斉家論 / 上
名聞利欲もはなれやすき事あり、是を導かん爲なり、尤文學に拙き講釋なれば、聽衆もすくなからん、若聞人なくば、たとひ辻立して成とも、吾志を述んと思へり、ねがふ所は、一人成とも五倫の交りを知り、君に事る者ならば、己を忘れ身をゆだね、苦勞をかへりみず、勤むべき事を先とし、得る事を後にするの忠をつくす人出、又父母に事るに、親しく愛しまいらせ、常々よろこべる顏色あつて、身のとりまはしは、柳の風になびくが如く、睦じくつかふるの孝をつくす人出來らば、これ生涯の樂也、たとひ千萬人に笑れ恥をうくとも、いとふことなき志なり、其比實儀あつて、へつらひなき朋友の有しが、某にいはるゝは、汝は我に比すれば學者なり、
新字:名聞利欲もはなれやすき事あり、是を導かん為なり、尤文学に拙き講釈なれば、聴衆もすくなからん、若聞人なくば、たとひ辻立して成とも、吾志を述んと思へり、ねがふ所は、一人成とも五倫の交りを知り、君に事る者ならば、己を忘れ身をゆだね、苦労をかへりみず、勤むべき事を先とし、得る事を後にするの忠をつくす人出、又父母に事るに、親しく愛しまいらせ、常々よろこべる顔色あつて、身のとりまはしは、柳の風になびくが如く、睦じくつかふるの孝をつくす人出来らば、これ生涯の楽也、たとひ千万人に笑れ恥をうくとも、いとふことなき志なり、其比実儀あつて、へつらひなき朋友の有しが、某にいはるゝは、汝は我に比すれば学者なり、
書き下し
名聞利欲もはなれやすき事あり。是を導かん為なり。尤も文学に拙き講釈なれば、聴衆もすくなからん。若し聞く人なくば、たとひ辻立ちして成りとも、吾が志を述べんと思へり。ねがふ所は、一人成りとも五倫の交はりを知り、君に事ふる者ならば、己を忘れ身をゆだね、苦労をかへりみず、勤むべき事を先とし、得る事を後にするの忠をつくす人出で、又父母に事ふるに、親しく愛しまいらせ、常々よろこべる顔色あつて、身のとりまはしは、柳の風になびくが如く、睦じくつかふるの孝をつくす人出で来たらば、これ生涯の楽しみ也。たとひ千万人に笑はれ恥をうくとも、いとふことなき志なり。其の比実儀あつて、へつらひなき朋友の有りしが、某にいはるるは、汝は我に比すれば学者なり。
現代語訳
名誉や利欲からも離れやすくなるところがあります。そこへ導くためです。もっとも、学問に拙い者の講釈ですから、聴衆も少ないでしょう。もし聞く人がいなければ、たとえ辻に立ってでも自分の志を述べようと思いました。願うところは、一人でもよいから五倫の交わりを知り、主君に仕える者なら、自分を忘れて身をゆだね、苦労をいとわず、勤めるべきことを先にし、得ることを後にする忠を尽くす人が出ること。また父母に仕えるのに、親しく慕い、いつも喜んでいる顔つきで、身のこなしは柳が風になびくように、睦まじく仕える孝を尽くす人が出てくれば、それが生涯の楽しみです。たとえ千万人に笑われ恥をかいても、いとわない志でした。そのころ、誠実でへつらいのない友人がいて、私に言いました。「あなたは私に比べれば学者だ。
解説
この章句が説くこと
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