君子訓 / 巻之下
一漢土も大和も、王公の國土を得給ふことは、其始は極めて難き事なり。中にも戰國の時に生れて、家を興し國を得たまふ人は、安樂なる暇なし。風に櫛り雨に沐ひ、朝夕戰鬪を事とし、自ら敵に臨みて、鋒鏑を冒し、萬死を出でて一生を得、常に心を勞し身を苦め、大艱難大辛勞を經て、終に大國を得、大祿を受け給へり。唯時の幸にて、故もなくたやすく國を得給ふにはあらず。又旣に國を得ては、城郭を築き、法制を定め給ふ辛勞も、亦はかりなし。其大勳勞をなし給ふことは、本より忠義の心に出で、唯我一代の榮華を受けん爲にはあらず。代々賢子孫おはしまして、能く其志を繼ぎ、其法を守りて、人民を保ち國土を失はず、長久にして榮え樂しまんことを願ひたまふ。
新字:一漢土も大和も、王公の国土を得給ふことは、其始は極めて難き事なり。中にも戦国の時に生れて、家を興し国を得たまふ人は、安楽なる暇なし。風に櫛り雨に沐ひ、朝夕戦闘を事とし、自ら敵に臨みて、鋒鏑を冒し、万死を出でて一生を得、常に心を労し身を苦め、大艱難大辛労を経て、終に大国を得、大禄を受け給へり。唯時の幸にて、故もなくたやすく国を得給ふにはあらず。又既に国を得ては、城郭を築き、法制を定め給ふ辛労も、亦はかりなし。其大勲労をなし給ふことは、本より忠義の心に出で、唯我一代の栄華を受けん為にはあらず。代々賢子孫おはしまして、能く其志を継ぎ、其法を守りて、人民を保ち国土を失はず、長久にして栄え楽しまんことを願ひたまふ。
書き下し
一漢土も大和も、王公の国土を得給ふことは、其始は極めて難き事なり。中にも戦国の時に生れて、家を興し国を得たまふ人は、安楽なる暇なし。風に櫛り雨に沐ひ、朝夕戦闘を事とし、自ら敵に臨みて、鋒鏑を冒し、万死を出でて一生を得、常に心を労し身を苦め、大艱難大辛労を経て、終に大国を得、大禄を受け給へり。唯時の幸にて、故もなくたやすく国を得給ふにはあらず。又既に国を得ては、城郭を築き、法制を定め給ふ辛労も、亦はかりなし。其大勲労をなし給ふことは、本より忠義の心に出で、唯我一代の栄華を受けん為にはあらず。代々賢子孫おはしまして、能く其志を継ぎ、其法を守りて、人民を保ち国土を失はず、長久にして栄え楽しまんことを願ひたまふ。
現代語訳
中国でも日本でも、王公が国土を得られるのは、その始めはきわめて難しいことです。中でも戦国の時代に生まれて家を興し国を得られた人は、安楽に過ごす暇がありませんでした。風に髪をくしけずり雨に髪を洗うような苦労をし、朝夕戦いを事とし、自ら敵に臨んで矛や矢じりの危険を冒し、九死に一生を得て、常に心を労し身を苦しめ、大きな艱難辛苦を経て、ついに大国を得て大きな禄を受けられたのです。ただ時の幸運で、理由もなくたやすく国を得られたのではありません。また国を得てからも、城郭を築き法制を定められる苦労もはかりしれません。その大きな勲功をなされたのは、もとより忠義の心から出たもので、ただ自分一代の栄華を受けるためではありません。代々賢い子孫が現れて、よくその志を継ぎ、その法を守って、人民を保ち国土を失わず、長く栄え楽しむことを願われたのです。
解説
この章句が説くこと
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