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及門遺範 / 序・及門の遺範を記す志

語曰、先進於禮樂、野人也、後進於禮樂、君子也、蓋孔門諸弟子、親炙聖人、同受循誘之訓、成德達材、彬々君子、宜如無先後之異焉、然自質趨文古今常勢、以聖人視之亦不能無小變、三十年爲一世、則其有先後、今猶古、何獨聖門爲然也、安嘗遊藤先生之門、固譾劣寡陋、何敢自比先進、然自幼從遊、歲月尤蚤、幸得聞見先生誨人之始終、今世不見先生、亦已久矣、而安亦老憊、竊恐先生敎養之遺軌後輩或未之詳、廼錄及門之日所親然聞見者、以備他日一考、若夫先生家庭之訓、則斌卿固既紹述有餘、不待安論列焉、

新字:語曰、先進於礼楽、野人也、後進於礼楽、君子也、蓋孔門諸弟子、親炙聖人、同受循誘之訓、成徳達材、彬々君子、宜如無先後之異焉、然自質趨文古今常勢、以聖人視之亦不能無小変、三十年為一世、則其有先後、今猶古、何独聖門為然也、安嘗遊藤先生之門、固譾劣寡陋、何敢自比先進、然自幼従遊、歳月尤蚤、幸得聞見先生誨人之始終、今世不見先生、亦已久矣、而安亦老憊、窃恐先生教養之遺軌後輩或未之詳、廼録及門之日所親然聞見者、以備他日一考、若夫先生家庭之訓、則斌卿固既紹述有余、不待安論列焉、

書き下し

語に曰く、先進の礼楽に於けるは、野人なり、後進の礼楽に於けるは、君子なり、と。蓋し孔門の諸弟子、親しく聖人に炙し、同じく循誘の訓を受け、徳を成し材を達し、彬々たる君子にして、宜しく先後の異なること無きが如くなるべし。然れども質より文に趨くは古今の常勢にして、聖人を以て之を視るも亦た小変無きこと能はず。三十年を一世と為せば、則ち其の先後有ること、今も猶ほ古のごとし。何ぞ独り聖門のみ然りと為さんや。安嘗て藤先生の門に遊ぶ。固より譾劣寡陋、何ぞ敢へて自ら先進に比せん。然れども幼より従遊し、歳月尤も蚤く、幸ひに先生の人を誨ふるの始終を聞見することを得たり。今世に先生を見ざること、亦た已に久し。而して安も亦た老憊し、竊かに先生の教養の遺軌、後輩或いは未だ之を詳らかにせざらんことを恐る。廼ち及門の日に親しく聞見せし所の者を録し、以て他日の一考に備ふ。若し夫れ先生家庭の訓は、則ち斌卿固より既に紹述して余り有り、安の論列を待たざるなり。

現代語訳

論語に、先に学んだ人たちは礼楽について素朴な田舎の人であり、後から学んだ人たちは礼楽について教養ある君子である、とあります。思うに、孔子の門下の弟子たちは、みな直接聖人の教えを受け、同じように丁寧に導かれ、徳を成し才能を伸ばして、立派な君子になったのですから、先輩と後輩に違いがないはずです。しかし、素朴さから洗練へ向かうのは昔も今も変わらぬ世の流れで、聖人の目から見ても少しの変化はなかったとは言えません。三十年を一世代とすれば、先輩と後輩に違いが出るのは今も昔と同じで、孔子の門下だけがそうだったわけではないのです。私(会沢安)はかつて藤田先生の門に学びました。もとより才能が劣り見識も狭い身で、先輩を自称するなどとんでもありません。ただ幼い頃から先生に従い、入門の時期はとても早かったので、幸いにも先生が人を教え導く始めから終わりまでを見聞きすることができました。先生に会えなくなってからすでに長い年月がたち、私も老いて衰えました。先生の教え育てた跡を、後輩たちがまだ詳しく知らないのではないかとひそかに心配しています。そこで入門していた頃に自分で見聞きしたことを書き記し、後日の参考に備えます。先生のご家庭での教えについては、ご子息の斌卿(藤田東湖)がすでに十分に受け継いで述べておられるので、私が論じるまでもありません。

解説

この条は書全体の序にあたり、藤田幽谷の教えを弟子の立場から書き残す動機を述べています。論語の先進・後進の話を引き、時代が下れば教えの受け手も変わるという認識を示したうえで、自分は早くから師に付き従い、教育の始めから終わりまで見た者だから記録に残すと語ります。現代の組織でも、創業者や名上司の育て方は、直接見ていた人が書き残さなければ薄れていきます。人を育てる上司ほど、自分の流儀をどう言葉にして次の世代へ渡すかを考えておきたいものです。

この章句が説くこと

及門遺範会沢正志斎藤田幽谷師弟記録先進後進

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