べし、たとへば自分聞見する所をのみ急は悪し、将軍は天下の人を恵み、国主領主は領民を一体に恵む様にすべき事なり、一体に恵む時節仁也、人の悦ぶ処によりて恵む時は鼻先の事のみにて一体にあらず、恵みて却て害になる事也、又恵を受る人も自分聊の恵にても天下に及ぬるを以て御仁政と仰ぎ奉べき事也そも〱、東照宮にては慈悲々々との給ふは、通俗にさとし安き為に仏語を用ひ給ふといへども、其御言葉を味ふるに、慈悲は則仁徳也、御言行共に仁を本とし給ふ故、天下の人民喜服して従えり、台徳公大猷公皆質素倹約を施し給ひ、文武を御励し、御言行共に仁を以て本と遊されし故、今の御世迄も明君とは奉称也、将軍家右大将公は勿論、凡民の父母たるものは、三代将軍有徳公の御言行をしたひ奉り、仁徳を本とし、文武を励し、質素を守り、明将明君と仰がるゝ様に有たき事也、三代将軍有徳公の如く、仁徳を本とし、賢能の士を挙、質素倹約、文武を励し給ふ時は、永世までも明君と奉称、宝永御代の如く、奸吏奸僧婦女子の言語を信じ給へば、永世宝永の御政をそしり奉る、恐れざるべけんや、戒めざるべけんや、道二つ、仁と不仁とのみ、仁を行はざれば必ず不仁に陥るべし、本文上意を熟読玩味せずんばあるべからず、
書き下し
齊昭謹案に、慈悲は佛語より出來たる事にて、經語にていはゞ、惻隱又惠の字など當るべし、惠は仁の一端なれども平場に成樣有べし、たとへば自分聞見する所をのみ急は惡し、將軍は天下の人を惠み、國主領主は領民を一體に惠む樣にすべき事なり、一體に惠む時節仁也、人の悅ぶ處によりて惠む時は鼻先の事のみにて一體にあらず、惠みて却て害になる事也、又惠を受る人も自分聊の惠にても天下に及ぬるを以て御仁政と仰ぎ奉べき事也そも〱、東照宮にては慈悲々々との給ふは、通俗にさとし安き爲に佛語を用ひ給ふといへども、其御言葉を味ふるに、慈悲は則仁德也、御言行共に仁を本とし給ふ故、天下の人民喜服して從えり、台德公大猷公皆質素儉約を施し給ひ、文武を御勵し、御言行共に仁を以て本と遊されし故、今の御世迄も明君とは奉稱也、將軍家右大將公は勿論、凡民の父母たるものは、三代將軍有德公の御言行をしたひ奉り、仁德を本とし、文武を勵し、質素を守り、明將明君と仰がるゝ樣に有たき事也、三代將軍有德公の如く、仁德を本とし、賢能の士を擧、質素儉約、文武を勵し給ふ時は、永世までも明君と奉稱、寶永御代の如く、奸吏奸僧婦女子の言語を信じ給へば、永世寶永の御政をそしり奉る、恐れざるべけんや、戒めざるべけんや、道二つ、仁と不仁とのみ、仁を行はざれば必ず不仁に陷るべし、本文上意を熟讀玩味せずんばあるべからず、
現代語訳
斉昭がつつしんで考えるには、慈悲は仏教の語から出たもので、儒教の語で言えば、惻隠(いたみ憐れむ心)、また恵の字などが当たります。恵は仁の一端ではありますが、一部の場面だけの恵みになってしまうことがあります。たとえば、自分が見聞きするところだけを急いで施すのはよくありません。将軍は天下の人を恵み、国主・領主は領民を一体として恵むようにすべきことです。一体に恵むとき、それが仁です。人が喜ぶところに従って恵むときは、目先のことだけで一体のものではなく、恵んでかえって害になることです。また恵みを受ける人も、自分に与えられたわずかな恵みであっても、それが天下に及んでいることを知って、御仁政と仰ぎ奉るべきことです。そもそも東照宮(家康)が慈悲、慈悲と仰せられたのは、通俗に諭しやすいために仏語を用いられたのですが、そのお言葉を味わってみると、慈悲はすなわち仁徳です。言行ともに仁を本とされたので、天下の人民は喜んで従いました。台徳公(秀忠)も大猷公(家光)も、ともに質素倹約を行い、文武を励まれ、言行ともに仁を本とされたので、今の世までも明君と称えられています。将軍家の右大将公は言うまでもなく、およそ民の父母たる者は、三代将軍有徳公(吉宗)の言行を慕って、仁徳を本とし、文武を励み、質素を守り、明将明君と仰がれるようにありたいものです。三代将軍有徳公のように、仁徳を本とし、賢く有能な士を挙げ用い、質素倹約、文武を励まれたときは、永く明君と称えられ、宝永の御代のように、悪い役人、悪い僧、婦女子の言葉を信じられれば、永く宝永の御政治が謗られます。恐れずにいられましょうか、戒めずにいられましょうか。道は二つ、仁と不仁とだけです。仁を行わなければ、必ず不仁に陥るでしょう。本文の上意を、よくよく読み味わわなければなりません。
解説
この章句が説くこと
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