匡正論 / 重職の人材に必要な治国の学
重き職の士大夫も番組兵士の心ばへなる人こそ多けれ、是に依て賢主の士を撰も仁政を行はんとし玉へば、其器に當る人少くして空く憂へ玉ふ事也、つら〱考ふるに、異朝には文武行はると云ども、自然と文を好むの類多きに似たり、吾邦の當時は專ら將軍の政治なれば、所謂武を好める人多くて文を嗜事の少きに似たり、是自然の勢也、凡そ當時國郡を治るも武威々々とは云ひ習はせども、治まれる世の世事なれば、名目は違とも、自然と文官武職は無て叶はざる事なり、家老用人奉行などは文職の中にても重き職なり、然るを唯胡椒丸呑とやらん云類にて、吾は武士なりと心得て、戰場に臨まば、一番鎗を提て飛込みて、一歩も退くまじ、此所を志こそ本意なりとのみ思ひ、又僅かの讀書に志ある人も、學風の惡しき故に士宦の學文は只此心の戰場にて動ざらん爲とのみ心得たる類も多と見へたり、是皆文官の俗意と知るべし、此等の職の人は殊に學に達し、和漢古今の盛衰治亂存亡の事をも知り、治國安民の道に明かにして或は君の輔佐となり、民の望みともなるべき事を心に懸て叶ざる事なり、且當時は封建の治なれば、君臣恩愛の厚きこと異國三代の如し、大老家老は卿大夫に當れば、兵事ある時は則將となりて出づべきは勿論なり、故に武を講も弓馬鎗劍の技のみ專らにするは誤りなり、和漢の兵法に通曉し治世に其國武備の闕たるを補ひ士と民をなつくる事をこそ專要とすべし、又戰場に臨みても兵士ならば死すべき所も死せずして君を補し國を全ふする類もあるべければ、何の唯に死を輕じ武夫兵卒と志を同すべけんや、又諸士の輩弓馬鎗劍の術のみ志あれば戰場に功名仕らんとのみするは、
新字:重き職の士大夫も番組兵士の心ばへなる人こそ多けれ、是に依て賢主の士を撰も仁政を行はんとし玉へば、其器に当る人少くして空く憂へ玉ふ事也、つら〱考ふるに、異朝には文武行はると云ども、自然と文を好むの類多きに似たり、吾邦の当時は専ら将軍の政治なれば、所謂武を好める人多くて文を嗜事の少きに似たり、是自然の勢也、凡そ当時国郡を治るも武威々々とは云ひ習はせども、治まれる世の世事なれば、名目は違とも、自然と文官武職は無て叶はざる事なり、家老用人奉行などは文職の中にても重き職なり、然るを唯胡椒丸呑とやらん云類にて、吾は武士なりと心得て、戦場に臨まば、一番鎗を提て飛込みて、一歩も退くまじ、此所を志こそ本意なりとのみ思ひ、又僅かの読書に志ある人も、学風の悪しき故に士宦の学文は只此心の戦場にて動ざらん為とのみ心得たる類も多と見へたり、是皆文官の俗意と知るべし、此等の職の人は殊に学に達し、和漢古今の盛衰治乱存亡の事をも知り、治国安民の道に明かにして或は君の輔佐となり、民の望みともなるべき事を心に懸て叶ざる事なり、且当時は封建の治なれば、君臣恩愛の厚きこと異国三代の如し、大老家老は卿大夫に当れば、兵事ある時は則将となりて出づべきは勿論なり、故に武を講も弓馬鎗剣の技のみ専らにするは誤りなり、和漢の兵法に通暁し治世に其国武備の闕たるを補ひ士と民をなつくる事をこそ専要とすべし、又戦場に臨みても兵士ならば死すべき所も死せずして君を補し国を全ふする類もあるべければ、何の唯に死を軽じ武夫兵卒と志を同すべけんや、又諸士の輩弓馬鎗剣の術のみ志あれば戦場に功名仕らんとのみするは、
書き下し
重き職の士大夫も番組兵士の心ばへなる人こそ多けれ、是に依て賢主の士を撰も仁政を行はんとし玉へば、其器に當る人少くして空く憂へ玉ふ事也、つら〱考ふるに、異朝には文武行はると云ども、自然と文を好むの類多きに似たり、吾邦の當時は專ら將軍の政治なれば、所謂武を好める人多くて文を嗜事の少きに似たり、是自然の勢也、凡そ當時國郡を治るも武威々々とは云ひ習はせども、治まれる世の世事なれば、名目は違とも、自然と文官武職は無て叶はざる事なり、家老用人奉行などは文職の中にても重き職なり、然るを唯胡椒丸呑とやらん云類にて、吾は武士なりと心得て、戰場に臨まば、一番鎗を提て飛込みて、一歩も退くまじ、此所を志こそ本意なりとのみ思ひ、又僅かの讀書に志ある人も、學風の惡しき故に士宦の學文は只此心の戰場にて動ざらん爲とのみ心得たる類も多と見へたり、是皆文官の俗意と知るべし、此等の職の人は殊に學に達し、和漢古今の盛衰治亂存亡の事をも知り、治國安民の道に明かにして或は君の輔佐となり、民の望みともなるべき事を心に懸て叶ざる事なり、且當時は封建の治なれば、君臣恩愛の厚きこと異國三代の如し、大老家老は卿大夫に當れば、兵事ある時は則將となりて出づべきは勿論なり、故に武を講も弓馬鎗劍の技のみ專らにするは誤りなり、和漢の兵法に通曉し治世に其國武備の闕たるを補ひ士と民をなつくる事をこそ專要とすべし、又戰場に臨みても兵士ならば死すべき所も死せずして君を補し國を全ふする類もあるべければ、何の唯に死を輕じ武夫兵卒と志を同すべけんや、又諸士の輩弓馬鎗劍の術のみ志あれば戰場に功名仕らんとのみするは、
現代語訳
重い職の士大夫も、番組(警衛組)の兵士の心持ちの人が多いのです。このため賢明な主君が士を選んで仁政を行おうとなさっても、その器に当たる人が少なく、むなしく憂えておられます。つくづく考えるに、異朝(中国)では文武が行われるといっても自然と文を好む類が多いようです。わが国の今は専ら将軍の政治なので、武を好む人が多く文を嗜むことが少ないようです。これは自然の勢いです。およそ今、国郡を治めるのも「武威、武威」と言い習わしていますが、治まった世の世事なので、名目は違っても自然と文官・武職はなくてはならないものです。家老・用人・奉行などは文職の中でも重い職です。それなのに、ただ「胡椒の丸呑み」とかいう類で、自分は武士だと心得て、戦場に臨んだら一番槍を提げて飛び込み、一歩も退くまい、ここを志すのが本意だとばかり思い、またわずかに読書に志のある人も、学風が悪いために、士官の学問はただ心の戦場で動揺しないためのものとばかり心得ている類も多いようです。これはみな文官の俗な考えと知るべきです。こうした職の人は特に学に達し、和漢古今の盛衰治乱存亡のことをも知り、治国安民の道に明るく、あるいは君の輔佐となり、民の望みともなるべきことを心がけなくてはなりません。かつ当時は封建の治なので、君臣の恩愛の厚いことは異国の三代のようです。大老・家老は卿大夫に当たるので、兵事のあるときは将となって出るべきことは言うまでもありません。ですから武を講じるにも、弓馬槍剣の技ばかりを専らにするのは誤りです。和漢の兵法に通じ、治世にその国の武備の欠けたところを補い、士と民をなつかせることを専要とすべきです。また戦場に臨んでも、兵士なら死ぬべきところでも、死なずに君を補佐し国を全うする場合もあるでしょうから、どうして軽々しく死を軽んじ、武夫・兵卒と志を同じくしてよいでしょうか。また諸士の輩が弓馬槍剣の術にばかり志があり、戦場で功名を立てようとばかりするのは、
解説
この章句が説くこと
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