匡正論 / 文武の実を失った武士の通念
詩書は義の府なれば、卿大夫たる者、先王の義に達せざれば、武事のみ長じても、卿とはなさざるなり、古の道みな如此也、故に有文事者、必有武備とも云、仁者必有勇、勇者不必有仁とも云、又有勇而無義、爲亂とも云り、古の學士德成て仕へ、爵大夫に至るを至極とするなれば、敢る事也、後世學文の如き比ひに非ず、吾邦中古以後公家武家と別れてより、政治皆將軍に歸し、諸侯皆武家と稱して、其國の政令も多くは軍命を其まゝに用ひて治らるゝ事、大方は武威を以てひしつけ、何事も簡易徑直なるを貴び、士を敎るに一步も退かざるを以て本意とす、但當時の御條目に文武忠孝を勵む事あれば、何事もこの內にこもることとなれども、全躰に上下共多く文武の實を失ふに似たり、今士の武道なりと稱せる所は、俠客の氣ありて勇を尙び死を厭はず恥を知り信を重じ、むさくきたなびれず、弓馬鎗劍の術に達し、御馬前にて潔く一命を捨るなど云常言あり、是等のことを武道と心得たるなり、又其文道なりとする所は、總て書を讀み詩歌を作るなどの事なりと思ひ、甚しきは讀書は武士の知らずして濟むべき者なりとて、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とする事を知らず、是世上文學の行れざる故にや、又小量なる學者の善惡邪正の心盤にして理屈めきたるを見る故にや、學文すれば諸士の交り妨となると思ふの類、皆學風のあしきと無學文官との然らしむる所にして、誠の道を知る人の憂ふる所也、然れども其武道とする一種の志氣は頼もしき所あり、害なしと云べし、只無學の輩多きより治國の才を成す人少く、
新字:詩書は義の府なれば、卿大夫たる者、先王の義に達せざれば、武事のみ長じても、卿とはなさざるなり、古の道みな如此也、故に有文事者、必有武備とも云、仁者必有勇、勇者不必有仁とも云、又有勇而無義、為乱とも云り、古の学士徳成て仕へ、爵大夫に至るを至極とするなれば、敢る事也、後世学文の如き比ひに非ず、吾邦中古以後公家武家と別れてより、政治皆将軍に帰し、諸侯皆武家と称して、其国の政令も多くは軍命を其まゝに用ひて治らるゝ事、大方は武威を以てひしつけ、何事も簡易径直なるを貴び、士を教るに一歩も退かざるを以て本意とす、但当時の御条目に文武忠孝を励む事あれば、何事もこの内にこもることとなれども、全体に上下共多く文武の実を失ふに似たり、今士の武道なりと称せる所は、侠客の気ありて勇を尚び死を厭はず恥を知り信を重じ、むさくきたなびれず、弓馬鎗剣の術に達し、御馬前にて潔く一命を捨るなど云常言あり、是等のことを武道と心得たるなり、又其文道なりとする所は、総て書を読み詩歌を作るなどの事なりと思ひ、甚しきは読書は武士の知らずして済むべき者なりとて、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とする事を知らず、是世上文学の行れざる故にや、又小量なる学者の善悪邪正の心盤にして理屈めきたるを見る故にや、学文すれば諸士の交り妨となると思ふの類、皆学風のあしきと無学文官との然らしむる所にして、誠の道を知る人の憂ふる所也、然れども其武道とする一種の志気は頼もしき所あり、害なしと云べし、只無学の輩多きより治国の才を成す人少く、
書き下し
詩書は義の府なれば、卿大夫たる者、先王の義に達せざれば、武事のみ長じても、卿とはなさざるなり、古の道みな如此也、故に有文事者、必有武備とも云、仁者必有勇、勇者不必有仁とも云、又有勇而無義、爲亂とも云り、古の學士德成て仕へ、爵大夫に至るを至極とするなれば、敢る事也、後世學文の如き比ひに非ず、吾邦中古以後公家武家と別れてより、政治皆將軍に歸し、諸侯皆武家と稱して、其國の政令も多くは軍命を其まゝに用ひて治らるゝ事、大方は武威を以てひしつけ、何事も簡易徑直なるを貴び、士を敎るに一步も退かざるを以て本意とす、但當時の御條目に文武忠孝を勵む事あれば、何事もこの內にこもることとなれども、全躰に上下共多く文武の實を失ふに似たり、今士の武道なりと稱せる所は、俠客の氣ありて勇を尙び死を厭はず恥を知り信を重じ、むさくきたなびれず、弓馬鎗劍の術に達し、御馬前にて潔く一命を捨るなど云常言あり、是等のことを武道と心得たるなり、又其文道なりとする所は、總て書を讀み詩歌を作るなどの事なりと思ひ、甚しきは讀書は武士の知らずして濟むべき者なりとて、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とする事を知らず、是世上文學の行れざる故にや、又小量なる學者の善惡邪正の心盤にして理屈めきたるを見る故にや、學文すれば諸士の交り妨となると思ふの類、皆學風のあしきと無學文官との然らしむる所にして、誠の道を知る人の憂ふる所也、然れども其武道とする一種の志氣は頼もしき所あり、害なしと云べし、只無學の輩多きより治國の才を成す人少く、
現代語訳
詩書は義の蔵ですから、卿大夫たる者が先王の義に達していなければ、武事だけが優れていても卿にはしませんでした。古の道はみなこのようでした。ですから「文事のある者は必ず武備がある」とも言い、「仁者には必ず勇があるが、勇者に必ずしも仁があるとは限らない」とも言い、また「勇があって義がないのは乱をなす」とも言っています。古の学士は徳が成ってから仕え、爵が大夫に至るのを極みとしたので、そうであったのです。後世の学問のようなものではありません。わが国では中古以後、公家と武家に分かれてから、政治はみな将軍に帰し、諸侯はみな武家と称して、その国の政令も多くは軍令をそのまま用いて治められ、おおかたは武威で押さえつけ、何事も簡単で直接的なことを尊び、士を教えるにも一歩も退かないことを本意とします。ただし当時の御条目に文武忠孝を励むことがあるので、何事もこの内に含まれることになりますが、全体として上下ともに多く文武の実を失っているようです。今の士が武道と称するものは、侠客の気があって勇を尊び、死を厭わず、恥を知り信を重んじ、むさくるしくだらしなくせず、弓馬槍剣の術に達し、お馬前で潔く一命を捨てる、などという常の言葉があり、これらを武道と心得ているのです。またその文道とするところは、すべて書を読み詩歌を作るなどのことと思い、甚だしきは読書は武士が知らなくても済むものだとして、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とすることを知りません。これは世上に文学が行われないからでしょうか、あるいは度量の小さい学者の、善悪邪正の心の盤がいかにも理屈めいているのを見るからでしょうか、学問をすると諸士の交わりの妨げになると思う類は、みな学風の悪いことと無学の文官がそうさせているのであり、まことの道を知る人の憂えるところです。けれどもその武道とする一種の志気は頼もしいところがあり、害はないと言えます。ただ無学の者が多いために治国の才をなす人が少なく、
解説
この章句が説くこと
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