及門遺範 / 儀礼経伝通解と朱子の実学
一先生嘗以儀禮經傳通解授安、讀之、曰、朱考亭講究實學、其所以施於事業之志、於是書可見其本色焉、野中兼山營命鏤之梓、可謂得紫陽之眞面目矣、安謂、聖人之道、修己治人、在合外內、考亭之論性理、所以修己、編此書、所以治人、故見其戊申封事等書、亦可觀施於事業之志、世稱朱學者、多言修己、而遺治人、其倍聖人之大道、固亡論、而於考亭之意、亦偏擧一端、而失全旨、使考亭聞之、其謂之何、
新字:一先生嘗以儀礼経伝通解授安、読之、曰、朱考亭講究実学、其所以施於事業之志、於是書可見其本色焉、野中兼山営命鏤之梓、可謂得紫陽之真面目矣、安謂、聖人之道、修己治人、在合外内、考亭之論性理、所以修己、編此書、所以治人、故見其戊申封事等書、亦可観施於事業之志、世称朱学者、多言修己、而遺治人、其倍聖人之大道、固亡論、而於考亭之意、亦偏挙一端、而失全旨、使考亭聞之、其謂之何、
書き下し
一、先生嘗て儀礼経伝通解を以て安に授け、之を読ましめて曰く、朱考亭は実学を講究し、其の事業に施さんとするの志は、是の書に其の本色を見るべし。野中兼山命じて之を梓に鏤むは、紫陽の真面目を得たりと謂ふべし、と。安謂へらく、聖人の道は、己を修め人を治め、外内を合するに在り。考亭の性理を論ずるは、己を修むる所以、此の書を編むは、人を治むる所以なり。故に其の戊申封事等の書を見れば、亦た事業に施すの志を観るべし。世に朱学と称する者は、多く己を修むるを言ひて人を治むるを遺す。其の聖人の大道に倍くは固より論ずる亡く、考亭の意に於いても、亦た一端を偏挙して全旨を失ふ。考亭をして之を聞かしめば、其れ之を何とか謂はん。
現代語訳
一 先生はかつて『儀礼経伝通解』を私(安)に授け、読ませてこう言いました。朱子(朱考亭)は実学を究め、それを事業に施そうとする志が、この書にその本来の姿として見える。野中兼山が命じてこれを出版させたのは、朱子の真面目を得たものといえる、と。私が思うに、聖人の道は、己を修め人を治め、外と内を合わせるところにあります。朱子が性理を論じたのは己を修めるためであり、この書を編んだのは人を治めるためです。だから朱子の『戊申封事』などの書を見ても、事業に施そうとする志が見えます。世に朱子学者と呼ばれる人々は、多く己を修めることを語って人を治めることを忘れています。それが聖人の大道に背くのは言うまでもなく、朱子の本意に照らしても、一端だけを取り上げて全体の趣旨を失っています。朱子がこれを聞いたら、何と言うでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『及門遺範』・君子を学ぶ・儒者にならず一、先生孝経を談説するに、愛敬の二字を以て第一義と為し、仁孝一本の義を発す。之を曾孟の言に徴するに、鑿鑿として確拠有り。而して諸経を講論するには、必ず論語を以て首と為す。毎に大宝令に経を分ちて孝経・論語を教授せしむるを誦し、学者をして之を兼ね習はしむ。梅巷筆囊を著さんとして、粗ぼ端緒有るも、未だ就らずして即世す。誠に憾むべしと為す。然れども学者能く二書を熟読し、反復玩味して、果たして意会有らば、庶幾くは先生の意に倍かざらん。 一、先生恒に言ふ、学者は学びて君子と為るなり、学びて儒者と為るに非ず。故に論語は君子の二字を以て始終す、と。又言ふ、道とは成人の道にして、儒者の私業に非ず。故に夫子は徳を成し材を達し、徳行有り、言語有り、政事有り、文学有り、各々其の人の長ずる所に因りて之を成就す。儒は則ち古は道芸を以て人に教ふ。周官に云ふ、儒は道を以て民を得、是れなり。故に夫子子夏を誨へて君子儒と為らしむるは、其の文学に長ずるを以てなり。周末道行はれず、門弟子各々其の学ぶ所を以て後輩に教授し、人称して儒者の道と為す。是れ聖人の本意に非ず。後学者は当に成人を以て自ら期すべく、必ずしも儒者と為るを要せず。学びて君子と為る、是れ則ち孔門の学なり、と。安謂へらく、義公士臣に諭して曰く、士は以て道を学び人倫の義を知らざるべからず。匹夫の勇は貴ぶ所に非ず。道を学び義を知らば、寡人と雖も亦た儒なり、と。此れ儒を以て自ら処す。先生の意と同じからざるに似たり。蓋し公は則ち士大夫に学を勧む。所謂儒者も亦た唯だ道を学ぶ者を指して言ふのみ。而して其の意は人倫を明らかにするに在れば、則ち亦た学びて君子と為り、村夫子と為るに非ざるの謂ひなり。其の言異なりと雖も、其の意は則ち同じきなり。
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『及門遺範』・周官と封建の実情一、先生周官を読むを好む。聖人の経緯、天地の網紀、国家□悉く此の書に備はる。其の発明の説、大抵前賢の未だ発せざる所にして、其の説、軍令を内政に寄す、管仲の斉を治むると同意なり。司馬の軍制は、即ち司徒の六郷にして、之を治むるの法は、多く今制と合す。西土の諸儒は、郡県の世に在りて、封建の制を説く、多く紙上の談にして、尽くは信ずべからず。今世、目に封建の勢を見て、周室封建の世を論ずれば、愈々其の事情に的切なるを覚ゆ。独り軍制のみ然るに非ず、と。安此の言を聴き、恍然として蒙を発くが如く有り、始めて此の書の実用に切なるを知る。信に先生の厚覬なり。
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『及門遺範』・実行を先に・善を伸ばす一、先生人に教ふるに虚文を後にして実行を先にす。然れども文墨の業も亦た廃する所に非ず。要は人をして其の長ずる所を尽くさしむるに在り。其の実行の如きは、務めて善を長ずるに在り、悪を責むるに拘拘とせず。是を以て人も亦た善を為すに勧み、悪を為すを恥づ。蓋し名節を磨礪するの効、然りと為すなり。平居人の善を称するを好み、其の悪を道ふを喜ばず。人を待つに寛厚にして、自ら持すること厳正なり。人之を親愛して、敢へて狎褻せず。其の感ずる所有りて、肝胆を吐露するに至っては、則ち庸人儒夫と雖も、亦た揚揚然として激昂憤発せざる莫し。其の善く人を誘ふこと此くの如し。 一、先生の誨ふるは、恭遜を以て先と為す。安の幼きとき、毎に忿争を戒む。書を読み古人孝弟忠信の事に遇へば、屡々説話し、耳を提ぐるが有るが如し。常に諸葛武侯の子を戒むるの語を誦す。言ひて尚ほ耳に在り。或いは親朋と国事を談論するも、小子輩をして之を聞かしめず。安輩も亦た専ら書を読み疑ひを質し、敢へて闕党の童子と為らず。故に時に天下の事を聞くと雖も、一国の吏事の臧否を知らず。蓋し先生の誨ふるは、其の器の晩成を欲して、速成を欲せざるなり。又屡々義公の言を誦して曰く、童子は当に童子たるべし、と。切に時政を譏議するを誡むるも、亦た此の意なり。然れども少年の鋭気の人は、多く激励の言を悦び、戒勅の意を思はず、狂簡斐然として、之を裁する所以を忘る。亦た先生の意に非ざるなり。
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『紫灘遺稿抄録』・心得の条々・偏らず修己治人を学ぶ心得事足ればなり、仁齋先生の道は卑近のものぞといはれし事も、よしありげに聞ゆるなり、趙宋の世など、朱子のごときは、性理の事は其學の貴ぶ所なれど、全體の事、性理に拘泥せられし人にはあらず、されど其前後の人、あまり性理の學に泥み、我心も身も、其理窟に縛られて、天運の隆替、人事にある事も辨へず、一身さへ潔くすれば、それにて事すむと心得て、端拱して道を講じ、靜座して理を窮る中に、いつの間にか國は夷狄にとられて、しらぬ世界となりてはと、俄に目を覺しても、乘て學ばぬ事なれば、兵を擧て恢復するわざもしえず、いさぎよく國に殉せんとおもひても、さすがに命はすてえず、姓名を變じ、衣服をかへ、民間に隱れ、遁るゝものも多きぞかし、都て學問は、己を修め、人を治るもの也、一偏にかたよれば、宋人の弊も出くれば、よく〱論孟など講じて、聖賢の言語云爲を探討すべし、易に盛德大業ならべ稱するも、一偏ならぬ證なり、堯舜の盛德も、大業なくては盛德と云に足らず、盛德なければ、又、大業は成就せず、後の君子の申樣に、一身さへ十分に修れば、人を治る事は、時にとり如何樣にもなると心得るは、即一偏の論にて、大なるひが事と心得べし、さて其學問の爲樣は、中庸に、博學之審問之愼思之明辨之篤行之、といへる是なり、篤行は事にかゝりて、學問かつ〱成就し、人の人たる事をするうへのわざなり、
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『及門遺範』・名分と典章制度の研究一、先生は春秋尊王攘夷の義に原づき、尤も名分に謹む。君臣上下の際、華夷内外の弁、之を論ずること極めて詳明なり。行文措辞、其の名分に渉る者は、片言隻字と雖も、未だ嘗て容易に筆を下さず。而して最も思ひを神聖経綸の業に致し、典章制度を講究し、立論精確なり。蒲生君臧も亦た務めて典故を講究し、発明する所往々人の意表に出づ。人に謂ひて曰く、我天下を周流して、未だ嘗て英才卓識の子定の如き者を見ず、と。而して先生も亦た数々君臧を嗟称し、特に前後に儔罕なりと見る。其の来遊する毎に、門人をして就きて質問せしめ、曰く、奇士を得て従遊せば、以て才気を長ずべし、と。而して門人の益を得る者も、亦た尠からず。
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『及門遺範』・諸学の長短を見て短を捨てる一、先生文学に於いて、古今を網羅し、衆説を会華し、之を聖経に断ず。謂ふ、漢儒博士の学は、訓詁を先にして実用を疎んじ、甚だしきは讖緯の言に流れ、大いに聖人の道を害す。宋儒は陋習を一洗し、躬行心術を説く、其の見卓なり。然れども自信太だ過ぎ、前賢を蔑視し、以て二千年絶学を継ぐと為す。後学の弊に至りては、則ち或いは濂洛有るを知りて、洙泗有るを知らず。明人の言に、敢へて周公孔子を非るも、敢へて宋人を非らず、と。亦た誣に非ざる者有り。而して自ら藩籬を設け、門戸を立て、己に異なる者を見れば、則ち排擯して異学と為し、汎く愛し衆を容るる能はず。陳同甫は英邁の才を以て大義を倡へ、其の王覇の弁は、一得無きに非ず。然れども豪気過甚にして、其の言も亦た醇ならざる者有り。王伯安は一代の人豪にして、其の物に就きて理を窮むるを支離と謂ふは、亦た一理有るが如し。然れども自ら聡明を恃み、禅機に浸淫して、則ち聖人の旨を失ふ。明清考証の学は、経を解すること精密なり。然れども或いは砕細に務めて大義を遺し、一失無きに非ず。熊沢氏は才識絶倫なれども、偏に王学を信ずるは、則ち未だ得たりと為さず。山崎氏は節義を磨礪して風教に益有り、然れども狭隘にして僻説多し。伊藤氏は論語を以て宇宙第一の書と為し、□充の義を説くは、卓見と謂ふべし。然れども道を見ること平易に過ぎ、亦た一偏に流る。荻生氏は雄才卓識、古今を圧倒す。然れども英雄人を欺き、経を説くこと牽強多く、道を以て先王の造作する所と為し、君臣の名、華夷の分を知らず。新井氏は聡明絶倫、経綸の才なり。然れども君臣名分に至りては、則ち大いに其の義を失す。此れ皆長有り短有り、短を舎て長を取り、聖経を以て根拠とせば、庶幾くは其れ倍かざらん。安謂へらく、義公嘗て曰く、先賢各々見る所有り、広く蒐め博く採り、之を用ひて偏せざれば則ち善し。偏見を執り、一隅に拘泥するは、儒中の異端なり、と。先生は蓋し公の遺意を奉ずるなり。

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