及門遺範 / 和歌で志気を励ます
一先生好誦古人歌詞、以勸勵後生、而從遊之士、善歌詞者往往有之、常謂、詩言性情、漢唐之詩、猶周詩三百、人情風俗瞭然可觀、可以感發興起人之志意、皇朝之歌、亦如漢唐之詩、自古事記書紀所載、而及萬葉集以下歷朝撰集、可使人感發興起者爲不尠、然至末俗之弊、則貴綺麗、務纖巧、而中溝之言、淫猥不可道者、比比有之、乃欲使門人鈔錄其切於人倫、裨於風致者、題曰葦原集、取之 大祖葦原之什也、未果而終、從游善歌詞者、亦相踵凋謝、良爲可憾也、
新字:一先生好誦古人歌詞、以勧励後生、而従遊之士、善歌詞者往往有之、常謂、詩言性情、漢唐之詩、猶周詩三百、人情風俗瞭然可観、可以感発興起人之志意、皇朝之歌、亦如漢唐之詩、自古事記書紀所載、而及万葉集以下歴朝撰集、可使人感発興起者為不尠、然至末俗之弊、則貴綺麗、務繊巧、而中溝之言、淫猥不可道者、比比有之、乃欲使門人鈔録其切於人倫、裨於風致者、題曰葦原集、取之 大祖葦原之什也、未果而終、従游善歌詞者、亦相踵凋謝、良為可憾也、
書き下し
一、先生古人の歌詞を誦するを好み、以て後生を勧励す。而して従遊の士、歌詞に善き者往々之有り。常に謂ふ、詩は性情を言ふ。漢唐の詩は、猶ほ周詩三百のごとく、人情風俗瞭然として観るべく、以て人の志意を感発興起すべし。皇朝の歌も、亦た漢唐の詩の如し。古事記・書紀の載する所より、万葉集以下歴朝の撰集に及ぶまで、人をして感発興起せしむべき者尠からず。然れども末俗の弊に至りては、則ち綺麗を貴び、繊巧に務め、而して中溝の言、淫猥にして道ふべからざる者、比比之有り。乃ち門人をして其の人倫に切にして風致に裨ある者を鈔録せしめんと欲し、題して葦原集と曰ふ。之を大祖葦原の什に取るなり。未だ果たさずして終はる。従遊して歌詞に善き者も、亦た相踵ぎて凋謝す。良に憾むべしと為す。
現代語訳
一 先生は昔の人の歌を誦するのを好み、それによって後輩を励ましました。そのため、先生のもとに集う人の中には、歌に優れた者が少なくありませんでした。先生はいつも言いました。詩は人の性情を述べるものである。漢や唐の詩は、周の『詩経』三百篇と同じように、人情や風俗がはっきり見え、人の志を呼び起こして奮い立たせることができる。日本の歌も漢唐の詩と同じである。『古事記』『日本書紀』に載るものから、『万葉集』以下の歴代の撰集に至るまで、人を感じ奮い立たせるものは少なくない。しかし世が末になるにつれて、きらびやかさを貴び、細かい技巧に努め、閨房の内のみだらな言葉(『詩経』の「中冓の言」にあたる表現)で、口にできないほど猥らなものが、あちこちに見られるようになった。そこで先生は、門人たちに人倫に切実で、風雅に益のあるものを書き抜かせようとして、『葦原集』と名付けようとしました。皇室の祖先にかかわる「葦原」の語から取った名です。しかし果たさないまま亡くなりました。先生のもとで歌に優れていた者たちも、次々に世を去りました。まことに残念です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』文訓下之末されど今、いにしへの和歌を見ん人、此理をもてえらばば教となるべし。和歌をよくえらび用ひば、其益などかなかるべき。近き世の和歌は、只言葉をたくみにしてかざれるをこのみて、其志をいふことはすくなし。詩も和歌も、志をいふをむねとすべし。言葉は只ふるきを用ひ、いやしからざるを以てよしとすべし。言葉をたくみにせんとすれば、和歌の本意をうしなふ。わが身、和歌をつくることかなはずとも、古人の歌をえらび用ひば、かへつて我がよむにはまさりなん。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒詩賦文章ノ類。我邦ノ敷島ノ道。ミナ精神ヲ模シ出シ。風化ヲ助ケ。道理ヲ寓スル器シヤ。歌学者カ一草一木一瓦一石マテ。言ヲ発シテ歌ヨメト云ヌハカリノ姿シヤト云。詩人カ人事万般四時ノ風景コトコトク佳句ノアル処ト云。男女ノ情ニ寄テ君臣ノ義ヲノヘ。杯酒ニヨセテ慷慨ノ気象ヲ顕ハスト云。並ニ其楽其人ニ在ベキコトシヤ。詩経三百篇ヲ審ニスレハ。国風人情ノ中ニ世ヲ救ヒ民ニ長タル趣有テ存スル。文選ニ至リ唐詩ニ至ルマテ。時ノ治乱。民ノ苦楽。事ノ成敗。情ノ虚実。条然トワカレテ面白キコト多イト云コトシヤ。降テハ宋詩ノ理ニ過ルモ。明詩ノ模様ニワタルモ。其楽其人ニ在ベシ。我邦ノ和歌。万葉已来。ソノ風采。千歳ノ後モ感ニ入ルコトシヤ。玄賓僧都ノ山田モルノ詠。蟬丸カ此ヤコノノ歌。喜撰カ宇治山ノ歌ノ類。ソノ逸趣。天竺ノ偈頌ノ文ニモ比スヘキト云。又桜カサシテ今日モ暮シツト云。紅葉ノ錦神ノマニマニト云。我身ヒトツハ旧ノ身ニシテト云類。三百篇ニモ比スヘキト云シヤ。
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『文武訓』文訓下一和歌は、わが国の言葉にて、あさはかなるやうにきこゆめれども、言葉風雅にして古にちかく、心和平にして情ふかし。しかれば、もろこしの名家の詩にも、其品格をさをさおとるべからず。只、日本の人の作れる詩文は、わが国のことばにあらず、其上、習あしくて、いにしへの名家の作といへど、もろこしの下等の作にも及びがたし。よくつとめ学ばずんば、中夏の下品にも及びがたかるべし。身を終るまで、詩を作るにもはらにせば、詩は大かたよかるべけれど、さあらば経史にうとく、其余の事にも通ずるに暇なかるべし。
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『文武訓』文訓上一むかしは、和歌は好色の媒にかぎらず、人倫の交に、たかきもいやしきも、折ふしにつけて、やまとうたを詠みおくり返して、情をかよはし、志をあらはせしこと、後代の及ばざる所なり。今の人、我が身の詠むまでこそかなはずとも、和歌はわが国の風俗にて、其言葉知りやすく、其ことわりもさとしやすければ、すこし心にかけてまなばば、などか知りがたからん。万葉集、古今集を先として、諸集を読み、其内の秀歌を誦しおぼえて、折ふしにかなひたる古歌を詠じてこころを慰めば、わがよからざる歌を、心をつくして詠むにはまさりなん。
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『文武訓』文訓下之末いにしへ和歌をよくよめる人、必ず賢人君子にもあらざれども、其内に、人情をよくいひかなへたること多し是亦其歌に感じて、善心をおこし、情をもよほす助となれり。この意を以て、歌をこのみもてあそばば、もろこしの詩の教と同じく、善にうつる益多かるべし。されど、和歌には、好色の歌多し。是は詩にていはば、鄭衛の風なれば教とならず。かへつて、淫風をみちびく媒となりぬべし。悪しきをばいましめとすべしといふ説あれど、それは君子のみさをある人はさも有るべし。かかる人は稀なれば、あしきにうつる助とならんことおそるべし。詩三百篇は、聖人のえらび定め給へり。和歌もかかる明哲の人ありて、よき悪しきをえりととのへば、皆教となるべし。
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『文武訓』文訓上之末一詩は、もろこしの詞なれば、文学せざる人の作れるは、ひがごと多し。和歌は、わが国の詞なれば、たやすかるべけれど、これ亦いにしへの世々にえらばれし万葉集、古今集以下に通じ、伊勢、源氏などのふるきふみを多く読まずして、歌をつくれば、言葉も心もひがごと多くして、歌とはいひがたし。すべて、詩も歌も、いにしへをかうがへず。みだりに作るべからず。しかるに詩歌を知らざる人は、わが作れるつたなき詞に、ほこらしく云ひさわぐも、をこがまし。すべて詩も歌も、其道知らでたやすくは作りがたし。

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