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君子訓 / 巻之下

一或處に頑民あり、しばしば其父を打つ。奉行聞きて其罪を糺し、君に告げて是を刑戮す。頑民殺さるゝ時まで尙其罪に服せずしていふ、我もし他人の父を打ち候はゞこそ罪せらるべけれ、我が父をこそ打ち候へ、左程罪とは覺え候はず。かゝる無理なる刑にあふ事、不幸の至りなりとて、上を怨みけるとなん。或士是を聞きて、彼の民の言ひしも一理ありといへり。此の士不學にして、孝の道の重きを知らず、五刑の屬三千にして、罪不孝より大なるはなしといふ事を聞かずして、かくは言ひけるならし。然れば、四民ともに人倫の敎なくんばあるべからず。村里に佛堂を建て、僧法師の輩、朝暮佛法を勸むる程にこそなるまじけれ、せめて其所の司時々來りて、耕作を勤め、父母を養ひ、君長をうやまひ、法令を守り、廉潔をはげまし、正直にして僞なく、人と爭ふ事なきやうに敎へ戒めば、風俗正しく、萬民和順にして、使ひ易かるべし。殊に農人は、世事になれず、惡習に染まず、其心朴なり。道理を以て敎へ導かば、善に遷り易くして、古の淳朴なる風にも立歸るべし。

新字:一或処に頑民あり、しばしば其父を打つ。奉行聞きて其罪を糺し、君に告げて是を刑戮す。頑民殺さるゝ時まで尚其罪に服せずしていふ、我もし他人の父を打ち候はゞこそ罪せらるべけれ、我が父をこそ打ち候へ、左程罪とは覚え候はず。かゝる無理なる刑にあふ事、不幸の至りなりとて、上を怨みけるとなん。或士是を聞きて、彼の民の言ひしも一理ありといへり。此の士不学にして、孝の道の重きを知らず、五刑の属三千にして、罪不孝より大なるはなしといふ事を聞かずして、かくは言ひけるならし。然れば、四民ともに人倫の教なくんばあるべからず。村里に仏堂を建て、僧法師の輩、朝暮仏法を勧むる程にこそなるまじけれ、せめて其所の司時々来りて、耕作を勤め、父母を養ひ、君長をうやまひ、法令を守り、廉潔をはげまし、正直にして偽なく、人と争ふ事なきやうに教へ戒めば、風俗正しく、万民和順にして、使ひ易かるべし。殊に農人は、世事になれず、悪習に染まず、其心朴なり。道理を以て教へ導かば、善に遷り易くして、古の淳朴なる風にも立帰るべし。

書き下し

一或処に頑民あり、しばしば其父を打つ。奉行聞きて其罪を糺し、君に告げて是を刑戮す。頑民殺さるる時まで尚其罪に服せずしていふ、我もし他人の父を打ち候はばこそ罪せらるべけれ、我が父をこそ打ち候へ、左程罪とは覚え候はず。かかる無理なる刑にあふ事、不幸の至りなりとて、上を怨みけるとなん。或士是を聞きて、彼の民の言ひしも一理ありといへり。此の士不学にして、孝の道の重きを知らず、五刑の属三千にして、罪不孝より大なるはなしといふ事を聞かずして、かくは言ひけるならし。然れば、四民ともに人倫の教なくんばあるべからず。村里に仏堂を建て、僧法師の輩、朝暮仏法を勧むる程にこそなるまじけれ、せめて其所の司時々来りて、耕作を勤め、父母を養ひ、君長をうやまひ、法令を守り、廉潔をはげまし、正直にして偽なく、人と争ふ事なきやうに教へ戒めば、風俗正しく、万民和順にして、使ひ易かるべし。殊に農人は、世事になれず、悪習に染まず、其心朴なり。道理を以て教へ導かば、善に遷り易くして、古の淳朴なる風にも立帰るべし。

現代語訳

ある所に頑なな民がいて、しばしば自分の父を打ちました。奉行がこれを聞いてその罪を糾し、君に告げて死刑にしました。その民は殺される時まで罪に服さずにこう言いました。「私がもし他人の父を打ったのなら罰せられもしましょうが、自分の父を打っただけです。それほどの罪とは思いません。このような無理な刑にあうのは不幸の至りだ」と言って上を恨んだそうです。ある武士がこれを聞いて、あの民の言うことにも一理あると言いました。この武士は学問がなく、孝の道の重さを知らず、五刑に属する罪は三千あるが不孝より大きな罪はない、ということを聞いたことがなかったので、このように言ったのでしょう。それゆえ、四民ともに人倫の教えがなくてはなりません。村里に仏堂を建てて僧たちが朝夕仏法を勧めるほどにはならないでしょうが、せめてその地の役人が時々来て、耕作に励み、父母を養い、目上を敬い、法令を守り、廉潔を励まし、正直で偽りなく、人と争うことのないように教え戒めれば、風俗は正しく、万民は和やかに従い、使いやすくなるでしょう。とくに農民は世事に慣れず、悪い習いに染まらず、その心は素朴です。道理をもって教え導けば善に移りやすく、昔の素朴な風にも立ち帰るでしょう。

解説

父を打って死刑になった民が最後まで罪を理解せず、それに同情した武士まで学問がなかった、という話から、人倫の教えを民に届ける必要を説く条です。「五刑の属三千、而して罪不孝より大なるはなし」は『孝経』の言葉です。仏教が村々に寺を置いて教えを広めているように、せめて役人が巡回して孝行・勤勉・正直を教えよ、と益軒は提案します。罪を知らない者を罰するだけでなく教えを届けよという主張で、今の地域の生涯学習や学び直しの意義にも通じる話です。

この章句が説くこと

孝教え人倫民孝経

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