明訓一班抄抄録 / 奢侈を禁ずべき事・嗜みと奢りを取り違えない
總じて萬事を細かにして心底に納め能に吟味して其成敗を成べし、物每短慮にする事なかれ、天下國々島々迄兼て能聞て其善惡を正すべし、重々言ひ聞する如く跡先の考へなく奢強き者あらば是を取ひしぐなり、是天下を治る第一の法なり、同上意に、武道不案內の者は諸侍の嗜と奢とを取違る物ぞ、嗜と言は近藤などが如く似合ざる事致し朝夕のいとなみかすかに身の苦しみ大形ならずして身體より過分に人馬を持尤武具馬具さらびやかにし常日家職を忘れず是非を能正し誰が前にても理は理非は非と言者なり、是等を奢と言は不案內なり、是を侍は本意たしなみと言ぞ、奢と言は家職を失ひ武家に公家を學び出家町人武家を學び我家職を非に見る者を侈者と言ぞ、天子の御務には正月朔日朝拜より月次の御祭事有、是天子の御家職なり、關白は天下を預り政道正敷人民憂なく治るを職とす、此文道なり、將軍は天下の惡逆を討て有道を助るを職とす、是武道なり、是上代の法ぞ、然るに中頃より奢強くして政を取失ひ人民安からず、云々、」同上意に、天下の大寶と言は日本は能大將有時は縱ひ異國より日本を攻るとも武勇をふるひたやすく退治するは天下の大寶なり、既に日本より異國を責つれば又異國より日本責まじきと思ふは愚なり、又家の大寶は諸侍武道を忘れず節を正敷忠臣深くして追從輕薄の風俗なきは國家の榮え行べき前表にて家の大寶なり、又汝が心得には埋れ居たる身箇樣に取立し上は其報恩に只自分の侈り絕べきと思へ、返す〱邪なき樣に愼み一言をも能々考へていへ、汝が一言の善惡は將軍の善惡ぞ、我見捨ざる者に奢者有り、我色々異見をすれども聞かず、此上は多分無か自分滅すべきとおもふぞ不便なる事なり、汝必侈る心少しにても有ば大不忠と心得身を引下げ諸人に親敷して忠信を至らせ、云々、扨又大賀如き侈りし者をば早く亡すべし、
新字:総じて万事を細かにして心底に納め能に吟味して其成敗を成べし、物毎短慮にする事なかれ、天下国々島々迄兼て能聞て其善悪を正すべし、重々言ひ聞する如く跡先の考へなく奢強き者あらば是を取ひしぐなり、是天下を治る第一の法なり、同上意に、武道不案内の者は諸侍の嗜と奢とを取違る物ぞ、嗜と言は近藤などが如く似合ざる事致し朝夕のいとなみかすかに身の苦しみ大形ならずして身体より過分に人馬を持尤武具馬具さらびやかにし常日家職を忘れず是非を能正し誰が前にても理は理非は非と言者なり、是等を奢と言は不案内なり、是を侍は本意たしなみと言ぞ、奢と言は家職を失ひ武家に公家を学び出家町人武家を学び我家職を非に見る者を侈者と言ぞ、天子の御務には正月朔日朝拝より月次の御祭事有、是天子の御家職なり、関白は天下を預り政道正敷人民憂なく治るを職とす、此文道なり、将軍は天下の悪逆を討て有道を助るを職とす、是武道なり、是上代の法ぞ、然るに中頃より奢強くして政を取失ひ人民安からず、云々、」同上意に、天下の大宝と言は日本は能大将有時は縦ひ異国より日本を攻るとも武勇をふるひたやすく退治するは天下の大宝なり、既に日本より異国を責つれば又異国より日本責まじきと思ふは愚なり、又家の大宝は諸侍武道を忘れず節を正敷忠臣深くして追従軽薄の風俗なきは国家の栄え行べき前表にて家の大宝なり、又汝が心得には埋れ居たる身箇様に取立し上は其報恩に只自分の侈り絶べきと思へ、返す〱邪なき様に慎み一言をも能々考へていへ、汝が一言の善悪は将軍の善悪ぞ、我見捨ざる者に奢者有り、我色々異見をすれども聞かず、此上は多分無か自分滅すべきとおもふぞ不便なる事なり、汝必侈る心少しにても有ば大不忠と心得身を引下げ諸人に親敷して忠信を至らせ、云々、扨又大賀如き侈りし者をば早く亡すべし、
書き下し
總じて萬事を細かにして心底に納め能に吟味して其成敗を成べし、物每短慮にする事なかれ、天下國々島々迄兼て能聞て其善惡を正すべし、重々言ひ聞する如く跡先の考へなく奢強き者あらば是を取ひしぐなり、是天下を治る第一の法なり、同上意に、武道不案內の者は諸侍の嗜と奢とを取違る物ぞ、嗜と言は近藤などが如く似合ざる事致し朝夕のいとなみかすかに身の苦しみ大形ならずして身體より過分に人馬を持尤武具馬具さらびやかにし常日家職を忘れず是非を能正し誰が前にても理は理非は非と言者なり、是等を奢と言は不案內なり、是を侍は本意たしなみと言ぞ、奢と言は家職を失ひ武家に公家を學び出家町人武家を學び我家職を非に見る者を侈者と言ぞ、天子の御務には正月朔日朝拜より月次の御祭事有、是天子の御家職なり、關白は天下を預り政道正敷人民憂なく治るを職とす、此文道なり、將軍は天下の惡逆を討て有道を助るを職とす、是武道なり、是上代の法ぞ、然るに中頃より奢強くして政を取失ひ人民安からず、云々、」同上意に、天下の大寶と言は日本は能大將有時は縱ひ異國より日本を攻るとも武勇をふるひたやすく退治するは天下の大寶なり、既に日本より異國を責つれば又異國より日本責まじきと思ふは愚なり、又家の大寶は諸侍武道を忘れず節を正敷忠臣深くして追從輕薄の風俗なきは國家の榮え行べき前表にて家の大寶なり、又汝が心得には埋れ居たる身箇樣に取立し上は其報恩に只自分の侈り絕べきと思へ、返す〱邪なき樣に愼み一言をも能々考へていへ、汝が一言の善惡は將軍の善惡ぞ、我見捨ざる者に奢者有り、我色々異見をすれども聞かず、此上は多分無か自分滅すべきとおもふぞ不便なる事なり、汝必侈る心少しにても有ば大不忠と心得身を引下げ諸人に親敷して忠信を至らせ、云々、扨又大賀如き侈りし者をば早く亡すべし、
現代語訳
総じて万事を細かに見て心の底に納め、よく吟味してその処置をせよ。物事を短慮にしてはならない。天下の国々島々までかねてよく聞いて、その善悪を正せ。重ねて言い聞かせるとおり、先後の考えなく奢りの強い者があれば、これを取りひしげ。これが天下を治める第一の法である。同じ上意に、武道に不案内な者は、諸侍の嗜みと奢りを取り違えるものだ。嗜みというのは、近藤などのように似合わぬことをして、朝夕の営みはわずかで身の苦しみも並大抵でなく、身代より過分に人馬を持ち、武具・馬具をきらびやかにし、常日ごろ家職を忘れず、是非をよく正し、誰の前でも理は理、非は非と言う者である。これらを奢りというのは不案内だ。これを侍は本意の嗜みという。奢りというのは、家職を失い、武家が公家を学び、出家・町人が武家を学び、自分の家職を非と見る者を、奢る者というのだ。天子の御務めには、正月朔日の朝拝から月ごとの祭事がある。これが天子の御家職である。関白は天下を預かり、政道が正しく人民が憂いなく治まるのを職とする。これは文道である。将軍は天下の悪逆を討ち、有道を助けるのを職とする。これが武道である。これは上代の法である。ところが中ごろから奢りが強くなって政を取り失い、人民は安からず、云々。」同じ上意に、天下の大宝というのは、日本によい大将があるときは、たとえ異国から攻められても、武勇を振るってたやすく退治する、これが天下の大宝である。すでに日本から異国を攻めたのに、異国から日本を攻めまいと思うのは愚かなことだ。また家の大宝は、諸侍が武道を忘れず節を正しくし、忠臣が深く、追従や軽薄の風俗がないことで、国家が栄えゆく前表であり、家の大宝である。またお前の心得としては、埋もれていた身をこのように取り立てた上は、その報恩に、ただ自分の奢りを絶つことだと思え。返す返す邪のないよう慎み、一言をもよくよく考えて言え。お前の一言の善悪は将軍の善悪である。私が見捨てない者に奢る者がある。いろいろ意見をするが聞かない。この上は、おそらく自分で滅ぼすべきかと思うのだ。不憫なことだ。お前は必ず、奢る心が少しでもあれば大不忠と心得て、身を引き下げ、諸人に親しくして忠信を尽くさせよ、云々。さてまた、大賀のように奢った者は早く滅ぼせ。
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・奢る者への戒めと忠臣の見分け只金銀のみ好みぬれば災の媒と成ぞ、武家武に怠り公家風になれば、刀脇差代に替金銀を巾着に入れ丸腰にて往來して命を失ふに同じ、只各家職をよく勤る者を擧て、奢を絕て、慈悲を萬本として天下を治め給へと申べし、同上意に、關白秀次木村が大阪城より水指の蓋を取に參り候よし申付て是を賞翫して、秀吉の大恩を忘れ、忽亡びられたれ、必武道不案內成者は其分別にて先を知らず、物も俄に行當る臆病の臆病者はがさつにて奢り強し、奢り強きものは依怙最負あり、如斯者は一門家臣を始め大身成者程賴みにならず、云々、同上意に、忠臣は大小上下近習外樣古參新參によらざる物ぞ、只人の心に有ぞ、然る時汝等は諸人に心安くあてがひ、其者の埋れざる樣にして忠臣を盡させよ、汝等高上にして諸人□□入根に成時は、譬へば上よりは天にのぼりひとし、下よりは地に入もひとし、此時君臣の間遠ざかり緣切れて家滅亡するぞ、總じて主人家老の前にて少々の無禮に見ゆる程成者が多分陰程上を大事に思ふ物ぞ、家老出頭也とて跡先の考へなしに諸人に慮外をする時は諸人非なき主を恨むる物ぞ、此考へなくはいもふするを滿足し主をかさに着て奢る者はうつけの頂上なり、若是に小邪をふくむ者あらば彼の彌四郞秦の趙高の類也、又人に慮外を仕掛られて何とも思はぬ者は何の役にも立ぬ物ぞ、よく〱心得べし、同じ侍が時運によりてこそ主と成、家老出頭と成、諸侍と成、當分おのれ時に逢たりとても、諸人に慮外をし侈り強き者がうつけ者成によりて、天下の事は言に及ばず、國主郡主家中にも奢者は災に成る故嫌ふ也、此故に下野が家來小笠原監物を松が島へ流せしぞ、監物一廉下野が用にも立べき者なれども侈り有し故、以來旗本諸大名家中迄も奢有る者は如此するぞと、近くは見る者遠く聞せ奢をたつべき爲如此ぞ、秀吉も木村常陸を早く成敗し給はゞ秀次の惡も是程迄には有まじきぞ、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・家康の倹約と奢りへの戒め東照宮上意に、奢心なく物事儉約を用ひ、常に其程を能知るを、政道正しきと言なれば、下々は過分に知行其外給ひもの其程に施しあたふれば、奢者に引當て吝嗇の取沙汰致し候、古より賢者賢臣の過分に給り物萬事花麗の行はなく、身を愼み儉約を用ひし事に候、同上意に、我領分は勿論、其外天下せし以後、公料成し民百姓にても、我子孫萬代も願ふ由聞へあり、是三河以來の舊封にて年貢取箇の方諸家よりは少分に取候へと申付る故也、此時法を子孫迄第一に守るべき事なれども、太平打續上奢り下へつらひ國用乏しき風に至り、勘定奉行抔言者代官をせたげ、取箇にてすくなき時は不平の顏色をもて不勤などゝいはん、代官共も當時のなり合能樣に跡の事には構はず、法外に年貢取箇をまし百姓を困窮させ上をうとませ候樣致すべし、左樣の不了簡成勘定奉行を御爲などゝ言立、年寄共はじめ側近く勤むる者共立身を取持加增をも遣す樣に成などは、國家の衰微と知るべし、我百年の後にも天下兵軍起らん事は有べからず、只百姓の心はなれ上の冥加氣運も薄くならん事歎かはしき事也、箇樣の事中君より以下は執政の者も志し次第なり、水よく船を浮べ、水能船をくつがへす、たゞ此事を能く心得られよと、秀忠公え每度御敎訓なり、同上意に、人にも身にも去るべき物は奢りぞ、云々、同上意に、武道不案內成家は、諸士の風俗柔弱非義になりて武勇なければ、一戰に打負る時は罪なき嬰兒迄も一時に亡びぬるは古今ためし多し、武家に生れては武道に愚なるは鼠とらぬ猫の如し、公家と武家との替りは、譬へば金ならば、公家は金銀のごとし、武家は鐵に同じ、然るに人民金銀を好み、鐵の大寶なる事を知らず、鐵は寶器の本也、五穀を作り竹木を切とも朝夕の食を調へ尤天下國家の亂を拂ひ太平を致す事鐵の用多し、誠に大寶の長たるもの也、爰を不見付、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・斉昭の按語 倹約は武備の土台齊昭謹案に、和漢古今共明將賢君と聞ゆる人に儉約を不用なし、如何となれば其國に生れては其國を守り、外夷に不被奪樣にする事君へ忠祖宗への孝なり、然れば質素儉約してさえ、武備を手厚くせんは難し、ましてや、質素の政不行して武備を手厚くせん事は成がたき故なり、乍去君柔弱なる時は奸吏奸僧女子町人抔、本より武備をせんよりは今日花美をして身を樂しみ、我祿何故に給はると言事をさえ忘るゝ者多きなり、婦人僧侶は勿論戰爭の事に不拘ば終身榮花にさえ暮す時はよひとおもひ、扨又萬一の事有時は僧侶は戰爭の事は我持前にあらず、我等怨敵退散の御祈禱の職なりとて無益の祈禱に物を費し、危には近寄ず、勝利有時は祈禱のしるし有樣に言なし、又勝利なき時は武士の怠に言なし、統て自分のがるゝ事のみなり、斯る者の言事を信ずる時は國家危かるべし、本より僧侶は天下の大體を不知、我朝に生れて異端を行ひ、人にもすゝめ、自分當座の勝手のみ思ひて人を欺く故、闇君俗吏は是を信じて、儉約せざるが下の爲の樣にいつも〱思ひあやまちて、格別にふまえなき者は闇に引入らるゝ者なり、可恐事なり、物事統て取締人は心なき人々には惡しくいはれ、自分までても骨の折る物故、明君ならでは質素儉約して文武の世話する事は不能なり、さる故に末世にても其名聞ゆる事なり、取締の有志の者は勿論よきと言べく、百姓町人にても永世を見通したる町人やはり悅べし、只心なき士婦人僧侶小町人にてせまじき商ひする者が嫌ふ事なり、是等の爲に取締を止て、當座譽れを求め、永世主君の名を穢す事なかれ、常々儉約を守りてだに飢饉の手當又は非常の手當は難き事成に、ましてや常々美麗柔弱にして非常の事あらば如何なすべきや、三代將軍有德公の御儉約にてさえ常々質素儉約武備を御勵し被遊たるを、況や今我々の愚將たらん者儉約をせず武備を捨て、
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『明訓一班抄抄録』・治に亂を忘るべからざる事・文武の志を貫いた将軍と流された将軍台德公大獻公にも又東照宮の深意を繼給ひ、專ら武道の御世話被遊たるが、寶永御代佛道を寶の道と思召あやまられ、護持院の僧を愛し給ひ、佛を信じられ、夫よりし柔弱美麗を好み給ひ、武家の風俗公家の如く成行、えいはれぬ世と成て、武道地を拂つて失ひたりしが、亦ゝ有德公明君にまし〱て、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、專ら武備を勵まし、風俗を一變し給ひて、今に到る迄明君と奉稱しが、又ゝ御代追ゝ替りて、田沼執政の頃には、寶永の御世の姿に成行しを、松平越中守を用ひ給ひて、又質素を示し、武備を勵し給ひし、公邊は勿論、諸大名始め、家職に心を用ひしが、又ゝ水野出羽守執政にて世の中美麗に成行て、近頃迄武家も公家の如く成行しが、當將軍家賢明にまし〱、賢能の人を進め、佞邪の臣を退け給ひて、奢侈を禁じ、武備を勵まし、三代將軍并有德公の遺言を繼せ玉へば、又天下の勢蘇生して、永久海防等の御世話も御持張に相成、渴望する所なり、寶永の御代にも、初は文武共に御世話有て、學校迄も建立し給ひて、天下明君の譽れあらはせられたりしが、ふと僧侶の僞言を信じられ給ふより、今に至るまで御名を汚し給ふは、三親藩は殊に遺憾至極の事なり、異端の道は大學の序にもいへる如く、誠なき僞言なれば、人君たる者、假初にも是を誠の道とおもひまどひなば、永世の惡名を殘すべし、和漢古今共に、初質素儉約を旨として、武備を不怠人も、終に姑息安逸に流るゝ者多し、其中に始終志を變ぜずして押拔程の人を、明君良將とは稱する也、如何となれば、卓見なき將は初は質素儉約して武備を勵ますといへども、儉約は好む人少なく、武備は武士の持前にて、武用の爲に祿をも給るといふ事を忘れ、太平には常ゝ用なきが故に、能ゝ國家の御爲をおもふ者の外、先づは武を不好故、上下共に不好者多く、

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