及門遺範 / 忠孝を教えの根本とする
一先生敎人、專在忠孝、蓋先生至性純孝、而慷慨好義、其幼善事親、弱冠居喪、疾痛悲哀、持心制三年、著書論古今執喪得失、門人受讀、往々倣之、盡三年之哀、推其孝以及人者如此、忠義亦出於天性、成童讀保建大記、憤發興起、從此好讀書、倍他日、十八歲著正名論、言君臣大義、其敎子弟以忠孝者、本於此也、一先生尤重君臣之義、恒語人曰、天祖垂統、天孫繼承、奉三器以照臨宇內、皇統緜緜、與天壤無窮、實如天祖所命、是神州之所以冠四海萬國、天祖 天孫固與天一矣、世世相襲、號天津日高騰極、謂之 日嗣、神天合一、與般周配天尚不免於與天爲二者不同矣、先生論國躰、其大旨如此、蓋奉義公之遺意云、而道時稱 皇國學者、荒唐不經之談、則亦所不取也、
新字:一先生教人、専在忠孝、蓋先生至性純孝、而慷慨好義、其幼善事親、弱冠居喪、疾痛悲哀、持心制三年、著書論古今執喪得失、門人受読、往々倣之、尽三年之哀、推其孝以及人者如此、忠義亦出於天性、成童読保建大記、憤発興起、従此好読書、倍他日、十八歳著正名論、言君臣大義、其教子弟以忠孝者、本於此也、一先生尤重君臣之義、恒語人曰、天祖垂統、天孫継承、奉三器以照臨宇内、皇統緜緜、与天壤無窮、実如天祖所命、是神州之所以冠四海万国、天祖 天孫固与天一矣、世世相襲、号天津日高騰極、謂之 日嗣、神天合一、与般周配天尚不免於与天為二者不同矣、先生論国体、其大旨如此、蓋奉義公之遺意云、而道時称 皇国学者、荒唐不経之談、則亦所不取也、
書き下し
一、先生人に教ふるは、専ら忠孝に在り。蓋し先生は至性純孝にして、慷慨義を好む。其の幼にして善く親に事へ、弱冠にして喪に居り、疾痛悲哀、心を持すること三年を制し、書を著して古今の執喪の得失を論ず。門人受け読み、往々之に倣ひ、三年の哀を尽くす。其の孝を推して以て人に及ぼす者此くの如し。忠義も亦た天性に出づ。成童にして保建大記を読み、憤発興起し、此より書を読むを好むこと、他日に倍す。十八歳にして正名論を著し、君臣の大義を言ふ。其の子弟に教ふるに忠孝を以てする者は、此に本づくなり。 一、先生尤も君臣の義を重んず。恒に人に語りて曰く、天祖統を垂れ、天孫継承し、三器を奉じて以て宇内に照臨す。皇統緜緜として、天壌と窮まり無きこと、実に天祖の命ずる所の如し。是れ神州の四海万国に冠たる所以にして、天祖天孫は固より天と一なり。世世相襲ぎ、天津日高騰極と号し、之を日嗣と謂ふ。神天合一にして、殷周の天に配するも尚ほ天と二と為すを免れざる者と同じからず、と。先生の国躰を論ずる、其の大旨此くの如し。蓋し義公の遺意を奉ずと云ふ。而して時に皇国学者と称する者の荒唐不経の談を道ふは、則ち亦た取らざる所なり。
現代語訳
一 先生が人に教えるのは、もっぱら忠と孝でした。先生は生まれつき純粋な孝行者で、気概があり義を好みました。幼い頃からよく親に仕え、二十歳のころに親の喪に服したときは、痛みと悲しみの中で心を保って三年の喪を勤め上げ、書物を著して古今の喪の執り方の是非を論じました。門人たちはそれを受け取って読み、しばしばそれにならって三年の悲しみを尽くしました。自らの孝を人にまで押し広げたのは、このようなことです。忠義もまた生まれつきのものでした。少年のころ『保建大記』を読んで奮い立ち、それからは以前の倍も書を読むのを好みました。十八歳で『正名論』を著して君臣の大義を述べました。子弟に忠孝を教えたのは、ここに根ざしています。 一 先生はとりわけ君臣の義を重んじ、いつも人にこう語っていました。天照大神が国の統治の基を開き、その孫が受け継ぎ、三種の神器を奉じて天下を照らしておられる。皇統は連綿として天地とともに窮まりないという、まさに天祖の命じたとおりである。これが日本が世界の国々の上に立つ理由で、天祖も天孫ももとより天と一つである。代々受け継ぎ、天津日高の位に昇ることを日嗣という。神と天が一体であり、殷や周が天に配した(天子を天と並べた)といっても、やはり天と二つに分かれるのを免れなかったのとは違う、と。先生が国のかたちを論じた要旨はこのようなもので、水戸の義公(徳川光圀)の遺志を奉じたものだと言われます。そして当時、皇国学者を名乗る人たちの、でたらめで筋の通らない話は、先生の取らないところでした。
解説
この章句が説くこと
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『及門遺範』・名分と典章制度の研究一、先生は春秋尊王攘夷の義に原づき、尤も名分に謹む。君臣上下の際、華夷内外の弁、之を論ずること極めて詳明なり。行文措辞、其の名分に渉る者は、片言隻字と雖も、未だ嘗て容易に筆を下さず。而して最も思ひを神聖経綸の業に致し、典章制度を講究し、立論精確なり。蒲生君臧も亦た務めて典故を講究し、発明する所往々人の意表に出づ。人に謂ひて曰く、我天下を周流して、未だ嘗て英才卓識の子定の如き者を見ず、と。而して先生も亦た数々君臧を嗟称し、特に前後に儔罕なりと見る。其の来遊する毎に、門人をして就きて質問せしめ、曰く、奇士を得て従遊せば、以て才気を長ずべし、と。而して門人の益を得る者も、亦た尠からず。
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『及門遺範』・実行を先に・善を伸ばす一、先生人に教ふるに虚文を後にして実行を先にす。然れども文墨の業も亦た廃する所に非ず。要は人をして其の長ずる所を尽くさしむるに在り。其の実行の如きは、務めて善を長ずるに在り、悪を責むるに拘拘とせず。是を以て人も亦た善を為すに勧み、悪を為すを恥づ。蓋し名節を磨礪するの効、然りと為すなり。平居人の善を称するを好み、其の悪を道ふを喜ばず。人を待つに寛厚にして、自ら持すること厳正なり。人之を親愛して、敢へて狎褻せず。其の感ずる所有りて、肝胆を吐露するに至っては、則ち庸人儒夫と雖も、亦た揚揚然として激昂憤発せざる莫し。其の善く人を誘ふこと此くの如し。 一、先生の誨ふるは、恭遜を以て先と為す。安の幼きとき、毎に忿争を戒む。書を読み古人孝弟忠信の事に遇へば、屡々説話し、耳を提ぐるが有るが如し。常に諸葛武侯の子を戒むるの語を誦す。言ひて尚ほ耳に在り。或いは親朋と国事を談論するも、小子輩をして之を聞かしめず。安輩も亦た専ら書を読み疑ひを質し、敢へて闕党の童子と為らず。故に時に天下の事を聞くと雖も、一国の吏事の臧否を知らず。蓋し先生の誨ふるは、其の器の晩成を欲して、速成を欲せざるなり。又屡々義公の言を誦して曰く、童子は当に童子たるべし、と。切に時政を譏議するを誡むるも、亦た此の意なり。然れども少年の鋭気の人は、多く激励の言を悦び、戒勅の意を思はず、狂簡斐然として、之を裁する所以を忘る。亦た先生の意に非ざるなり。
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『及門遺範』・先生の学問と早世一、先生経史を講究し、学として該ねざる無し。而して聖人経綸の事業に於いて尤も力を致す。内には則ち天神の創業、列聖の継述より、以て皇綱□紐、武人政を為すに至り、外には則ち堯舜周孔の政を立て教を明らかにするより、漢唐宋明の治乱興衰、以て身毒西洋の形勢沿革、異教の民を罔し呑併して毒を肆にするの跡に至るまで、上下数千載、原委を推究し、臧否を甄別す。礼楽制度、経国治民の規模、人情風俗の変態、之を論ずること掌を指すが如し。而して古を稽へ今に徴するに、幕府の法令、及び我が東藩の政治教禁より、之を文書に徴し、之を口碑に求め、断簡破牘、俚言瑣語と雖も、採録蒐羅せざる莫し。其の鈔録記載、積みて汗牛充棟に至る。門人著述して編を成さんことを請ふ。先生曰く、吾が学既に諸れを事業に試すを得ず。之を文字に托するも、亦た以て已むべからず。我将に年知命に至るを待ち、然る後に著作する所有らんとす、と。其の言未だ遂ぐるに及ばず、五十三を以て終はる。実に文政九年丙戌冬十一月朔なり。今を距つること二十余年、門人も亦た離合聚散し、凋謝尠からず。往事を追懐し、泫然として之を書す。
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『及門遺範』・君子を学ぶ・儒者にならず一、先生孝経を談説するに、愛敬の二字を以て第一義と為し、仁孝一本の義を発す。之を曾孟の言に徴するに、鑿鑿として確拠有り。而して諸経を講論するには、必ず論語を以て首と為す。毎に大宝令に経を分ちて孝経・論語を教授せしむるを誦し、学者をして之を兼ね習はしむ。梅巷筆囊を著さんとして、粗ぼ端緒有るも、未だ就らずして即世す。誠に憾むべしと為す。然れども学者能く二書を熟読し、反復玩味して、果たして意会有らば、庶幾くは先生の意に倍かざらん。 一、先生恒に言ふ、学者は学びて君子と為るなり、学びて儒者と為るに非ず。故に論語は君子の二字を以て始終す、と。又言ふ、道とは成人の道にして、儒者の私業に非ず。故に夫子は徳を成し材を達し、徳行有り、言語有り、政事有り、文学有り、各々其の人の長ずる所に因りて之を成就す。儒は則ち古は道芸を以て人に教ふ。周官に云ふ、儒は道を以て民を得、是れなり。故に夫子子夏を誨へて君子儒と為らしむるは、其の文学に長ずるを以てなり。周末道行はれず、門弟子各々其の学ぶ所を以て後輩に教授し、人称して儒者の道と為す。是れ聖人の本意に非ず。後学者は当に成人を以て自ら期すべく、必ずしも儒者と為るを要せず。学びて君子と為る、是れ則ち孔門の学なり、と。安謂へらく、義公士臣に諭して曰く、士は以て道を学び人倫の義を知らざるべからず。匹夫の勇は貴ぶ所に非ず。道を学び義を知らば、寡人と雖も亦た儒なり、と。此れ儒を以て自ら処す。先生の意と同じからざるに似たり。蓋し公は則ち士大夫に学を勧む。所謂儒者も亦た唯だ道を学ぶ者を指して言ふのみ。而して其の意は人倫を明らかにするに在れば、則ち亦た学びて君子と為り、村夫子と為るに非ざるの謂ひなり。其の言異なりと雖も、其の意は則ち同じきなり。
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『及門遺範』・才に応じて人を導く一、先生幼にして神童を以て称せられ、立原先生、最も其の才を愛す。少年より交はる所、一時の豪傑は、高山仲縄・蒲生君臧の如き、慷慨して天下を憂へ、毎に肝胆を以て相許す。木村子虚の如きは忠憤国に報い、僧実源は高邁にして義を好み、皆情好親善なり。其の経生学士文人墨客、杉山・高橋・青山以下の諸子の如きは、則ち固より論ずる亡し。而して増子の寛厚、池原の俊爽、川瀬の勇決の如きは、読書の士に非ずと雖も、亦た当世の人傑にして、相信ずること最も深し。川瀬は恒に先生を称して、無学の門人予の如き者有るも、亦た一奇と為す、と。此れ戯言なりと雖も、亦た其の友を取るに、用舎好悪偏倚する所無きを観るべし。其の他の俊彦、以て武人・俗吏・農夫・賈豎に及ぶまで、苟くも志気有り、材芸有る者は、慫慂勧励し、寸長片善と雖も、之を採りて之を勲し、各々其の才の長ずる所に随ひて之を導き、懐を開き説話し、底蘊を傾倒すれば、其の人恍然として心酔せざる莫し。其の子弟を教育するは、其の材の長ずる所、性の好む所に随ひて、指示開導す。毎に謂ふ、世儒の人に教ふるは、多く一箇の格法を把持し、其の面目気臭をして尽く一様の態度と作らしめんと欲し、毫も其の区画範囲を出づるを許さず。金を冶して型より出だすが如く、整整然として一様の形状ならしむ。聖人の徳を成し材を達するの道に非ず。皆後儒の説を偏信し、聖人の言を侮るに至るを知らざるに坐するなり、と。
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『及門遺範』・孝経から入る教育の順序一、世俗儒を業とする者、久しく五山僧徒の陋習を承け、幼童をして先づ文選を誦せしむ。先生は則ち先づ孝経を授け、次ぐに四書五経を以てす。(四書五経の目は後人の論ずる所に出づ。先生幼童に授けて之を読ましむるは、姑く時俗の習熟する所に従ひ、苟くも崖異を為すことを欲せざるなり。)時時習読の中に於いて、其の喩し易き者一二件を取り、軽軽に開説す。句読稍熟し、畧文義を暁るに比びて、乃ち之をして史記・左伝・国語・漢書等を読ましむ。其の与に心志を起こすべき者に遇へば、娓娓として講解し、人をして倦むを知らざらしむ。時に前賢の詩文を吟誦し、以て其の志気を感発し、或いは古今の嘉言懿行、礼楽制度、政教刑兵措置の得失、君臣父子の名分恩義、四海万国の形勢変革、華夷内外の弁を談論し、一一指示し、其の憤悱に因りて之を啓発す。其の経を講ずるは、務めて大義を明らかにし、徳行事業を合して一と為し、人をして自ら聖賢区画槖籥の中に入り、識見日に開くも、自ら知らざらしむ。先生の人を誨ふる次序、大要此くの如し。然れども徳を成し材を達するは、皆其の人の資質に因り、必ずしも一律に規規とせざるなり。

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