説苑 / 尊賢
魏文侯觴大夫於曲陽,飲酣,文侯喟然歎曰:「吾獨無豫讓以為臣。」蹇重舉酒進曰:「臣請浮君。」文侯曰「何以?」對曰:「臣聞之,有命之父母,不知孝子;有道之君,不知忠臣。夫豫讓之君,亦何如哉?」文侯曰:「善!」受浮而飲之,嚼而不讓。曰:「無管仲鮑叔以為臣,故有豫讓之功也。」趙簡子曰:「吾欲得范中行氏良臣。」史黶曰:「安用之?」簡子曰:「良臣,人所願也,又何問焉?」曰:「君以無為良臣故也。夫事君者,諫過而薦可,章善而替否,獻能而進賢;朝夕誦善,敗而納之,聽則進,否則退。今范中行氏之良臣也,不能匡相其君,使至於難;出在於外,又不能入。亡而棄之,何良之為;若不棄,君安得之。夫良將營其君,使復其位,死而後止,何曰以來,若未能,乃非良也。」簡子曰:「善。」
新字:魏文侯觴大夫於曲陽,飲酣,文侯喟然嘆曰:「吾独無予譲以為臣。」蹇重舉酒進曰:「臣請浮君。」文侯曰「何以?」対曰:「臣聞之,有命之父母,不知孝子;有道之君,不知忠臣。夫予譲之君,亦何如哉?」文侯曰:「善!」受浮而飲之,嚼而不譲。曰:「無管仲鮑叔以為臣,故有予譲之功也。」趙簡子曰:「吾欲得范中行氏良臣。」史黶曰:「安用之?」簡子曰:「良臣,人所願也,又何問焉?」曰:「君以無為良臣故也。夫事君者,諫過而薦可,章善而替否,献能而進賢;朝夕誦善,敗而納之,聴則進,否則退。今范中行氏之良臣也,不能匡相其君,使至於難;出在於外,又不能入。亡而棄之,何良之為;若不棄,君安得之。夫良将営其君,使復其位,死而後止,何曰以来,若未能,乃非良也。」簡子曰:「善。」
書き下し
魏の文侯大夫に曲陽に觴す。飲酣にして、文侯喟然として歎じて曰く、「吾独り豫譲以て臣と為す無し」と。蹇重酒を挙げて進みて曰く、「臣請う君に浮せん」と。文侯曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「臣之を聞く、命有るの父母は孝子を知らず、道有るの君は忠臣を知らずと。夫れ豫譲の君は、亦何如なる哉」と。文侯曰く、「善し」と。浮を受けて之を飲み、嚼みて譲らず。曰く、「管仲鮑叔以て臣と為す無きが故に、豫譲の功有るなり」と。趙簡子曰く、「吾范中行氏の良臣を得んと欲す」と。史黶曰く、「安んぞ之を用いんや」と。簡子曰く、「良臣は、人の願う所なり、又何ぞ問わんや」と。曰く、「君以て良臣無きが故なり。夫れ君に事うる者は、過ちを諫めて可を薦め、善を章かにして否を替え、能を献じて賢を進む。朝夕善を誦し、敗るれば之を納れ、聴かるれば則ち進み、否らざれば則ち退く。今范中行氏の良臣は、其の君を匡相する能わずして、難に至らしむ。出でて外に在り、又入る能わず。亡びて之を棄つ、何ぞ良と為さん。若し棄てずんば、君安んぞ之を得ん。夫れ良将は其の君を営みて、其の位に復さしめ、死して而る後に止む、何ぞ来たると曰わんや。若し未だ能わずんば、乃ち良に非ざるなり」と。簡子曰く、「善し」と。
現代語訳
魏の文侯が大夫たちに曲陽で酒宴を催した。酒が回ってきた頃、文侯はしみじみと嘆いて言った。「私には豫譲のような(命懸けで仕えてくれる)家臣が一人もいない」。蹇重が杯を挙げて進み出て言った。「私はどうか君に罰杯を差し上げたく存じます」。文侯が「なぜか」と問うと、蹇重は答えた。「私はこう聞いております。天命に恵まれた父母は孝行な子を(改めて)知る機会がなく、道を備えた君主は忠臣を(改めて)知る機会がない、と。そもそも豫譲が仕えた君主とは、いったいどのような主君だったのでしょうか(豫譲を必要とするほど酷い主君だったからこそ、豫譲のような忠臣が際立ったのです)」。文侯は「その通りだ」と言い、罰杯を受けて飲み干し、噛みしめながら不満を言わなかった。そして「私に管仲や鮑叔のような臣がいないのは、(裏を返せば)世に豫譲のような功が生まれる原因となる悪しき主君がいないということなのだ」と言った。趙簡子は言った。「私は范氏・中行氏の良臣を我が家に得たいものだ」。史黶が「そのような者を得てどうするのですか」と言うと、簡子は「良臣とは誰もが望むものだ、何を今さら問うのか」と答えた。史黶は言った。「君に良臣がいないのは、(良臣とは何かを分かっていない)からです。そもそも主君に仕える者は、主君の過ちを諫めて正しい策を薦め、善事を明らかにして悪事を退け、能力を献じて賢者を推挙するものです。朝な夕なに善言を説き、失敗があれば正しい道に引き戻し、意見が聴き入れられれば仕え続け、聴き入れられなければ退くものです。ところが范氏・中行氏の(仕えていた)良臣とされる者たちは、自分の主君を助けて正すことができず、主君を苦境に追い込みました。そして主君が国外に亡命した後も、呼び戻すことすらできませんでした。主君が滅んでからそれを見捨てるのでは、どうして良臣と言えましょうか。もし見捨てなかったのなら、なぜ君はその者を(自分のもとに)得られるのですか(まだ范氏・中行氏のもとにいるはずです)。そもそも良将とは、自分の主君のために力を尽くし、その地位を回復させ、死んでもなお諫めをやめないものです。今頃になって『良臣が欲しい』などと言うようでは、もしそれがまだできていないのなら、それは良臣ではないということです」。簡子は「その通りだ」と言った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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二宮翁夜話・巻之一下館侯(しもだてこう)の宝蔵(ほうぞう)火災ありて、重宝(じゅうほう)天国(あまくに)の剣(つるぎ)焼けたり、官吏城下の富商中村某(それがし)に謂(いっ)て曰(いわ)く、如其(かく)焼けたりといへども、当家第一の宝物なり、能(よ)く研ぎて白鞘(しらさや)にし、蔵に納め置かんと評議せり、如何(いかん)、中村某焼(やけ)たる剣(けん)を見て曰く、尤(もっと)もの論なれど無益なり、例令(たとい)此剣焼(やけ)ずとも、如此(かく)細し、何の用にか立たん、然る上に如此焼たるを、今研ぎて何の用にかせん、此侭(このまま)にて仕舞(しまい)置くべしと云へり、翁声を励(はげ)まして曰く、汝(なんじ)大家(たいか)の子孫に産(うま)れ、祖先の余光に因りて格式を賜り、人の上に立ちて人に敬せらるゝ、汝にして、右様の事を申すは、大なる過ちなり、汝が人に敬せらるゝは、太平の恩沢(おんたく)なり、今は太平なり、何ぞ剣の用に立つと立たざるとを論ずる時ならんや、夫(そ)れ汝自ら省(かえり)み見よ、汝が身用に立つ者と思ふか、汝はこの天国の焼剣(やけみ)と同じく、実は用に立つ者にあらず、只先祖の積徳と、家柄と格式とに仍(よっ)て、用立(たつ)者の如くに見え、人にも敬せらるゝなり、焼身(やけみ)にても細身にても重宝と尊むは、太平の恩沢此剣(けん)の幸福なり、汝を中村氏と人々敬するは、是又太平の恩徳と先祖の余蔭(よいん)なり、用立、用立たざるを論ぜば、汝が如きは捨(す)てて可なり、仮令(たとい)用立たずとも、当家御先祖の重宝、古代の遺物、是を大切にするは、太平の今日至当の理(り)なり、我は此剣の為に云ふにあらず、汝がために云ふなり、能々(よくよく)沈思せよ、往時水府公(すいふこう)、寺社の梵鐘(つりがね)を取上げて、大砲に鋳(い)替へ玉ひし事あり、予此時にも、御処置悪(あ)しきにはあらねども、未だ太平なれば甚(はなは)だ早し、太平には鐘や手水鉢(てみずばち)を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし、事あらば速(すみや)かに取て大砲となす、誰(たれ)か異議を云はん、社寺ともに悦んで捧ぐべし、斯(か)くして国は保つべきなり、若(も)し敵を見て大砲を造る、所謂(いわゆる)盗(ぬすびと)を捕へて縄を索(な)ふが如しと云はんか、然りといへども尋常の敵を防ぐべき備へは、今日足れり、其敵の容易ならざるを見て、我領内の鐘を取て大砲に鋳る、何ぞ遅からんや、此時日もなき程ならば、大砲ありといへども、必(かなら)ず防ぐ事あたはざるべし、と云ひし事ありき、何ぞ太平の時に、乱世の如き論を出(いだ)さんや、斯の如く用立たざる焼身をも宝とす、況(いわ)んや用立つべき剣に於てをや、然らば自然宜敷(よろしき)剣も出来(いでき)たらん、されば能く研ぎあげて白鞘にし、元の如く、腹紗(ふくさ)に包み二重の箱に納めて、重宝とすべし、是汝に帯刀を許し格式を与ふるに同じ、能々心得べしと、中村某叩頭(こうとう)して謝す、時九月なり、翌朝(よくちょう)中村氏発句(ほっく)を作りて或人に示す、其句「じりじりと照りつけられて実法(みの)る秋」と、ある人是を翁に呈す、翁見て悦喜(えっき)限りなし、曰く、我昨夜中村を教戒す、定めて不快の念あらんか、怒気内心に満(み)たんかと、ひそかに案じたり、然れども家柄と大家とに懼(おそ)れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事覚束(おぼつか)なしと思ひたれば、止むを得ず厳に教戒せるなり、然るに怒気を貯へず、不快の念もなく、虚心平気に此句を作る、其器量按外(あんがい)にして、大度(たいど)見えたり、此家の主人たるに恥(は)ぢず、此家の維持疑ひなし、古語に、我を非として当る者は我師(わがし)也とあり、且(かつ)大禹(たいう)は善言を拝すともあり、汝等(なんじら)も肝銘(かんめい)せよ、夫れ富家(ふか)の主人は、何を言ても御尤御尤(ごもっとも)と錆付(さびつく)者のみにて、礪(と)に出合て研ぎ磨かるゝ事なき故、慢心生ずる也、譬(たと)へば、爰(ここ)に正宗の刀ありといへども、研ぐ事なく磨く事なく、錆付物とのみ一処におかば、忽(たちま)ち腐れて紙も切れざるに至るべし、其如く、三味線(さみせん)引や太鼓持などゝのみ交り居て、夫も御尤、是も御尤と、こび諂(へつ)らふを悦んで明し暮し、争友(そうゆう)一人のなきは、豈(あに)あやふからざらんや。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
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人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。