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明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・島原の乱と稲葉丹後守・大久保彦左衛門

大獻公御代島原蜂起の時、御出馬可被遊と御意有候に付、老中如何と何れも申上、御意に不叶御腹立被遊御座候、御立奧へ入御被遊んとす、稻葉丹後守御跡より進み出て勿躰無之段申上、既に御手討にも可被遊樣に相見へ候得共、丹後守御無用可被遊儀申上、奧へ御入被遊、暫らく御休被遊、又表へ出御老中被爲召、丹後守申分御感被遊候、島原百姓徒黨を結ける節に聞に達し、早速板倉內膳正、上使被仰付、石谷十藏御目付として差遣るゝ、の旨被仰出、其後大久保彥左衞門永井善左衞門を召し、老中を以て御尋、今度之儀如何と彥左衞門へ申せば、御尋遲く候由御請仕候、其段酒井讃岐守忠勝申上れば、遲きとは如何と有ければ、上使も御目付へ被仰付ざる以前に候はゞ御尋御尤なり、今に於ては遲く御座候、忠勝然れば被仰付惡さかと申ければ、勿論なりと答ふ、遲くとも其方存寄先申上べしとありければ、其節申は是は百姓原と思召ても六ヶ敷御敵なり、御手間取べく候、其故は心を一つにして箇樣に大勢能地に取込ける上は、中ゝ內膳十藏如き小身の者人の者を召使候ては下知に付がたく、我主さへ惡き主には付がたし、況んや人のものをや、某存候は御三家の內御一人御目代として遣され、御目付には堀田加賀守、老中には松平伊豆守如き者を指添らるべきものをと申上ければ、讃岐守則言上すると也、

新字:大献公御代島原蜂起の時、御出馬可被遊と御意有候に付、老中如何と何れも申上、御意に不叶御腹立被遊御座候、御立奥へ入御被遊んとす、稲葉丹後守御跡より進み出て勿体無之段申上、既に御手討にも可被遊様に相見へ候得共、丹後守御無用可被遊儀申上、奥へ御入被遊、暫らく御休被遊、又表へ出御老中被為召、丹後守申分御感被遊候、島原百姓徒党を結ける節に聞に達し、早速板倉内膳正、上使被仰付、石谷十蔵御目付として差遣るゝ、の旨被仰出、其後大久保彦左衛門永井善左衛門を召し、老中を以て御尋、今度之儀如何と彦左衛門へ申せば、御尋遅く候由御請仕候、其段酒井讃岐守忠勝申上れば、遅きとは如何と有ければ、上使も御目付へ被仰付ざる以前に候はゞ御尋御尤なり、今に於ては遅く御座候、忠勝然れば被仰付悪さかと申ければ、勿論なりと答ふ、遅くとも其方存寄先申上べしとありければ、其節申は是は百姓原と思召ても六ヶ敷御敵なり、御手間取べく候、其故は心を一つにして箇様に大勢能地に取込ける上は、中ゝ内膳十蔵如き小身の者人の者を召使候ては下知に付がたく、我主さへ悪き主には付がたし、況んや人のものをや、某存候は御三家の内御一人御目代として遣され、御目付には堀田加賀守、老中には松平伊豆守如き者を指添らるべきものをと申上ければ、讃岐守則言上すると也、

書き下し

大獻公御代島原蜂起の時、御出馬可被遊と御意有候に付、老中如何と何れも申上、御意に不叶御腹立被遊御座候、御立奧へ入御被遊んとす、稻葉丹後守御跡より進み出て勿躰無之段申上、既に御手討にも可被遊樣に相見へ候得共、丹後守御無用可被遊儀申上、奧へ御入被遊、暫らく御休被遊、又表へ出御老中被爲召、丹後守申分御感被遊候、島原百姓徒黨を結ける節に聞に達し、早速板倉內膳正、上使被仰付、石谷十藏御目付として差遣るゝ、の旨被仰出、其後大久保彥左衞門永井善左衞門を召し、老中を以て御尋、今度之儀如何と彥左衞門へ申せば、御尋遲く候由御請仕候、其段酒井讃岐守忠勝申上れば、遲きとは如何と有ければ、上使も御目付へ被仰付ざる以前に候はゞ御尋御尤なり、今に於ては遲く御座候、忠勝然れば被仰付惡さかと申ければ、勿論なりと答ふ、遲くとも其方存寄先申上べしとありければ、其節申は是は百姓原と思召ても六ヶ敷御敵なり、御手間取べく候、其故は心を一つにして箇樣に大勢能地に取込ける上は、中ゝ內膳十藏如き小身の者人の者を召使候ては下知に付がたく、我主さへ惡き主には付がたし、況んや人のものをや、某存候は御三家の內御一人御目代として遣され、御目付には堀田加賀守、老中には松平伊豆守如き者を指添らるべきものをと申上ければ、讃岐守則言上すると也、

現代語訳

大献公の御代、島原の蜂起のとき、御出馬あそばすべしという御意があったので、老中がいかがかと皆で申し上げたところ、御意にかなわずご立腹になりました。奥へお入りになろうとされるのを、稲葉丹後守が御跡から進み出て、もったいない旨を申し上げ、すでにお手討ちにもなりそうに見えましたが、丹後守は御無用であるべきことを申し上げました。奥へお入りになり、しばらくお休みになってから、また表へお出ましになり、御老中を召され、丹後守の申し分に御感じになりました。島原の百姓が徒党を結んだことが耳に入り、早速、板倉内膳正を上使に仰せつけ、石谷十蔵を御目付として遣わす、という旨を仰せ出されました。その後、大久保彦左衛門、永井善左衛門を召し、老中をもってお尋ねになりました。「今度の件はいかが」と彦左衛門へ申し、彦左衛門は、「お尋ねが遅うございます」とお請けしました。その旨を酒井讃岐守忠勝が申し上げると、「遅いとはどういうことか」とあったので、「上使も御目付も仰せつけられる以前であれば、お尋ねはもっともです。今になっては遅うございます」と答えました。忠勝が「それでは仰せつけられたのが悪かったか」と言うと、彦左衛門は「もちろんです」と答えました。「遅くとも、そなたの存じ寄りをまず申せ」とのことで、その節申したのは、「これは百姓どもと思し召しても、難しい敵です。手間取りましょう。その理由は、心を一つにして、このように大勢が良い土地に立てこもった上は、なかなか内膳・十蔵のような小身の者が、人のものを召し使っては下知がつきがたいからです。我が主でさえ悪い主には付きがたいのに、まして人のものをや、です。私が存じますには、御三家のうちお一人を御目代として遣わされ、御目付には堀田加賀守、老中には松平伊豆守のような者を添えられるべきでした」と申し上げたので、讃岐守がそのまま言上したそうです。

解説

島原の乱での初動をめぐる逸話です。出馬の可否を諫める丹後守は、お手討ちを覚悟で止めました。事後の評議で彦左衛門は、遅いと言い切りつつ、小身の者に人の兵を使わせる現地の指揮体制の弱さを具体的に指摘しています。現代の管理職も、対応の遅れを指摘されたとき、責任論で終わらず、現場に十分な権限と格を持つ人材が配置されているかを点検することが大切です。初動の体制作りが、事後の対応の成否を左右します。

この章句が説くこと

明訓一班抄徳川斉昭島原の乱稲葉丹後守大久保彦左衛門初動

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