明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・掃部頭の諫めで取りやめた隠居
其通に被成置候、此度申上候處御取上げ不被遊候とて、重ても無遠慮存知之儀何事に寄らず直に申上べきと仰出され候得ば、大炊頭掃部頭へ向て有がたきと申上られ候へと有ければ、掃部頭答て難有候とは申上間敷候、其段は拙者申上候通り尤と思召され候に付、此度御取上遊され候へば重ても存寄候はゞ無遠慮可申上と仰出され候はど有がたきと可申上候、御尤と思召され候へどもはや仰出され候事故御取上遊されずと仰出されて候ては乍恐上意共奉存らず候、御尤に是なき儀をだに仰出され候へば奉畏候由御請申上候、御尤に思召され候儀を仰出され候に誰か異儀に及び可申や、御尤に思召候と重て仰出され然るべきやと申上ければ、御前にも御行當り遊され候御樣子にて大炊頭方を御覽遊され候時、大炊頭申上けるは私抔最早老衰仕御用に立がたき躰に罷成候處、若き者ども箇樣なる直言申上候事、天下御長久のしるし目出度御事御座候、掃部頭申上候處道理に當申候間明日諸大名を召出され掃部頭申上候處を仰出され、然るべしと申上候へば、御前もそのごとく思召され候間明日諸大名へ掃部頭存寄に付相止候由申渡べき旨上意有し時、掃部頭謹て愚意御取上罷成候段難有仕合に奉存候、淚を流し申上立ければ、其後又諸大名を召れ、掃部頭諫申上候に付、明年の御隱居思召止られ候段、大炊頭を以て仰渡されし也、」
新字:其通に被成置候、此度申上候処御取上げ不被遊候とて、重ても無遠慮存知之儀何事に寄らず直に申上べきと仰出され候得ば、大炊頭掃部頭へ向て有がたきと申上られ候へと有ければ、掃部頭答て難有候とは申上間敷候、其段は拙者申上候通り尤と思召され候に付、此度御取上遊され候へば重ても存寄候はゞ無遠慮可申上と仰出され候はど有がたきと可申上候、御尤と思召され候へどもはや仰出され候事故御取上遊されずと仰出されて候ては乍恐上意共奉存らず候、御尤に是なき儀をだに仰出され候へば奉畏候由御請申上候、御尤に思召され候儀を仰出され候に誰か異儀に及び可申や、御尤に思召候と重て仰出され然るべきやと申上ければ、御前にも御行当り遊され候御様子にて大炊頭方を御覧遊され候時、大炊頭申上けるは私抔最早老衰仕御用に立がたき体に罷成候処、若き者ども箇様なる直言申上候事、天下御長久のしるし目出度御事御座候、掃部頭申上候処道理に当申候間明日諸大名を召出され掃部頭申上候処を仰出され、然るべしと申上候へば、御前もそのごとく思召され候間明日諸大名へ掃部頭存寄に付相止候由申渡べき旨上意有し時、掃部頭謹て愚意御取上罷成候段難有仕合に奉存候、涙を流し申上立ければ、其後又諸大名を召れ、掃部頭諫申上候に付、明年の御隠居思召止られ候段、大炊頭を以て仰渡されし也、」
書き下し
其通に被成置候、此度申上候處御取上げ不被遊候とて、重ても無遠慮存知之儀何事に寄らず直に申上べきと仰出され候得ば、大炊頭掃部頭へ向て有がたきと申上られ候へと有ければ、掃部頭答て難有候とは申上間敷候、其段は拙者申上候通り尤と思召され候に付、此度御取上遊され候へば重ても存寄候はゞ無遠慮可申上と仰出され候はど有がたきと可申上候、御尤と思召され候へどもはや仰出され候事故御取上遊されずと仰出されて候ては乍恐上意共奉存らず候、御尤に是なき儀をだに仰出され候へば奉畏候由御請申上候、御尤に思召され候儀を仰出され候に誰か異儀に及び可申や、御尤に思召候と重て仰出され然るべきやと申上ければ、御前にも御行當り遊され候御樣子にて大炊頭方を御覽遊され候時、大炊頭申上けるは私抔最早老衰仕御用に立がたき躰に罷成候處、若き者ども箇樣なる直言申上候事、天下御長久のしるし目出度御事御座候、掃部頭申上候處道理に當申候間明日諸大名を召出され掃部頭申上候處を仰出され、然るべしと申上候へば、御前もそのごとく思召され候間明日諸大名へ掃部頭存寄に付相止候由申渡べき旨上意有し時、掃部頭謹て愚意御取上罷成候段難有仕合に奉存候、淚を流し申上立ければ、其後又諸大名を召れ、掃部頭諫申上候に付、明年の御隱居思召止られ候段、大炊頭を以て仰渡されし也、」
現代語訳
そのままにしておく。このたび申し上げたことをお取り上げにならなくても、今後も遠慮なく、存じ寄りのことは何事によらず直接申し上げよ、と仰せ出されましたので、大炊頭(土井利勝)は掃部頭に向かい、「有り難いと申し上げられよ」と言いました。掃部頭は答えて、「有り難いとは申し上げますまい。その件は、私が申し上げたとおりもっともと思し召されるのであれば、このたびお取り上げになり、重ねて存じ寄りがあれば遠慮なく申し上げよと仰せ出されるなら、有り難いと申し上げましょう。もっともと思し召されても、すでに仰せ出されたことゆえお取り上げにならないと仰せ出されるのは、恐れながら上意とも存じません。もっともでないことをさえ仰せ出されれば、畏まりましたとお請け申し上げます。もっともと思し召されることを仰せ出されたのに、誰が異議に及びましょうか。もっともに思し召すと、重ねて仰せ出されるべきではないでしょうか」と申し上げました。御前もお行き当たりになったご様子で、大炊頭の方をご覧になったとき、大炊頭は申し上げました。「私などはもう老衰して御用に立ちがたい様子になりましたところ、若い者がこのような直言を申し上げることは、天下ご長久のしるし、めでたいことでございます。掃部頭の申し上げたところは道理に当たっておりますので、明日、諸大名を召し出され、掃部頭の申し上げたところを仰せ出されるのがよろしいと存じます」。御前もそのように思し召されたので、「明日、諸大名へ、掃部頭の存じ寄りにより取りやめと申し渡すように」との上意がありました。そのとき掃部頭は、謹んで「愚意をお取り上げくださること、有り難い仕合わせに存じます」と、涙を流して申し上げました。その後、また諸大名を召され、掃部頭が諫め申し上げたので、明年のご隠居は思し召し止められたと、大炊頭をもって仰せ渡されたのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』外篇上・有獻書譖晏子退耕而國不治復召晏子晏子景公に相たり。其の人を論ずるや、賢を見ては之を進め、君の欲する所に同じからず。不善を見ては則ち廃し、君の愛する所を辟けず。己を行いて私無く、直言して諱む無し。書を納むる者有りて、曰く、「廃置君前に周からざる、之を専と謂い、言を出して君前に諱まざる、之を易と謂う。専易の行い存すれば、則ち君臣の道廃す。吾晏子の忠臣為るを知らず」と。公以て然りと為す。晏子朝に入るに、公の色説ばず。故に晏子帰り、載を備え、人をして辞せしめて曰く、「嬰は故より老悖にして能無し。敢えて壮者の事に服する毋し」と。辞して臣たらず、退きて窮処し、東のかた海浜に耕し、堂下に藜藿生じ、門外に荊棘生ず。七年、燕・魯分争し、百姓惛乱して、家に積む無し。公自ら国を治め、権は諸侯に軽く、身は高・国に弱し。公恐れ、復た晏子を召す。晏子至るに、公は一たび七年の禄を帰し、而して家に蔵する無し。晏子立つに、諸侯其の威を忌み、高・国其の政に服し、燕・魯職を貢し、小国時に朝す。晏子没して後に衰う。
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史記 袁盎鼂錯列伝然れども袁盎も亦数(しばしば)直諫するを以て、久しく中に居るを得ず、調されて隴西の都尉と為る。士卒を仁愛し、士卒皆争ひて為に死す。遷りて斉の相と為る。徙りて呉の相と為る。辞して行くに、種盎に謂ひて曰く、「呉王驕ること日久しく、国に姦多し。今苟も劾治せんと欲せば、彼上書して君を告げずんば、即ち利剣もて君を刺さん。南方は卑湿なり、君能く日に飲み、何もする毋く、時に王に説きて反する毋かれと曰ふのみ。此の如くせば幸ひに脱るるを得ん」と。盎種の計を用ひ、呉王厚く盎を遇す。盎告帰し、道に丞相申屠嘉に逢ひ、車を下りて拝謁す。丞相車上より袁盎に謝す。袁盎還りて、其の吏に愧ぢ、乃ち丞相の舎に之きて上謁し、丞相に見えんことを求む。丞相良久しくして之を見る。盎因りて跪きて曰く、「願はくは閒を請はん」と。丞相曰く、「使君の言ふ所公事ならば、曹に之きて長史掾と議せよ、吾且に之を奏せんとす。即し私ならば、吾私語を受けず」と。袁盎即ち跪きて説きて曰く、「君丞相と為り、自ら度るに陳平・絳侯と孰れぞ」と。丞相曰く、「吾如かず」と。袁盎曰く、「善し、君即ち自ら如かずと謂ふ。夫れ陳平・絳侯は高帝を輔翼して天下を定め、将相と為りて、諸呂を誅し、劉氏を存す。君は乃ち材官蹶張(けっちょう)為りて、遷りて隊率と為り、功を積みて淮陽の守に至る。奇計攻城野戦の功有るに非ず。且つ陛下代より来たり、朝する毎に、郎官書疏を上れば、未だ嘗て輦を止めて其の言を受けずんばあらず。言用ふべからざれば之を置き、言受くべければ之を採り、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。何ぞや。則ち以て天下の賢士大夫を致さんと欲すればなり。上は日に聞かざる所を聞き、知らざる所を明らかにし、日に益ます聖智なり。君今自ら天下の口を閉鉗して日に益ます愚なり。夫れ聖主を以て愚相を責む、君禍を受くること久しからず」と。丞相乃ち再拝して曰く、「嘉は鄙野の人、乃ち知らず、将軍幸ひに教へよ」と。引き入れて与に坐し、上客と為す。
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『酔古堂剣掃』集峭・腸を翻し肚を倒にす口に隨ひ牙を利くし、天荒れ地老ゆるを顧みず;腸を翻し肚を倒にし、那ぞ鬼哭し神愁ふるを管せん。
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、昔し国王あり、国を治て後ちに諸の臣下に問ふ、我好く国を治む、よく賢なりやと、諸臣みな云く、帝甚だよく治む、太だ賢なりと、時に一臣ありて云く、帝は賢ならずと、帝の云く故は如何、臣が云く、国を治て後ち、帝の弟に与へずして息に与ふと、帝の心にかなはずして、追ひ立られて後、亦一臣に問ふ、朕よく仁なりや、臣が云く、甚だ仁なり、帝の云く、其の故いかん、臣が云く、仁君には必ず忠臣あり、忠臣は直言あるなり、前きの臣太だ直言なり、是れ忠臣なり、仁君にあらずんば得じと、帝是を感じて、即ち前きの臣をめしかへさるゝなり、
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史記 汲鄭列伝黯人と為り性倨にして、礼少なく、面折し、人の過ちを容るること能はず。己に合ふ者は善く之を待ち、己に合はざる者は見るに忍ぶこと能はず、士も亦此を以て附かず。然れども学を好み、游侠し、気節に任じ、内行修絜にして、直諫を好み、数々主の顔色を犯し、常に傅柏・袁盎の人と為りを慕ふなり。灌夫・鄭当時及び宗正劉棄に善し。亦数々直諫するを以て、久しく位に居るを得ず。是の時に当たり、太后の弟武安侯蚡丞相為り、中二千石来たりて拝謁するに、蚡礼を為さず。然れども黯蚡に見ゆるに未だ嘗て拝せず、常に之に揖す。天子方に文学儒者を招く、上曰く吾云云せんと欲すと、黯対へて曰く、「陛下内に欲多くして外に仁義を施す、柰何ぞ唐虞の治に效はんと欲するや」と。上黙然として、怒り、色を変じて朝を罷む。公卿皆黯の為に懼る。上退き、左右に謂ひて曰く、「甚しいかな、汲黯の戇なるや」と。群臣或いは黯を数む、黯曰く、「天子公卿輔弼の臣を置くは、寧ろ従諛承意して、主を不義に陥れしめんや。且つ已に其の位に在り、縦ひ身を愛すとも、朝廷を辱むることを柰何せん」と。黯病多く、病且に三月に満たんとし、上常に告を賜ふこと数々なるも、終に愈えず。最後に病む、荘助為に告を請ふ。
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『春秋左氏伝』昭公八年 陳の滅亡冬、十一月、壬午、陳を滅ぼす。輿嬖袁克、馬を殺し玉を毀ちて以って葬る。楚人將に之を殺さんとす。之を寘かんことを請ふ。既にして又私せんことを請ふ。幄に私し、絰を顙に加へて逃る。穿封戌をして陳公為らしめて曰く、「城麇の役に諂はず」と。王に侍して酒を飲む。王曰く、「城麇の役、女寡人の此に及ぶを知らば、女其れ寡人を辟けんか」と。對へて曰く、「若し君の此に及ぶを知らば、臣必ず死を致して禮もて以って楚を息めん」と。晉侯史趙に問ひて曰く、「陳其れ遂に亡びんか」と。對へて曰く、「未だし」と。公曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「陳は顓頊の族なり。歲鶉火に在りて、是を以って卒に滅ぶ。陳も將に之の如くならん。今析木の津に在り、猶ほ將に復た由らんとす。且つ陳氏齊に政を得て、而る後に陳卒に亡びん。幕より瞽瞍に至るまで、命に違ふ無し。舜之に重ぬるに明德を以ってし、德を遂に寘く。遂世々之を守る。胡公の淫せざるに及び、故に周之に姓を賜ひ、虞帝を祀らしむ。臣聞く、盛德は必ず百世祀らる、と。虞の世數未だし。繼ぎて守るは將に齊に在らんとす。其の兆既に存せり」と。

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